Fugitive 53


ブルブルと震えながら銃口を見つめたまま、安原はゆっくりと後ずさった。
それを、冷たい視線で睨みつけたまま裕司が続く。
やがてそのまま安原は背中をドンと壁にぶつけ、逃げ場がなくなったことに気が付くと、漸く搾り出すように声を上げた。
「な、なんだ、貴様…」
つい先程まで、高級なウィスキーを嗜んでいたはずである。
だが、酔いなど全くなくなっているし、それ以上に恐怖で喉はカラカラに渇いていた。
「ここをどこだと…俺を誰だと思ってるんだ?」
それでも何とか虚勢を張って凄んでみるが、目の前の裕司にはそんなものは通用しそうにはない。
それどころか、
「もう一度聞くぞ。幸斗は何処だ?」
そういいながらカチッと安全装置を外して額に銃口を押し付ける目つきを見れば、それが冗談や単なる脅しには思えなかった。
勿論安原とて極道のはしくれである。
命を狙われる筋合いはないとは言わないし、後ろ暗いことは幾らでもやっている。
だがここは組の息がかかっているとは言っても知っているのはほんの小数のはずであるし、こう堂々と乗り込まれるなど想像もしていなかったのだ。
それに、
「ゆ…幸斗だと? 幸斗になんの…」
用がある?と聞きかけて、漸く安原は相手が片岡裕司だと気が付いた。
そうこれが裕司であれば話は判らないでもない。
いずれは何かを言ってくるだろうとは思っていたのだ。
但しそれは ―― 安原が想像していた理由とは程遠く、そのことにはまだ気が付いていなかった。
だから、
「そうか、お前、片岡だな。どうやらうちの幸斗が世話になっていたようだが…アレはうちの商品だ。まぁ世話になった礼はいずれしようと…」
思っていた ―― と言おうとしたその時、くぐもった音とともに安原の足に灼熱が走った。
―― バシュッ!
「う…わぁっ!」
―― ガラガラガラ…
熱と共に激痛が走り、安原は辺りの機材を巻き込んでその場に倒れこむ。
咄嗟に何が起こったのかを理解していなかった安原が信じられないように灼熱を訴える足を見れば、そこには丸く焼け焦げた痕と赤黒い血が滲んでおり、更に裕司が持っている銃口からはゆっくりと白い煙が吐き出されていた。
その上で、更に裕司は再び撃鉄を引き上げ、ゆっくりと安原の眉間に狙いを定める。
「幸斗はどこだ?」
それ以外は何も聞かないと、その視線が無言で囁いている。
正直なところをいえば、安原にとって幸斗は単なる商品でしかなかった。
確かにここでは一番の稼ぎ頭でいい金蔓ではあるが、それでもいざとなれば換えのきく程度のものだ。
ただ今回は上客であった水谷が何故か幸斗を気に入っていたということと、あとは他の商品に対する見せしめで探させたのだが、そんな幸斗のために裕司が乗り込んでくるなどという発想は、安原には全くなかったのだった。
言ってくるとしたら、今まで保護していたことに対する謝礼かと。
そんな風に思っていたくらいであったから。
だから、銃で撃たれた上にそんな殺気のみなぎった視線で見下ろされれば、とても嘘や誤魔化しなどに働かせる考えもなかった。
「く、訓練室だ。あいつなら、訓練室にっ…」
既に自分の保身しか考えていない安原である。
元々安原も武力派ではなく、知略で今の地位を築いた口だったというのも不運だった。
そのため、こんな風に命を狙われるということには慣れてはおらず、何かを話していなければ殺されると思ったのだろう。
「そうだっ…そこで…しっかりと調教させている最中だ。ほら、そこのモニターに…」
もしも安原にいつもの余裕があれば、恐らくそれだけは言わなかったかもしれない。
強行ともいえる裕司の行動を見れば。
何故裕司がそうまでしてここに来たかに気が付いていれば。
それは ―― 自分の死刑執行書にサインするようなものであったから。
しかし、
「…」
銃口は安原に向けたまま、裕司は示されたモニターを見てしまった。
その画面の中で ―― 白い身体は二人の男に犯され続けている。
いつもどこか寂しそうにしか微笑まなかった可憐な表情が、今は見たことも無い男達に蹂躙されて涙で濡れている。
それを見た瞬間 ―― 裕司は安原を見もせずに、撃鉄を引いた。
―― バシュッ、バシュッ、バシュッ、バシュッ…
「ヒィッ…」
まるで安原の輪郭を辿るように銃弾が壁にめり込み、やがてカチっと弾層が空になったが、それでも裕司は暫く撃鉄を引き続けた。
「うわぁっ…あああ…」
既に裕司の銃が空になっていることは明らかである。
だが、身体を掠めた銃弾に生きた心地のなかった安原は、下腹部に黒いしみを作りながらもガタガタと震えるだけで逃げることもできなかった。
そして、
「 ―― 誠」
大きく肩で息をつきながら裕司が加賀山を呼ぶと、
「ん、あとは俺にお任せあれ。それよりも…早く行ってやんな」
「ああ、悪いな」
安原の存在など、最早全く見向きもせずに裕司は部屋を後にする。
それを痛ましそうに見送った加賀山も安原など気にもしないようにモニターに向かうと、側にあった端末にアクセスを開始した。
ここに膨大な量のありとあらゆるデータが眠っているのはいうまでもない。
ここまでは裕司に付き合っていた加賀山だが、そのデータに関しては黙って見過ごすものではないし、それにこの中に幸斗のものもあればそれは消去してやるのがせめてもの慰めである。
だから、他愛もなくデータに侵入すると、加賀山はそれらを全て自分のパソコンへ転送するようにプログラムを書き換えた。
そんな加賀山の様子を震えながら見ていた安原は、
(い、今なら…)
自分が全く相手にされていないなどと、平時であれば憤慨するところだが ―― 今はそれが幸いにしか思えなくて。
今のうちにと、身動きをほんの少しした、その瞬間 ――
―― バシュッ!
「…悪いねぇ。俺は、裕司ほど優しい人間じゃないんでね」
そう呟いた声は、最早安原の耳には届いていなった。






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初出:2007.03.04.
改訂:2014.11.03.

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