Amnesty 06


午後三時過ぎにもなると、流石に晩夏の強い日差しのおかげで洗濯物は全て乾いている。
幸斗がその取り込みがてらベランダに出れば、外には下校途中らしい子供たちの声が聞こえ始めていた。
「やっぱり子供って元気だなぁ」
9月とは言えまだまだ猛暑は続いている。
そんな炎天下でありながら、ランドセルを背負った子供たちは全身に汗を浴びながら賑やかなことこの上ない。
裕司には遠慮するなと言われてはいるが、元来慎ましやかな性格でもある幸斗には、やはり自分一人しかいない広い部屋でエアコンを効かせるには抵抗があった。
幸い風通しのよい部屋でもあるために窓を開けておけば良い風が入るので十分でもあるのだが、こうしてベランダに出れば真夏と変わらない日差しがジリジリとむき出しの肌を焼くように暑かった。
このマンションに移ってからというもの、幸斗が外に出るといえばこのベランダくらいなものだった。
金光組に拉致されたのも、それまでは一切外出をしていなかったのにたった一度の油断が引き起こした結果である。
その理由が裕司のために何かしたかったからというものでありながら、却って迷惑をかけた上に見られたくなかった醜態まで晒すことになったのだ。
これ以上、嫌われるような真似だけはしたくなかったし、そもそも一人で外に出るということに、恐怖心さえ覚える幸斗だった。
だから、
―― ピンポーン…
丁度洗濯ものを畳み終えたところで、インターフォンが鳴り響いた。
それを室内のカメラで確認すると、幸斗はロックを外して玄関を開けた。
「今日も暑いね。お邪魔していい?」
「いつもすみません、弘明さん」
玄関に立っていたのは、陽だまりのような笑顔の似合う中谷弘明だった。
半年ほど前、心も体もズタズタに傷ついて言葉通りに行き倒れていた幸斗を助けたのは矢吹春也というホストだった。
弘明はその春也が勤めているホストクラブ『Misty Rain』の店長であるのだが、一見した雰囲気ではそんな華やかなイメージは思いつかないところである。
どちらかといえばホストクラブなどよりも喫茶店のマスターの方が似合いそうなタイプだ。
実際に店長とはいえ弘明は雇われにすぎず、実質のオーナーは裕司であり、弘明は裕司の高校時代の先輩という関係であった。
学年でいえば裕司の二つ上になる弘明だが先輩風を吹かすようなタイプではなく、陽だまりのようにほんわかと包み込んで悩み事を聞いてくれるという人柄のため、気苦労の多いホスト達にも信頼されているらしい。
勿論幸斗にとっても年の離れた兄のような存在であり、裕司とは違った意味で最も信頼している一人でもあった。
「今日はね、僕のお気に入りのロールケーキを買ってきたんだ。幸斗君、一緒に食べようよ」
「はい、ありがとうございます。じゃあ、紅茶を淹れますね」
「うん、頼むね」
そう言って勝手知ったると言うようにリビングに向かう弘明だが、その足音には独特の癖がある。
実は弘明は左足が不自由であり、常にステッキをついているのだった。
だが、弘明自身はそんな不自由など全く気にしていないようだ。
外出恐怖症とも言えそうな幸斗のために、店に出る前に必ずここに立ち寄るのが最近の弘明の日課にもなっている。
裕司も弘明には全面的な信頼を置いているようで、流石に一日中を一緒にいることができないためにそうしてくれることをありがたく思っているところだった。
「やっと9月になったって言っても、やっぱり外は暑いよね。早く涼しくなればいいのにね」
新設の駅を中心に開けた新しい街並みであるが、幸斗の住むマンションは普通に歩いても10分ほどはかかる場所にある。
足の不自由な弘明ならばそれよりももっとかかることは必定であるが、そのことをとやかく言うようなことはなかった。
それどころか、弘明の住んでいるアパートからは駅2つ分離れているために裕司としては足代わりの車を出すことも提案していたのだが、それを弘明自身が断っているくらいだったのだ
「あんまり健康的な生活とは言い難いからね。いい散歩代わりになるよ」
そう言って裕司にも幸斗にも気を使わせまいとしている弘明である。確かにそれも嘘ではないのだが、もう一つには先日の拉致の件を弘明自身も気にしていたからだろう。
あの時、幸斗がどんな目に遭っていたかなどは流石に聞いてはいなくても、そのことで傷ついていることだけは判っている。
だから少しでも今度こそ力になりたくて。
とはいえ、そんなことはおくびにも見せずに些細な話をしていれば、
―― RRRR…
不意に幸斗の携帯が着信を告げた。
一瞬、ドキッと驚いた幸斗だが、その着信を見れば一目瞭然に表情が綻んでいる。
そんな様子を弘明はニコニコと楽しそうに見ていた。
「裕司から?」
「はい、そうみたいです。すみません」
そう弘明に断ってから幸斗は電話に出た。
「はい、僕です。ええ、弘明さんなら来てくれていますが…え? あ、そうですか。いえ、大丈夫ですよ。はい、…じゃあ、お気をつけて」
勿論ここに弘明が来ていることは裕司も知っているはずである。
それを判ってかけてくるということは何かあったのかと心配した弘明だったが、
「裕司、何だって?」
「いえ、大したことでは…ちょっと今日は帰りが遅くなるそうです」
表向きはいくつかの店のオーナーという肩書の裕司であるが、夜の仕事も少なくないはずである。
だが、幸斗のためにできる限り時間をつくっているということは弘明も知っていたために、
「そっか。まぁたまには残業も仕方がないよね。でも、大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
そう応えながらも少し寂しそうな気配を感じた弘明は、あまり裕司が遅くなるようなら、今夜は自分の仕事の後にでもまたここに寄ろうかと密かに考えていた。






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初出:2009.05.10.
改訂:2014.11.08.

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