Fugitive 45


とても都内とは思えないような閑静な住宅街の一画に、まるで大正ロマン映画にでも出てくるような屋敷が構えていた。
この辺りは俗に言う高級住宅街で、金に糸目をつけない芸能人や政治家、財閥が本宅を構えているという土地柄である。
尤も逆にそれだけの高級住宅街であるから生まれながらにこの地に住んでいるものは殆どなく、地方から出てきたものがこれ見よがしにというところも多々あって、それだけに豪奢ではあるがどこか成金趣味のケバさもあるのは否めなかった。
実際に、中に入ればまた100年前にタイムスリップしたのではないかと思えるような今更ながらのレトロ趣味で、明らかに実用性よりも見た目の方に重心がおかれた造りであるのは言うまでもない。
その応接室 ―― 正式には「応接の間」というらしい ―― に通された龍也は、骨董品が並ぶ室内には興味も見せず、十分ほど待たされてから現れた初老の男に向かって軽く頭を下げた。
言うまでもない。かつては与党の幹事長も勤めたという、国会議員。
水谷忠政である。
「自分のようなものが突然の面会をお許し頂き、光栄です」
「フン…外で騒がれるよりはマシだからな」
そう忌々しそうに呟くと、水谷は尊大そうに龍也の向のソファーに身を沈めた。
当然、龍也に席を勧めることもない。
明らかに歓迎されていないことは確かである。
だが、そんなことは龍也のほうも何処吹く風であった。
「立ち話も何ですので座らせていただきますが?」
「…勝手にしろ」
「では遠慮なく」
まさに慇懃無礼とはその通りで、口調だけは丁寧な龍也である。
水谷の正面のソファーに身を沈めると、優雅に長い足を組んで見せた。
勿論、自分の前でそんな態度を見せるようなものなど、数えるほどしかいないはずである。
しかも龍也は明らかに息子の正典よりも若く、本来であれば部屋に上げるのもどうかと思う人種のはず。
だが、薄々は何故龍也がここに来たかを感じていた水谷は、露骨に顔をしかめながらもそれを非難することはできなかった。
そう、自分の息子 ―― 水谷正典がここ最近、ヤクザである金光組と関わりを持っているらしいと知っていたから、だ。
「さて…夜分のお邪魔で申し訳ありませんので、率直に申し上げましょう。実はご子息が懇意にされている金光組と我が蒼神会は厄介な関係にありまして、今夜あたり、少々揉め事が起きるかもしれません。その場合、事によってはこちらにもご迷惑をおかけしそうな風向きですので…」
優雅に足を組んだままの態度とあくまでも慇懃な口調というのは、対面していること自体が馬鹿にされたようなものである。
だが、その言葉の内容には、水谷を黙らせるだけの効果が潜んでいた。
「勿論、当方としては国会議員の先生方へは穏便に事を済ませたいと思っておりますが…相手は死なばもろともと思うかもしれません。そうなればいらぬ風評が立つことも考えられますね」
「 ―― !」
水谷にしてみれば、ヤクザの抗争などいくらでも勝手にやれと思うところである。
だが、そのとばっちりが自分にまでかかるとなれば、話は異なる。
そう、国会議員という立場上、ヤクザとの関係が暴露されては何かと問題になるのは目に見えている。
それが例え息子のことであっても ――いや、血縁であるからこそ、拙いのだ。
「…それで、儂にどうしろと?」
表向きは尊大な態度を崩すことなく、だが、明らかに顔色の変わった水谷は、搾り出すような声で龍也に尋ねた。
すると、
「そうですね。できれば…こちらとしても事を穏便に進めたいと思いますので。ご子息にご協力頂けますと幸いですね」
それは暗に、正典に金光組を売れと言っている事で。
「勿論、ご協力頂ければ…大事なパートナーである水谷先生には、一切ご迷惑はおかけしませんよ」
そう龍也が悪魔の笑みで応えれば、水谷に迷うところはなかった。



首都高新宿線から高井戸ICに向かって中央線に入ると、辺りはいきなり暗闇が支配する領域が増えていった。
「じゃあ、そこに幸斗君がいるってことなんですね?」
はやる心を無理に押さえつけながら運転していた裕司だが、後部席から聞こえてきた加賀山の声には流石に冷静を保つことはできなかった。
「幸斗の居場所が判ったのか!?」
「ああ…って、お前、前! ちゃんと前見て運転してろって!」
ハンズフリーにした加賀山の携帯の相手はどうやら澤村らしく、パソコンの操作をしながら話を続けていた加賀山は、運転しているはずの裕司が振り返るのを慌てて制止した。
「あ、悪い」
「悪いじゃない! そんなんじゃあ、着く前にこっちが事故るだろうが!」
幸い、道は直進の高速道路で、対向車も信号もないときている。
おかげで余所見をしたからといって直ぐに事故ということはないかもしれないが、メーターは捕まれば一発で免許停止になるほどの数値をたたき出していた。
幸い、今夜はスピード違反の取り締まりもない ―― というか、そのあたりも手を回しているからいいようなものの、危ないことはこの上ない。
「全く、お前は運転に専念しろって言っただろう?」
「ああ、判ってる。だが…」
裕司の焦る気持ちも判らなくはない。
だが、ここで焦っても仕方がないことも事実である。
勿論そんなことは裕司にだって判っているはずであろうが、判っていてもどうしようもないということもあるものだ。
(まぁ、しょうがないか)
「ちょっと待ってろ、今、データをナビに送るから」
「ああ、頼む」
こうしている間にも幸斗が泣いていると思えば、裕司の心ははやるばかりで。
だが、
(今、助けに行ってやるからな、幸斗。もう少し、待っててくれ!)
そう心で叫ぶと、更にアクセルを踏み込んだ。






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初出:2007.01.21.
改訂:2014.11.03.

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