Fugitive 41


「…つまり、幸斗は俺のために外に出たってことか…」
電話の向こうですっかり取り乱していた弘明に代わって春也から事情を聞くと、裕司は思いのほか冷静にそう呟いた。
そしてほぼ無意識な動作のように胸のポケットから煙草を取り出し、1本火をつけた。
幸斗は裕司のためにチョコレートケーキを作ろうと思って、その材料を買うために外へ出て、そしておそらく、春也か弘明 ―― もしくは2人を狙っていた金光組の者に見つかったのだろう、と。
『すみません。やはりちゃんと言っておけばこんなことには…』
「いや、それは俺もその方が良いと思っていたからな」
金光組の件については、わざわざ幸斗を怯えさせることはないだろうというのが春也と裕司の考えだったから、特に話していなかったということが裏目に出たようだ。
その上 ―― 実は春也と弘明には裕司の手の者が護衛として付けられていたのだが、幸斗に関しては却って目立たせてはなるまいという配慮からあえてつけなかったし、そもそも護衛の連中でさえ、幸斗がここにいるとは思っていなかったのだ。
それほど、春也に引き取られてから外に出ようとはしていなかった幸斗だったから、この先も一人で出ることはないだろうと思い込んだことも甘かったということだ。
まさか裕司のためにケーキを焼きたいから何ていう理由で外に出るなど、誰も想像できなかったのだ。
(幸斗…!)
マンションの裏手に散乱していたスーパーの袋を見つけたのがクリーニング店から帰る途中だった春也で、咄嗟に嫌な予感がしたからすぐに部屋に戻ったというが、その時には既に遅かったのである。
ほんのあと10分ほど。
それだけ待てば春也も戻ってくるところだったのに待てなかったのは ―― おそらく春也に手間をかけることに対して遠慮があったのと、何よりも自分がやりたかったということなのだろう。
それほどに一途で健気で ―― 愛おしいから、この手で守りたいと思っていたはずなのに。
自分の甘さに苛立ち、裕司はつけたばかりの煙草を靴でもみ消した。
そう、幸斗が外に出る原因を作ったのは、他ならぬ裕司自身といってもいいのだから。
無性に声が聞きたかったからと電話をして、調子に乗って携帯を買い与えて。
その上、「今夜、そっちに行く」などと告げれば律儀な幸斗のことだ。
なにか礼をしようと思うことなど手に取るように判ると言うものだ。
(くそぅ…俺が甘かったぜ…)
唯一の望みは、幸斗が連れ去られたと言うこと。
秘密クラブの件での口封じというのであれば、見つけたその場で殺してしまった方が手っ取り早いのだ。
それをわざわざ連れ去ったということは、まだ幸斗を生かしておく理由があるということで、それは ――
だが、裕司はあえてそのことは考えまいとし、自分を落ち着かせるように煙草をくわえると、黙り込んでしまった春也に話しかけた。
「…ところで、先輩の方は大丈夫か?」
自分が眠ってた間にこんなことになってしまって、責任感の強い弘明はかなり動揺していたことは確かだ。
それでなくても裕司から頼まれていたと言うのに、ほんの少し油断してしまったがために ―― と、自分を責めていることは想像に容易い。
だが、
『え、ええ…少し落ち着いたようですが…』
春也にしてみれば、弘明はただの上司と言うだけではなく、心から大事に思っている唯一の人でもある。
しかし、今は心配すべきは幸斗の方で、それは裕司の方が特に強いと思っていた。
弘明の心配をしてくれることに対しては文句はない。
だが、そんな場合でもないだろうと言う気もして、矛盾する苛立ちを感じたのもまた事実だった。
しかし、
「そうか。じゃあ、今日は店も休んで二人ともそこで大人しくしていろ。こっちから連絡するまで、外には出るな」
そう言い放った声はいつもの軽い調子は微塵もなくて、
『…裕司…さん?』
余程の事では動じない春也であったが、携帯越しでも寒気がするような抑揚を抑えた冷たい声に、ゾクリと背筋を震わせた。
そして、
「ここから先は俺の仕事だ。余計な手間は…かけさせるなよ」
その一言を残して、裕司は携帯の電源を切った。






40 / 42


初出:2006.12.17.
改訂:2014.11.03.

Studio Blue Moon