Fugitive 56


磯部は、薄気味悪いほどに不気味な笑みで裕司を見つめていた。
この状況で見知らぬ者の乱入である。
本来であれば何事かと驚くのが普通であるが、そんな素振りは露ほどにも見せない。
それどころか、
「そうです。そういう貴方は?」
「幸斗を引き取りに来た」
そう言って裕司が幸斗に近づこうとすると、磯部はククッと声を立てて笑い出した。
「ああ、この騒ぎは貴方の仕業ですね。そうまでして幸斗君を迎えに来たんですか? それは、それは…本当にご苦労様でした」
そのいかにも馬鹿にしたような口調が癇に障る。
だが、今は幸斗の方が大事と無視しようとした裕司だが、
「そんなに幸斗君が大事なんですか? 羨ましいですねぇ。ですが…今はまだ、邪魔をしないほうがいいですよ?」
決して力づくで止めようというのではない。
それどころか、止めようとするのも本気ではないような言い方だが ―― それだけに、その意味するところが妙に気にかかった。
「幸斗に…何をした?」
よく見れば、既に幸斗の表情は普通ではなくて。
余程喘ぎ続けていたらしく、漏れる声もそれは声というより空気が擦れるような掠れきった乾いたものだし、目は見開いているが、何も見えては ―― そこに誰かがいるとは認識していないようだ。
勿論、ここに裕司が来ていることも判ってはいないようだった。
それどころか、今自分がどんな姿でいるのかでさえ判ってはいないようで ――
それが、ただ犯されただけのショックからとは、到底思えなかった。
実際、
「特注の催淫剤をね、たっぷりと飲ませてあげたんです。その上で、ああやってペニスと尿道を止めて射精できないようにしてあげて、アヌスには特大のバイブレーターで拡張の処置をしています。こうしてあげると、射精なんかしなくてもイけるようになるんですよ」
そう言って楽しそうに笑う磯部に、裕司は今にも飛び掛って首を絞めたくなるほどの憎悪を向けた。
だが、そんな憎しみも、磯部には痛痒とも感じないようだ。
「貴様…っ」
「フフフ…そんなに怖い顔をしないでください。幸斗君は今、この世で最高の快感を味わっているんですよ。本当に、羨ましいくらいです」
そう言って、それこそ言葉の通りに羨ましそうに幸斗を見る磯部の表情は、どこか常軌を逸した別の世界の人間のようだった。
「だったら、お前がやればいいだろう?」
「それは尤も意見ですが…」
それこそ、こうやって会話が成り立っているのも不思議なくらいだ。
それほどに磯部の存在は何か得体の知れない薄気味さを感じさせる。
それに、
「僕はこの程度では気持ち良いなんて感じられないんですよ」
そう言った声は ―― 先程までの不気味さを更に増して、邪悪の塊のようだった。
更に、
「この状態で開放してあげるとね、吐き出すものが何もなくなっても絶頂が止まらなくなってしまうんですよ。そう、クスリの効果が切れるまで、ね。そして、そんな快楽を一度覚えてしまうと、もう、普通のSEXでは物足りなくなってしまうんです」
そう言いながら幸斗の側にしゃがみこみ、そっと尿道を止めているスティックを少し沈める。
―― チリン…
「いやぁっ!」
途端に幸斗の背中が弓なりに反って、断末魔のような絶叫と大粒の涙を零す。
だがその叫びのどこか快楽を求めるように艶っぽくて、磯部はそんな幸斗を愛おしそうに弄んだ。
「ゆきっ…」
「それこそ相手を喰らい尽くすまで求め続けて、SEXのためだけに生きる淫乱な抱き人形か…二度と絶頂など感じなくなってしまう不能者か。どちらになるかは、この子次第ですけどね」
そう言いながら幸斗の肌に指を滑らせると、確かに幸斗は切ない喘ぎ声をあげて感じ続けていた。
その姿は余りにも淫らで艶かしく、裕司自身も目を奪われずにはいられないくらいだ。
しかし、
「…幸斗から離れろ」
まるで喉の奥から搾り出すようにそう言うと、磯部は僅かに顔を顰めて裕司を見た。
「え?」
「…聞こえなかったのか? 幸斗から離れろといったんだ」
そう呟く声はさすがの磯部でも一瞬たじろぐぐらいに怒りに満ちていて。
今更ではあるがそこはかとない恐怖を覚えた磯部は、後ずさるように幸斗から離れた。
それと入れ替わるように裕司は幸斗の側に近づいて、
「幸斗を抱き人形か不能にだと? そんなこと、どちらもさせはしないさ」
そう言って自分の上着を幸斗にそっとかけて抱き上げると、そんな僅かな刺激でも幸斗は身悶えて喘ぎ声を漏らしている。
だが、
「もうちょっとだけ我慢しろ。俺が…楽にしてやるからな」
そう囁くと、もはや磯部など見向きもせずに幸斗をつれて部屋を後にした。






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初出:2007.03.27.
改訂:2014.11.03.

Studio Blue Moon