Amnesty 08


先に寝ていてもいいとは言われていたがそれを素直に聞ける幸斗ではなく、ぼーっとリビングでテレビの画面を眺めていた。
しかし、流石に野球中継の延長のために繰り下がっていたスポーツニュース番組も終わってしまうと、幸斗はチラリと時計を見てからテレビの電源を落とした。
そろそろ日付も変わろうとする頃合いだ。だが、裕司の姿はまだ戻ってこない。
『悪いな、もうちょっと遅くなりそうだ。俺の方はメシを食って帰るが、幸斗もちゃんと食うんだぞ?』
『もう風呂に入ったか? ちゃんと髪を乾かしておけよ?』
『先に寝てていいからな。帰ったら起こすかもしれないけどな』
(裕司さん、お仕事が忙しいのに…)
遅くなると聞いていたので単純にそれは仕事なのだろうと思っていた幸斗である。
何度も連絡をくれる裕司の心づかいはくすぐったいほどに嬉しくて、それだけでドキドキとしてしまい、眠気などなくなってしまうほどだった。
それに ―― こうして裕司の帰りを待つということが、今の幸斗にはささやかな幸せでもある。
(夕飯は食べて帰るって言ってたけど…お酒は飲むかな? ビールは冷やしてあったはずだけど、ちょっとつまみになるようなものでも作っておこうかな?)
傍から見れば、まるで新妻のようなものだろう。
幸い材料だけはしっかりとあるのでそうしようかと立ち上がった時、わずかに玄関の方で気配が揺らめいた。
―― …カチャッ…
いつもならエントランスのオートロック前から連絡を入れる裕司だが、今日は幸斗が寝ていると思ったのだろう。
自分でカギを開けてドアを開けると、果たしてそこにいたのは幸斗が待ち続けていたその人だった。
「あれ? なんだ、待っててくれたのか? 寝てても良かったのに…ありがとうな」
どんな些細なことでも、裕司は幸斗が何かをしてくれた時には必ず礼の言葉を忘れない。
そして幸斗にとっては、その一言が何にもまして喜びだった。
「いえ、そんな…お疲れ様です」
誰かに微笑んで労うなどもう何年も忘れていたはずなのに、相手が裕司だと自然にできる様になっていた。
それも、以前のようなどこか寂しげなものではなく、心から嬉しそうな表情である。
そんな幸斗の変化には裕司も心から嬉しいと思うし、もっと増やしていきたいとも思うところだ。
そう、できれば自分の手で ―― 。
(かなり落ち着いては来ているが…まだ焦ってもしょうがないしな)
こうして家で帰りを待っていてくれるという慎ましやかなところも勿論好みだが、外でのびのびと自由に振舞う姿も見てみたいと思うのも事実である。
尤もそうなればなったで、某年下の友人のように恋人のことが心配で気が気でなく、束縛したいと思うようになる可能性もないとはいえない所でもあるのだが。
(まぁいい、慌てることはない。今は幸斗を安心させてやることが一番だからな)
それに、自分はアイツとは違って大人だからなと。
そんな子供染みた張りあいを思うと、ちょっと照れ隠しするように幸斗の頭をクシャッと撫でた。
「今日は何してたんだ? ああ、先輩が来てくれたんだよな」
「はい、美味しいロールケーキを頂きました。裕司さんの分も取ってありますよ」
見かけによらず甘いものは割と好きな裕司である。幸斗も勿論そのことは知っていたのでそう言ったのだが、
「そっか、サンキュ。あ、でも、この時間で食ったら太るか?」
この年でメタボは不味いななどと笑って言う裕司だが、勿論そんな傾向などあるはずもない。
どちらかといえば着やせするタイプで、服の下は綺麗な筋肉が程よくついているのを幸斗も知っていた。
「そんな、裕司さんが太るなんて…想像できないですよ?」
「そうか? じゃあ…ま、いいか。疲れたときには甘いものだもんな。幸斗もつきあってくれよ?」
「…はい。じゃあ、紅茶でも淹れましょうか?」
「そうだな…とりあえず、先に一風呂浴びてくるぜ。すぐに出るから、用意しといてくれ」
そう言ってスーツの上着とネクタイをリビングのソファーに投げると、裕司はバスルームへと消えていった。
そんな裕司を見送って、幸斗が裕司の服を片づけようと手を伸ばすと、
―― カサッ
スーツのポケットから小さく折りたたまれた紙が落ちた。
それは俗にコピー用紙というような白い紙で、幸斗は何かの書類かとも思いながら開くと、
「え?」
最初に目に飛び込んできたのは、『保護者各位』宛てに向けられた『運動会のお知らせ』という表題である。
(運動会って…小学校の? え? 何でこんなものが裕司さんのポケットに…?)
裕司と小学校という組み合わせが全くつながらなかった幸斗である。
わけも判らずに表面の文字を眼で追っていたが、最後に幼い子供の文字で書かれたメッセージを見て、愕然としてしまった。
『パパ、ぜったいにみにきてねっ! れいか』
それは女の子らしいピンクのペンで書かれた可愛らしい文字であった。






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初出:2009.06.14.
改訂:2014.11.08.

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