Strategy 16


社長室もそうだが、会長室も成金趣味としかいえないようなごてごてとした低俗な装飾に満ちており、悟は一歩入った瞬間から胸糞の悪さを感じていた。
もともと建築関係には精通している悟である。
そのつながりでデザインやコーディネートの勉強もしており、こういった趣味の悪い部屋はその感性まで汚されそうな気がして居心地が悪い。
尤も一番の原因はそこに安住してふんぞり返っている男の存在だった。
「おお、悟、よく来たな。さ、こっちにおいで」
声をかけられた瞬間、悟はゾッと背筋に寒気が走った。
「…失礼します」
それでも言われたとおり、示されたその男の前に座る。
小柴昭二。小柴組の現組長で小柴グループの会長。
そして、生物学上の悟の父親である。
若かりし頃はかなりの武道派で知られた猛者であったらしいが、67歳という高齢の今は荒淫と自堕落な生活に慣れきってしまったため、今はその面影すらない。
衰えた筋肉の変わりについたぶよぶよとした脂肪に、年齢を感じさせない脂ぎった艶は、不健康を通り越して生理的な嫌悪感さえ催す。
「会社のほうも、なかなか大変だそうだな。リストラはうまくいっているのか?」
まるで他人事のようなものの言い方に、その件はちゃんと報告しているだろうと言いたいが、ぐっと堪えて冷静を保った。
「はい、何とか。ただこの不況ですから、再就職できる人間も限られています。今しばらくは苦しい状況であることは変わりないと思います」
「そうか、大変だな。お前も色々と気苦労が絶えないだろうな?」
小柴はそう言うとテーブルにあったウイスキーのボトルを手に取り、グラスに注いで一つを悟へと差し出した。
「たまにはゆっくり親子で話し合うというのもよいかと思ってな」
その台詞に、妙な悪意を感じた悟はすぐさま断った。
「折角ですが、勤務中ですので」
「良いではないか、一杯だけじゃ」
既に小柴のほうは何杯か飲んでいるらしく、吐息にアルコール臭が混じっている。
しかし、それ以上に何かを企んだような視線を感じ、悟はあえてグラスには手を出さず、席を立った。
「すみません、酒の付き合いでしたら遠慮させてください。お話はこれだけでしたら、失礼させていただきます」
畳み掛けるようにそう言うと、しかし、小柴はゆったりとした口調のまま悟を引き止めた
「まぁ待て。肝心な話はまだだ。だが、一杯くらいは飲んでもらわんと、儂も話しにくくてな」
にやりと下卑な笑みを浮かべる小柴に悟は今すぐにでも逃げ出したいような嫌悪感を感じた。
そのため席を立ったままグラスに手を伸ばすと、一気に琥珀の液体を喉の奥に押しやった。
「おお、いい飲みっぷりではないか」
「…お話をお早めにお願いします。まだ社で仕事が残っておりますので」
もはや取り繕うという気もなく、席は立ったままである。
しかし、
「そう急ぐこともあるまい? 仕事など、儂の用だといえば済むことだ」
「お言葉ですが、新年度を迎えて今が正念場です。葵建設の先行きのこともありますし」
普段の悟であれば、それは足元を掬われ兼ねない言いようであったが、既に気分が高揚しきっていた。
これもやはり慣れないアルコールを摂取したためであろうと自覚し、ついでにこのまま帰ってしまおうと足を踏み出した。
ところが、
「 ―― え?」
一瞬にして目が回るような浮遊感と背筋が凍りつくような違和感が全身を駆け巡る。
平衡感覚が失われて、悟はその場に跪くように膝を着いた。
「何…をした?」
先程のアルコールに何か入っていたとしか思えない。荒い息を肩でつきながら、悟はキッと小柴をにらみつける。
「ほう、まだ正気か? 大したものだ」
小柴はゆっくりと立ち上がると、うずくまった悟の顎に手をかけ、自分のほうへと向けさせた。
「何、ちょっと儂の思い通りになるクスリをいれてやったまでのこと。おまえも母のように、儂が可愛がってやろうと思ってな」
「な…だと…、ふざける…なっ!」
自分に伸ばされた小柴の腕を振り払い、その拍子に、テーブルのグラスが派手な音を立てて床に落ちて行った。






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初出:2003.07.19.
改訂:2014.10.25.

Fairy Tail