Amnesty 09


翌日もいつも通りに大前が裕司を迎えにきたが、流石に昨夜の夜更かしが祟ったのだろう。
裕司は眠気が覚めきらぬ様子で出かけることを渋っていた。
「だってなぁ、昨日はすっげぇ疲れたんだぜ。お前だってそうだっただろう?」
昨日のことについて言えば、費やした時間の長さよりも対応した相手とのことの方が疲労の原因というものである。
しかも一人で小言を聞くのは勘弁してほしいと大前を巻き込んだ裕司であったのだが、そんなことはすっかり忘れてしまったかのうように、まるで同病相憐れむ被害者同志とでも言うような口調である。
おかげで、
「それは否定しませんが…それとこれとは別です。今日は例の改修工事の打ち合わせが入っていることは覚えていますね?」
確かに昨夜は気を使い過ぎて疲れきっていたのは事実なのだが ―― そもそも誰のせいですかと、大前は表情で訴えた。
裕司とはもう長い付き合いの大前である。
何かあれば仕事をさぼりたがるところのある裕司だが、事の優劣はしっかりわきまえているのも事実なため、我儘を言いながらも最終的にはちゃんとやることは間違いないはずだった。
「う…そうだけどな…」
「本日の決済が遅れると、それだけ納期も遅れます」
「…」
「納期が遅れれば、それだけ開店も遅れます」
「…判ってるよ」
今問題になっているのは、持ちビルの一つに新しくオープンさせる予定のショットバーである。
法律の関係上、店の改装が済んでから営業申請となるために、それが終らなければいつまでたってもオープンできないのだ。
勿論そのことは重々承知している裕司であるのだが、眠いものは眠いのだ。
それに、
(幸斗の様子が変なんだよな。気のせい…とも違うと思うし)
そう、なんとなく、幸斗の表情に屈託があるのだ。
昨夜帰ってきた直後は気がつかなかったが、寝る前に土産にもらったというロールケーキの味見をしている時から何となく違和感があった気がする。
それは今朝起きてからも僅かながらに感じるもので、
(俺が帰ってからシャワーする間に何かあったか? いや…思い当たる節はないんだけどな)
例えばクラブなどに行ってきた後なら、ホステスの移り香に気がついて焼餅などというベタな話も想像できるが、生憎昨日裕司が出かけていたのは実家である。
色恋沙汰には全く無縁のはずだ。
大体、一人で外に出ることもなくこの部屋で一日を過ごす幸斗である。
外からの刺激といえばいいところテレビかベランダから見れる外の風景くらいなものであるが、幸斗が気を病むようなことがあるとは到底思えなかった。
そんな風にあれこれ考えてはみたものの、心当たりが思いつかない裕司であれば仕方がない。と、なれば、
(あとで、先輩に連絡してみるか)
恐らく人となりのせいだろう。
弘明には誰もが相談を持ちかけて行きたくなるような雰囲気があるらしく、店は勿論のこと、幸斗も裕司とは別の意味で懐いている様子だった。
勿論できればなんでも自分に言って欲しいところだが ―― それはまだ、ゆっくりと時間をかけていくしかなさそうだった。
「…しょうがねぇな。もっかい、シャワーしてくるわ。幸斗、大前にコーヒーでも淹れてやってくれ」
「…はい」
なんとなく居心地が悪そうな幸斗にそう告げて裕司がバスルームに消えると、大前はコーヒーの用意をする幸斗を見ながら内心で納得していた。
裕司が出かけるのを渋った原因が、昨夜の寝不足などではなく幸斗に起因していることは既に判っていた。
(確かに…今日はまた少し変だな)
何度もここに迎えに来ているために、大前も幸斗の性格などはかなり把握してきている。
ましてや裕司の補佐という立場上、二人を同時に見ていれば判らない方がおかしなくらいと言っても過言ではないだろう。
裕司がどれほど幸斗を可愛がっていて、幸斗がどれほど裕司に好意を抱いているか ―― など。
ただ、過去のことなど幸斗には抱えている闇が大きすぎて、今は好意を表に出すよりも嫌われないようにという思いの方が重く圧し掛かっているようである。
まるで、いつかはその重みで幸斗自身が潰れてしまうのではないかと思えるほどに。
(本当に危うい子だな)
それでも、やはり何か悩んでいるようで。
幸斗は裕司の消えたバスルームの方を切なげに何度も視線を向けていた。






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初出:2009.06.21.
改訂:2014.11.08.

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