Amnesty 05


「失礼します」
どことなく緊張に震えた男の声でノックもそこそこにドアが開くと、そこに立っていたのは一つ紋を入れた黒の紬を着た女性だった。
すらりとした揩スけた婦人である。
雰囲気にも独特の気品と知性を匂わせつつ、どこか一本シャンとした筋の通った気高さを持っているというような芯の強さを感じさせる。
そのため、決して守られるだけの女性には到底見えず、
「ご苦労様。貴方はここまでで結構です。下がっていいですよ」
「は、はいっ、失礼しますっ」
恐らくは下の階で捕まったのだろう。
ドアを開けた男にそう声をかければ、あからさまにほっとしたような態度で逃げる様に立ち去って行った。
そうとなれば、その後を引き受ける様に大前が中へ案内する。
「これは…姐さん、わざわざのご足労ありがとうございます」
実際はアポイントもなしの来訪である。
普通の相手であれば門前払いか良くても待たせるところだが、彼女相手にそんなことのできる人間はこの組織の中にはいないだろう。
なにせその女性こそ現片岡組組長の正妻で裕司にとっては実の母親である片岡芙美子、その人であるのだ。
「どうぞ、こちらに。すぐに茶菓子を準備させます」
そう言って大前が応接用のソファーに案内すれば、
「私に気遣いは必要ありませんよ、大前。ちょっと裕司さんと話をしたいだけですから」
やんわりと、だが遠慮なくそう応えて芙美子は浅くソファーに腰をおろした。
もうそろそろ50に手が届く年齢であるはずの芙美子だが、とても裕司のような年頃の息子がいるとは思えない、中年太りなどという言葉には全く縁のないような姿美人である。
それこそそこにいるだけで誰もが居住いを正しくしなくてはと思えるような緊張感があり、実際に直接対応している大前も必然的に動作が硬くなっているようだ。
だが、芙美子の方はそんな様子など全く気にしていないようで、
「お仕事が忙しいのでしたら待たせてもらっても構いませんよ」
そう言って出された湯呑を手に取ると、すぐ目の前のデスクにいる裕司には一顧だにせず口を閉じた。
すぐそこに出向いた目的でもある裕司がいるというのに、あくまでも大前を取り次相手としているという態度は、知らない人間が見れば実の親子だからという馴れ合い等を全く認めていないというような冷たさを感じさせるものである。
しかし、そこは未だに身分社会である極道の世界だ。
例え親子であっても筋はきちんと通すというところが、単なる極道ではなく「任侠」だという証明にも近かった。
とはいえ、
「だからって、わざわざ事務所にまで来ることはないだろう?」
裕司にとっては至って普段通りのつもりなのだが、それでもどこか緊張している感は否めない。
そのためいつものような軽い口調もどこか浮いたようになってしまうが
「まさか裕司さんが今住んでいらっしゃるところに押しかけるわけにもいきませんでしょう。それとも、その方がよろしかったのかしら?」
まるで独り言のように、それでいてこの場にいる裕司や大前にもはっきりと聞こえる様に芙美子が言い放てば、勿論、そんなことは全力で願い下げの裕司である。
しかも、
「お時間を頂けるのでしたら、こちらに来て頂けないかしら? 今日は貴方の母親としてお話ししたいことがあってお邪魔したのですよ」
つまりはちゃんと話をするまでは帰らないということで、流石の裕司も席を移らざるをえないようだ。
口調こそは実の息子相手とは思えないほどに丁寧であるが、それだけに下手な言い訳などは通じない相手である。
おそらく芙美子の話というのは幸斗のことだろうと想像はつくだけに、干渉されたくないというのが裕司の本心でもあった。
だが、こうして乗り込まれてきては追い返すわけにもいかないものである。
(ったく、仕方がないな)
何を言われても幸斗のことは譲る気はないが、話をつけなければ芙美子も引き下がることはないだろう。
そう思いながらも覚悟を決めて、裕司は重い腰を上げた。
その様子を見て、
「それでは、私は席を外しましょうか?」
芙美子が母親としてということは、あくまでも片岡家のプライベートである。
それを慮って大前がそう言えば、
(ちょっと待て、この野郎、逃げる気か?)
昔から、芙美子は怒鳴って叱りつけるなどということはしない母親であった。
あくまでも「言って聞かせる」というタイプであるのだが、何せこの雰囲気だけは尋常ではない。
実際に無鉄砲なチンピラ達でさえ芙美子の前では委縮して反論もできないほどであるのだがら、後ろめたい気のある裕司にしてみれば厄介なことこの上ないのだ。
そんな相手を一人で対応するなど、咄嗟に冗談ではないと叫ばなかったことを誉めてやりたいくらいである。
だが芙美子の方は、
「私はどちらでも構いませんよ。押しかけてきた方ですからね」
どうやらそんな裕司の心境はすでにお見通しのようだ。
見透かされているのも恰好がつかないが、背に腹は代えられないところである。
「ここにいろ」
「はい、判りました」
一瞬、大前の表情に残念そうな色が見えた気もするが、ここは大目にみてやった。
そうして覚悟をきめて芙美子の前に腰をおろせば、
「では、単刀直入に言わせていただきますよ」
そう言って芙美子は居住まいを直して言い放った。
「別に貴方が誰と付き合おうと構いません。そのことをとやかく言いに来たわけではありませんから。ただ、貴方も一応は父親だということを忘れてもらっては困ります」






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初出:2009.05.03.
改訂:2014.11.08.

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