Fugitive 44


どうしてこんなことになったのだろうと思っても、意味のないことだということは判っていた。
ただ、裕司にお礼がしたかっただけ。
もしかしたら、喜んでくれるかもと思っただけ。
それしか考えずに外に出たことを、不用意だったと今更言っても詮無き事だ。
それでも、
「まさかお前が片岡組に囲われていたとはな。流石、男を咥え込むのは上手いもんだ」
そう蔑むように言われて、幸斗は声に出して反論できない分、違うと訴えるように安原を見上げていた。
確かに春也のマンションに隠れていたのは事実であるが、安原が言うようなことは全くなく、更には、片岡組 ―― 裕司には関係のない話のはずだ。
だが、
「ほう、いつもヒィヒィ言ってたヤツが、随分と生意気な目つきをするようになったもんだ。いい気になってるんじゃねぇぞ」
そう言って幸斗の服を切り裂くと、白い胸を露にさせた。
「 ―― っ!」
うっすらとした傷跡が幾つかまだ残ってはいるが、それも気にしなければ判らないほどに薄くなってきている。
寧ろあの時の酷さを知らない者から見れば、どこに傷があるのかも判らないくらいだ。
しかしその肌に、傷ではない別の痕が見られないことを本気で不思議に思ったらしく、
「どうやら…片岡には抱かせてやらなかったみたいだな? それとも、お前が咥えてご奉仕するだけだったのか?」
そんな風に安原がニヤニヤと厭らしく笑うと、幸斗は必死で首を振った。
春也は勿論、裕司だって、安原の言うような下賎なことは素振りも見せることはなかったのだ。
二人とも本当に心から自分を心配してくれて、優しくしてくれた。
そのことに裏があるとは絶対に思えなくて ―― 幸斗が御礼にとしていたことも普通の家政婦のようなことだけ。
安原の言うようなことは、本当に考えられなかったのだ。
そう、春也や裕司は違うと。
自分を、性欲の捌け口としか見ていない男たちとは、違うのだと。
そう叫びたかった幸斗だったが、
「まぁ、いい。水谷先生も折角のお気に入りに他のヤツの痕があったんじゃあ、興醒めされるからな」
「 ―― っ!」
その名前が出た瞬間、幸斗の表情は恐怖に震え上がった。
水谷といえば、忘れもしない男の名前である。
散々に弄び、陵辱し、何度このまま殺してくれと願ったか知れない。
だが、幸斗が泣き叫べば叫ぶほど、善がり狂えば狂うほど、執拗なまでに嬲り、甚振り、妄執と思えるほどにその身体を苛んだ張本人である。
それこそ、よく気が狂わなかったものだと思うほどに。
生きていたのが不思議だと思うほどに。
ところが、
「しかし…残念だったな。水谷先生はお仕事中だそうでな。一応、連絡は差し上げたが…今夜はおいでになられないだろうな」
安原が心底残念そうにそんなことを言うと、幸斗は耳を疑った。
(来ない? あの人が…来れない? 良かった…)
勿論、今夜は来れなくてもいずれは来るだろうとは判っている。
それでも、その時が少しでも遠のくともなれば、本気で安堵するのは無理もないところだ。
ところが、
「ククク…そんなに水谷先生が来られないのが残念か?」
どう見たってホッとしていると判るはずなのに、わざとそんな風に言うと、安原はクイッと幸斗の顎を持ち上げ、息がかかるほどに顔を近付けた。
そして、
「心配するな。水谷先生が来られなくても、可愛いお前のためにと、海外出張の際にいいクスリを買ってきてくださっていてな。よほどお前がお気に召したようで…良かったな?」
そう言うとまるで頃合を計ったかのようにドアをノックする音が入った。
―― トントン
「ああ、入れ」
視線は幸斗に向けたまま、安原がそう応えると、
「お呼びですか?」
ドアを開けて現れたのは、黒服に身を包んだ男達だった。
数にして、3人。そのうちの一人は幸斗も見覚えがあり、ハッと息を呑む。
しかし、そんな幸斗の様子など安原が気にするはずもなく、
「ああ、お前達を呼んだのは他でもない。コイツを、一から調教しなおしておけ」
そう言って安原は幸斗の体を無造作に床に転がした。
「おや、これは…」
そんな幸斗を中でも覚えのある男がしゃがみこんで見下ろすと、まるで舌なめずりでもするようにニヤリと笑みを浮かべていた。
その表情に、初めてこの男に逢わされたときのことを思い出し、幸斗はガクガクと震えだした。
今まで、何人の男に陵辱されてきたかは数知れない。
だが、
「ちょっと見ないうちに…また一段とキレイになったねぇ、幸斗君?」
そう言いながらその男が幸斗の肌蹴た胸をスッと指でなぞると、あまりのおぞましさに顔を歪める。
その上、
「二度とここから逃げようとは思えないようにな。徹底的に仕込んでおけ」
そう命令する安原に、男達はさも嬉しそうに笑みを浮かべていたが ―― 言われた幸斗にとっては、それは死刑宣告にも等しい瞬間だった。






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初出:2007.01.14.
改訂:2014.11.03.

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