Strategy 10


やがて車に戻ってきた悟はひどく不機嫌で、飛島は黙って車を走らせていた。
既に時間は21時を回っている。当然のように小柴の屋敷で食事などしてきたわけではないから悟も空腹を感じている。
それは飛島も同様のはずだが、相変わらずのポーカーフェイスぶりにそんな気配すら見せてはいない。
「おい、邪魔の入らないところで食事がしたい。適当なところに回してくれ」
「判りました」
仕事柄、料亭などには詳しい飛島である。
悟とともに訪れたのもそんな店の一つで、手際よく奥座敷の個室を押さえていた。
「何になさいますか? ここは蟹尽くしのコースがお薦めですが」
「ああ、じゃあそれでいい」
「お銚子でもつけますか?」
「そうだな、任せる」
悟はアルコールには強くない。
飲めないことはないのだが、自分の量というものを弁えないので危ないことこの上ない。
そのため飛島からは決して自分と以外の人間とでは飲まないように言い含められていた。
実際、飛島以外の人間と飲んでも面白くないということもあったが ―― 。
しかも学生時代とは異なり、就職してからの飲む機会といえばどうしても楽しい酒になることはないため、身体に良くないのは言うまでもない。
尤も、この日も体調は決してよくはなかったのだが ―― 。
飛島が適当に注文して、取りあえずお銚子が運ばれてくると、悟は手酌で2、3杯煽って喉を潤した。
その様子から、悟が機嫌の悪い理由を察した飛島は、仲居が料理を運び終わるのを待って折れて見せた。
「どうしたんです? 随分とご機嫌が悪そうですが…小柴のほうからなにか言われたのですか?」
「ふん、そんなこと…もうお前にはわかってるんだろ?」
少し酔いが入ったのか、悟の瞳はやや潤んで見える。
ただ口調は相変わらずというより、むしろ幼い子供が拗ねたような響きをもっていた。
「おや…もしかして、バレましたか?」
「ああ、帰りの玄関で気が着いた」
そう言って悟がポケットから出したのは、飛島が仕掛けていた盗聴器であった。
「変だと思ったんだ。いつもならわざわざ出向くことはないって言い張るお前が、今日に限って最初から『車で送る』だったからな」
「流石ですね。それで、どこまでお気づきになりました?」
盗聴器まで用意しているという時点で、悟には飛島が何かを企んでいるということはすぐに察しがついた。
となれば、他にも既に手を打っていることもあるはずと勘繰るのも当然である。
「まさかとは思ったが、今ので確信したな。例の週刊誌の記事もお前の仕業だな」
悟が策士になりきれないのは、笑って人を騙すということができない性分だからである。
頭のキレや回転の速さは、決して飛島に劣るものではない。
ただどうしても感情を優先してしまう傾向にあるので、特に小柴関係となれば冷静さを欠くことは間違いない。
それがわかっているから、あえて飛島も悟にはなにも告げずにことを起こしてきたのである。
「…もともと問題になりつつあったんですよ。ただ、小柴のほうではそれを力ずくで隠そうとしている様子だったので、組が動く前に新聞社に教えてやっただけのことです」
一方の飛島は、憎らしいほどに冷静である。
全てはビジネスと切り捨てるような口調は悟の好むものではないし、あの件以来、会社が不安定になっているのは事実である。
「仙台の件は? あれも潰したのはお前か? なんで…」
「あの時点で潰さなければ、あれは取り返しのないことになっていたかもしれません。お叱りは受けますが、後悔はしていません」
あの時点で潰さなければ、会社は用地買収にともっと金をつぎ込むことになる。
その金は当然のように柏木の懐を潤し、しいては小柴への裏金になっていただろう。
そうなれば、例え土地が入ったとしても建築材料や外注費等のコストを下げなければ利益は望めない。
当然、手抜き工事や欠陥建築となるのは目に見えていた。
「小柴建設が欠陥建築を幾らやろうと構いませんが、葵建設までそれに付き合うことはありません。貴方が柏木の尻拭いをさせられるなど、私には我慢できませんから」
部下の不始末は上のたつものが責任を取ることになるということは常識である。
しかし、悟の名誉を傷つけるようなことを、飛島には看過することはできるはずもない.
それに ―― 実はそもそもの建築計画が飛島には気に入らなかったのだ。
あの土地に高層マンションを建てると、景観が著しく損なわれるのだ。
特に、
(あのマンションが建てば、あなたのお母様の眠られる霊園から、青葉城が見えなくなるんですよ)
それが本当の理由であることは、決して口に出さない飛島であった。






09 / 11


初出:2003.07.09.
改訂:2014.10.25.

Fairy Tail