Fugitive 42


携帯の電源を切ると、裕司は表向きはいつもと全く変わらないように加賀山の方を見た。
そして、
「…この車、借りるぞ」
そういうと、後ろの座席ではなく運転席の方へ回ろうとする。
そのため、加賀山の部下で運転をするつもりだった若衆も驚いたように見上げたが、その静かな威圧感には何も答えられず、ただ黙って席を替わっていた。
下手に怒鳴ったりしないから、尚のことその雰囲気は尋常ではなくて。
一瞬、見守るしかなかった加賀山も我に返ると慌てて助手席のドアを開けた。
「あ、ああ…って、おい、裕司」
「悪いな。もしかしたら返せないかもしれないが…そのときは組に言ってくれ」
「そういう話じゃないだろうが。いいから、ちょっと落ち着けって」
ごく普通の友達のような二人であるが、周りの若衆たちはどうしてよいのか判らずに浮き足立っている。
唯一落ち着いて見ているのは龍也であるが、それも克己を抱き寄せた腕には若干の力が篭っているようだった。
しかし、
「これが待てる状況だと思うか?」
慌てて止めに入った加賀山だったが、既に車のエンジンをかけた裕司は、ハンドルをぎゅっと握り締めて低く唸るように呟いた。
「あいつが、奴等にどんな目に合わされてきたのか、知らないお前でもないだろう? 確かに殺される心配はないかも知れない。だが、死んだほうがマシな目に合わされない確率があるか?」
そう、幸斗が逃げ出してきたのは、人間を人間と思わず、性欲の捌け口としか見ない連中の巣窟である。
そこに再び捕まった今、上客が付いているために殺されることは無いとしても、二度と逃げないような処置を施される可能性は高いのだ。
それでなくても身も心もズタズタに引き裂かれていたというのに、また同じようなことをされたら ―― 身体は生きていても、心が殺されてしまうことだってありうるのだ。
そのことは、確かに加賀山もよく判っている。
だが、
「だからって、アテがあるのか? 大体の場所しか判ってないんだぞ?」
「それだけ判れば十分だ。あとは虱潰しに当たってやる」
「お前、そんなことをすれば…」
そんなことをすれば、今回の件とは係わっていない場所も襲撃することになり、それは組同士の抗争にまで発展しかねない。
しかも相手には国会議員も付いているともなればどんな裏の手が回されるとも判らず、例え幸斗を無事に救出できても、裕司が ―― 強いては片岡組そのものが詰め腹を切らされるということも考えられる。
この場合、蒼神会としては下手に表立って動けば巻き込まれることにもなりかねず、非情なようだが見て見ぬ振りをするのが一番の良策となるが、
「ちょっと待て。俺が絶対に場所を特定してやる。だからそれまで…」
本来であれば、加賀山は蒼神会のナンバー3。
こんな軽はずみなことを言う立場ではないのだが、それこそそんな悠長なことも言っている状況ではなかった。
だから、
「待てるわけないだろうがっ!」
ハンドルを折るのではないかと思うほどに両手で叩きつけると、裕司は血が滲みそうな声で叫んだ。
「そうだろ、龍也。お前だって克己が同じ眼にあってみろ。のほほんと連絡が入るのを待っていられるのか!」
「まさか。俺がそんなお人よしに見えるか?」
突然話を振られた龍也だが、全く淀みなくそう応えると、抱き寄せられていた克己も驚いて見上げていた。
誰よりも美しくて換え難い、至高の宝。
この宝物を守るためなら、それこそどんなことだってやってみせると誓った龍也である。
「た…つや?」
その龍也を、克己が心配そうに見上げていることに気が付くと、その頬を愛しげに包み込んで、軽く口付けをした。
そして、
「心配するな。裕司に借りを作るのは悪くない」
そんな天邪鬼的な言い方をするが、その瞳はあくまでも克己に心配をさせまいとしているようで、
「良介!」
名残惜しそうに克己の細い体を抱きしめながら、龍也は素早く命令を下した。
「克己を連れて部屋に上がっていろ。いいな、何があっても俺が戻るまでこいつを外に出すな」
「ラジャーっす!」
「加賀山、お前は裕司と一緒に行け。くれぐれも無茶な暴走はさせるなよ」
「了解しました」
そこはヤクザの縦割り社会。一度命令が降りれば、その先の行動は素早く、
「おい、裕司、車は俺のを使うぞ。運転はお前に任せるから、取り合えず中央道に出る。伸治! 俺のパソからデータを車の方に送れ」
加賀山はハンドルを放そうとしない裕司にそう言うと、すぐに自分の車の後部に乗り込み、設置してあるコンピューターを起動した。
加賀山の車は、走るスーパーコンピューターである。
外見は普通のRV車だが、中には最新の情報処理システムが組み込まれており、本部のパソコンとネット通信することで、最新の情報を入手することができるのだ。
この世の中で、情報ほど新鮮さを競うものはないもので、しかも機動力まで兼ね備えれば、それこそ味方にして心強いものはない。
それは気が焦っている裕司でも判っていることで、
「あ、ああ、判った。龍也…」
「礼には及ばん。克己にお前の天使を逢わせると約束したからな。そのためだ」
「フン。あくまでも克己、か。だが、助かる」
素直にそう言えば、龍也も満更ではなく、
「…早く行け」
わざと視線を外して言えば、裕司もそれ以上は何も言わず、加賀山の車に乗り込んだ。
更に別の車に何人か腕の立つ者を後で追わせ、更に何重もの包囲網を作るように指示をする。
例えアジトを特定できなくても、そのエリアから逃がすこともできないようにという策である。
そして、
「車を用意しろ、澤村」
部下の配置を済ませると、龍也はいつものビジネスのように澤村に指示をした。
「はい。どちらへ行かれますか?」
応える沢村も浮き足立ったところは微塵もなく、
「水谷のところだ。但し、親父の方だ。参議院議員の水谷忠政に面会を申し入れろ」
「…了解しました」
そう応えると、すぐさま黒塗りのロールスロイスの扉を開いた。






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初出:2006.12.25.
改訂:2014.11.03.

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