Strategy 07


12月にはいると、街は一気にクリスマスムードに染まりつくされていた。
通りにはこの不況をあざ笑うかのようなイルミネーションが溢れ、誰も彼もが浮き足立っている。
そんな光景を車の中から何気なく見送りながら、悟は酷く憂鬱な表情を隠すことはなかった。
「やはり、私が参りましょうか?」
運転している飛島が、心配そうに声をかける。しかし、
「いや…お前は車で待っていてくれればいい。そんなに長くはならないはずだから」
「ですが…」
「くどいぞ。いいって云ったらいいんだ」
そう言い放つと、悟は疲れきった表情を窓外に向けると、それきり黙りこんでしまった。
車の窓ガラスに映る表情には、明らかに疲れと苛立ちが現れている。
その理由と原因を熟知している飛島にしてみれば、できることならこのまま悟を連れ出して、ゆっくりと休ませてやりたいのは当然であった。
しかし ―― 今はまだそれができないがゆえに、自分の非力さが口惜しい。
どの企業でもそうだが、年末というだけでなぜか仕事は忙しくなる。
おそらく日本人全体の性格なのだろう。
誰も彼もが「年内に何とか」とケリをつけたがり、そのしわ寄せは順繰りに組織の下層へと落ちてくる。
それは悟が社長を勤める葵建設でも例外ではない。
その上、例の週刊誌によるバッシングの煽りで潰れた仙台の件が、かなりの大穴を開けることになるのは確実となっていた。
本来なら、確かに赤字にはなるがここまで大きな穴になるはずはなかった。
それが社長の悟までもが連日の残業に、社員のリストラも考えなくてはいけないほどの窮地に立っているのは、一重にこれを推し進めていた柏木の横領によるものである。
当然、柏木は懲戒免職 ―― クビにしてある。
だから退職金も支払う必要はなく、そのことは怜子にも納得させている。
そして本来であればその金でいくらかの穴埋めはできるはずだったのだ。それを ――
(あの女ギツネめ…こっちの足元を見やがって…)
元はといえば柏木を葵建設に入れることになったのも怜子の差し金である。
その柏木の不始末であるのだから、怜子にも責任はあるはずだった。
そもそも柏木などという男が怜子の言いなりで働いていたことなど既にお見通しというものだ。
柏木が着服したといわれているうちの何パーセントかは怜子の懐に ―― 小柴の中枢に戻るべく柏木が工作していたのは確実であるから ―― 入っているはずである。
そして、それらのことがわかっているのに、ただ証拠がないというだけで逆にこちらが不始末に対する侘びを入れなくてはならないなど、腹正しいことこの上ないのは当然である。
しかも今日の呼び出しは小柴建設の本社ビルではない。小柴組の組長本宅である。
(くそう…やっぱり1人でくるべきだったな)
ここのところの激務で、若干体調を崩している悟である。
それを心配した飛島が、最初は自分がいくといって聞かなかったのだが、それだけは悟も許さなかった。
「俺は…どうせヤクザの血筋だ。だがお前は違う。絶対に組には関わるな。どうしても関わるって云うなら、お前もクビだ」
そう云われれば ―― クビになることなどはなんとも思わない。
ただ、悟の側にいられなくなることが飛島には耐えられない。だから100歩譲って送迎をすることだけは納得させたのだ。
せめて、ここで見守っていると伝えたかったから ―― 。
やがて豪奢な屋敷に着いた車からはアタッシュケースを持った悟だけが降り、振り向きもせず邸内に入る後姿を、飛島の悲痛な目が見守っていた。



小柴の本宅は、つくりだけは立派な和洋折衷の屋敷である。
ヤクザという家柄のせいか門構えや玄関などは和風であるが、辛気臭さが気に入らないという怜子の意向で中は殆ど洋風に改装されている。
それがいかにもアンバランスで、悟に言わせれば『成金の低俗趣味』と言うものである。
「おいでなさいませ。会長がお待ちです」
玄関に入るとすぐに屋敷着きの若衆が出迎える。
一見して極道と知れる体格とニコリともしない表情に、普通のカタギなら震え上がるところであろう。しかし、
「出迎えご苦労」
全く動じない悟の態度に、却って若衆のほうが驚きを隠せない。
「どうした? 案内はなしか? まあ俺はそれでも構わんが」
「あ、いえ、失礼いたしました。すぐにご案内します」
いくら組長の息子とはいえ、悟は極道ではない。あくまでもカタギのサラリーマンである。
しかし流石血筋というべきか、強面の連中を前にしても全く動じることはない。
外見は、母親似の優男にしか見えない悟である。
健康そうに日焼けはしているものの細身で髪も明るい茶色に染めているから、寧ろサラリーマンというよりはメンズモデルやタレントと言ったほうがピッタリ来る。
そんな軽いイメージが離れない外見であるから、事情を知らない組員から絡まれることも多々あるが、生来のケンカ速さと強気な態度で打ちのめされた者も数多いのは事実である。
中にはそんな悟に傾倒して、跡目にと推したがっている幹部もいるという噂もあるが、当の本人はそれを一切固辞している。
最近では怜子の影もちらつくため、表立っての行動は控えられているということもある。
そもそも、本妻である怜子に子供がおり、それが小柴の長男であるのだから本来は跡目問題など起きようがないはずである。
悟も小柴に認知はされているが、籍は入っていないのだ。書類上はあくまでも他人であるし、本人は組にさえ入っていないのだから。
それなのにそんな話が持ち上がるのは ――
「あぁ、悟、元気だったぁ?」
案内された部屋の近くまで来たとき、その部屋から出てきた人物がいた。
小柴昭彦。怜子の息子で小柴の若と呼ばれる男。つまり、悟の異母兄である。
「僕も悟とお話がしたかったんだけど、ママがだめっていうんだぁ。たまには僕のところに遊びにきてよぉ」
「そうですね、お義母様のお許しがでましたらお邪魔させていただきます」
「うん、絶対だよ。じゃあねぇ」
半分は同じ血が流れていると到底思えない義兄である。
身長は悟のほうが頭一つ分ほど高いが、横幅は優に二倍以上昭彦が上回っている。
あの美貌で男たちを手玉に取っている怜子の血が入っているということさえ信じられないだろう。
妙にふやけた白い肌はとけかかったラードのような脂肪に包まれ、いつも口元をもぐもぐとさせているところはさながら鈍牛を思わせる。
この義兄だからこそ、流石に怜子の言いなりになっている組員たちでも将来に不安が隠せないのだ。
「失礼します。高階さんが参られました」
案内してきた若衆がドアをノックすると、悟は返事も待たずに中へと入っていった。






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初出:2003.06.25.
改訂:2014.10.25.

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