Amnesty 10


裕司からの連絡で昼過ぎには幸斗のところに顔を出していた弘明だったが、いざ部屋に入れば何を言って良いのか判らなくなってしまった。
確かに今日の幸斗はどこか元気がなく、悩み事があるのは明らかである。
しかし、
(うーん、下手に突いて泣かれるのも困るしなぁ…)
遠慮がちで控え目な性格の幸斗である。
素直に打ち明けるとは思えないどころか、逆に追い込んでしまいそうな不安の方が大きいくらいだ。
そのため、
「き、昨日は裕司の帰りが遅かったんだってね。じゃあ、幸斗君も寝不足かな?」
「いえ…大丈夫です」
「そう? ちょっと顔色が悪い気がするけど…」
もしかして悩み事でもあるの?と繋げようとした言葉だったが、
「そうですか。すみません、御心配ばかりかけて…」
そう言ってシュンと項垂れてしまえば、それ以上突くのは気が引けてしまった。
「う、ううん、気にしないでっ!」
慌ててぶんぶんと手を振りながらフォローしてみるが、肝心の幸斗はまるでしおれた花のようだ。
どこか危なっかしくて、弘明でも保護欲をそそりそうな幸斗であるから悩み事があるのなら何でも相談に乗ってあげたいと思うのは間違いはなくても、聞いてあげるのと聞きだすのとでは話が異なるものだ。
(裕司ってば簡単に言ってくれたけど…僕、カウンセリングのプロでもないんだし!)
確かに店のホストなどからもよく公私にわたる相談を受けることの多い弘明だが、それは弘明の方から聞き出すのではなく、相手の方から言い出し、聞いてもらうというパターンがほとんどなのだ。
穏やかな性格でどんな話でも親身になって聞いてくれる弘明であるから、話しやすいということもあるのだろう。
つまりは聞き上手ということなのであって、聞き出し上手というのとではちょっと違うようだ。
しかも、
「…僕、皆さんにご迷惑ばかりかけてますよね。本当にすみません」
「いや、そんなこと…」
ないと言葉にするのは簡単だが、この状況でそういうことは明らかに社交辞令としか聞こえないだろうし、ただ肯定すればますます幸斗を追い詰めそうな危うさがあるのは間違いがない。
手負いなどという生易しいものではない。
他の人間にとってはほんの些細な一言でも、幸斗に対してはどこで致命傷となるか判らないほどに繊細なのだ。
そうして言葉に詰まってしまうと、残ったのは気不味い沈黙だった。
(うーん、どうしよう。これじゃあ…)
圧し掛かってくる沈黙と、息が詰まりそうなプレッシャーが襲ってくる。
それをなんとか払拭しようと、話題を探していた弘明だったが、
―― ピンポーン…
痛い沈黙を破ったのは、不意に鳴らされたチャイムだった。



事務所に着くなり弘明に連絡を取り、幸斗の様子を見てくれるように頼んだ裕司だったが、流石にそれだけで全てが解決するなどとは思っていなかった。
「やっぱり、俺が一度、腹割って話した方がいいかもしれないな」
この日の最も重要となっていた打ち合わせを終わらせた帰りの車の中で、ふとそんなことを呟く裕司に、
「それは…幸斗さんのことですか?」
質問というよりは確認という方が正しい大前の問いかけに、裕司は苦笑を浮かべるしかなかった。
幸い仕事の打ち合わせの方は大前が事前に根回しと準備をしていたこともあって問題なく済んだから良かったものの、裕司がどこか上の空だったことは明らかであった。
正直に言って、会議の内容だって殆ど覚えていないくらいだ。
まさかここまで幸斗にのめり込むなど、当の本人である裕司が一番驚いているくらいだろう。
「幸斗さんに、昨夜のことはお話しされたんですか?」
「いや…もうちょっと落ち着いてからの方がいいかと思ってな」
「姐さんは無理強いはされないと思いますが、麗香お嬢さんのことを考えますと、やはりそれなりに手は打った方が宜しいのではないですか?」
「ああ、判ってる。だけどな…」
未だに一人では外に出られない幸斗である。
元々人見知りをするようでもあるところに、自分の親や娘を逢わせるというのはやはりまだ時期尚早な気がしていた。
昨夜の件 ―― 芙美子からの呼び出しは、幸斗を自分や娘の麗香に引き合わせろということだった。
芙美子にとっては裕司は息子ではあるが、もう子供という歳でもない。
だから誰と付き合おうと反対する気はないが、挨拶くらいは良いだろうというのが芙美子の言い分である。
それが、言われてみれば尤もでもあるから、厄介だった。
幸斗が未だに不安を抱えているのは、裕司に対して負い目を感じているからだということも判っている。
それを払拭できない限り、本当に心を開くということもできないことだろう。
そしてそんなことは、人を観ることに対しては定評のある芙美子であれば、恐らく一目で見破られてしまうはずだった。
「姐さんも幸斗さんの事情はご存知のはずですから、何か考えがあってのこととも思いますが…」
「ああ、そうだろうとは思うけどな」
無理強いはしたくない。
泣かせたくない。
辛い過去など、思い出させたくもない。
だからこそゆっくり時間をかけてと思っていた裕司だったのだが、どうして回りはこうも煩いのだろうと、腹立だしくさえ思えてしまう。
「全く、急いてはコトを仕損じるってのを知らないのかよ、ウチの連中は…」
そんな風に愚痴を呟く裕司に、大前は苦笑を浮かべるしかなかった。
いつもなら急かすのは専ら裕司の方であるというのに、本当に調子のいいものだ、と。
しかし、
―― BRRRRR…
不意に携帯のバイブレーションが入り、その着信画面を見た裕司は車の中だというのに思わず立ち上がりそうになるほどに驚いた。
それは、
『パパへ。れいか、パパのマンションに遊びに来てまーす。ユキくんと待ってるから、早く帰ってきてねv』
可愛らしいデコメールの送り主は、裕司の一人娘、麗香であったのだった。






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初出:2009.06.21.
改訂:2014.11.08.

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