Amnesty 07


黒塗りのベンツが停まった先は純和風の屋敷だった。閑静な郊外にある片岡組の本家である。
本来であれば、乗り心地と安全性を追求されつくした車である。
しかも距離にしてほんの15分程度のドライブであれば余程車に弱い者でもない限り疲れるということはないはずだった。
ところが、
「「「お帰りなさいませっ!」」」
まるでバリケードを作るように黒いスーツ姿の体格のいい男たちが出迎えた中、ニッコリと柔らかい笑みを浮かべたのは芙美子だけだった。
「出迎えご苦労様ですね。麗香は帰っているかしら?」
「はい、つい先ほどお戻りになりました。今はお部屋にいらっしゃるはずです」
男たちの中でも一際抜きんでて威圧感のある大男がそう応えると、芙美子はチラリと後ろを振り返った。
そこには ―― 苦虫を噛みつぶしたような表情の裕司が立っている。
まるでグレて家出した子供が親に付き添われて帰って来たような構図である。
確かにここは裕司の実家で、しばらく留守にしていたのも事実だが ―― 勿論、家出していたわけではないのだ。
むしろ、子供の教育上良くないとか言われて追い出されたという方が正しいくらいなのだ。
何せ結婚前は浮名を流しまくった裕司である。
二つ年上の香織と結婚してからは一切夜遊びはしなくなっていたものの、数年前にその香織と死別してからはまた昔の悪い癖が出ていた。
それも ―― 元々裕司はバイではあったのだが ―― 相手は全員同性ばかりとなれば、これから年ごろを迎える一人娘の麗香にはお世辞にもいい父親とはいえないところだったのだ。
「別に香織に義理立てしてるってわけじゃないけどな。まぁアイツよりいい女ってのもいないからなぁ」
人生、楽しめるうちが花という信条を持つ裕司である。
勿論麗香にはバレないようにという配慮はしていたが、そこは幼いながらも女である。
何かおかしいと気がつくのは早かった。
そのため麗香の養育はこの本宅で芙美子が見ることになり、裕司は外にマンションやホテルなどを持つことになったのだが ―― 特に今回は、麗香の夏休みにも一切本家には顔を出さずに幸斗につきっきりであったため、流石に芙美子も見かねて一言いいたくなったというところらしかった。
勿論、裕司とて麗香には罪悪感を持たなかったわけではないのだが ―― 。
「裕司さん、まずは香織さんに挨拶が先ですよね。お話も仏間の方がよろしいかしら?」
「ああ、線香くらいは上げるが…正坐はこの長い脚にはきついんでね。居間の方にしてくれると助かるんだけどな」
「…仕方がないですね」
流石に香織の仏壇の前での説教は勘弁してほしい裕司である。
芙美子もそれはかわいそうと思ってくれたのか譲歩はしてくれたようだが、その譲歩が怖いということもある。
(ヤバイな、こりゃあ…マジに長くなるかもな)
ある意味、親には怒られ慣れている裕司であるが、それでもいい気はしないものである。
特に芙美子には幾つになっても実の親ながら頭が上がらないところもあり、内心では冷や汗ものである。
ましてやずっと芙美子が一緒にいるために幸斗に帰りが遅くなるという連絡もできないでいることを思えば、憂鬱になるなという方が無理というものだ。
ところが、そんな裕司の心境を察したらしく、
「すみません、姐さん。1件、仕事の電話を入れなくてはいけないものですから…お先に上がってください」
思い切り渋々という様子が見て取れながらも続いて家に入ろうとしていた裕司だが、その後ろに控えていた大前がそう芙美子に伝えると、一瞬怪訝そうな顔をしながらもすぐにニヤリと口元を緩ませた。
「そ、うだったな。あの件だよな。うん、俺もすっかり忘れるところだったぜ」
「申し訳ありません、つい失念しておりまして…」
頭を下げる大前の表情は見えないが、少なくとも裕司の方は態度が変わっている。
その白々しさに、勿論気づかない芙美子ではないところだ。
だが、
「…そうですか。では私も先に着替えてきましょうか。後ほど居間の方に参ります」
あえてそう告げると、芙美子は出迎えに来た者たちまで下がらせた。
その配慮には ―― 思い切りバレているというのが見えすいており、大前も本気で頭の下がる思いだった。
(すみません、姐さん)
尤も、
「折角ですから、今日は夕飯にお寿司でも取りましょうかね。大前も勿論一緒に食べてお行きなさいな」
「…はい、ありがとうございます」
本家のことだからそれは値のはる寿司であることは間違いないはずだが、味わって食べるゆとりはないだろうなと確信する大前だった。
そんな大前に ―― とりあえずは仲間がいると安心したのか、裕司はニヤりと笑みを向けると玄関先からちょっと離れ、携帯をかけた。
勿論かける先は、幸斗の携帯だ。
「…ああ、俺だ、幸斗。実はちょっと外せない仕事が入って…先輩、来てるんだろう? なんだったら、俺が戻るまで居てもらうか? いや、それならいいが…ああ、悪い。なるべく早く片づけて帰るからな」
別に隠すつもりではないが、あの遠慮深い幸斗のことだ。実家にいるなどといえば変に気を回すだろうと思って「仕事」と言った裕司だが、事実、気分はそんなところだった。
(まぁいずれは話すとしても…もうちょっと落ち着いてからがいいよな)
そうして名残惜しそうに携帯を切り、意を決して家に入ろうと振り向いたその時、
「お帰りなさい、パパ」
いつからそこにいたのか、にっこりと満面の笑みを浮かべた麗香が立っていた。






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初出:2009.05.17.
改訂:2014.11.08.

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