Strategy 17


―― ガシャーン!
力の限りに小柴の身体を押しのけた拍子に、テーブルの上からはグラスが派手な音を部屋中に響き渡らせていた。
その音を聞きつけて、
「失礼します!」
非礼も省みず会長室に飛島が入ってくる。そして、部屋の様子を一見するなり、すぐに悟のもとへと駆け寄った。
「社長、いかがされました? お具合でも悪いので…」
そんなことではないことは十分承知している。しかし、
「すぐにここから出して差し上げます。何もおっしゃらず、自分にお任せを」
そう耳元で囁くと、がくがくと震えながらも悟はわずかに頷いた。
その間に、小柴はなんとか体勢を立て直し、忌々しげに舌打ちを見せた。
飛島に対する視線には、どこか獲物を奪われた肉食獣のようなギラギラとした残忍さがにじみ出ている。
「やはり体調が悪かったようですね。会長もお怪我はありませんか?」
暗にそれは、今のこの状況が突然体調の不良が現れた悟を小柴が助けようとして力が及ばなかったというようなもので、飛島と共に部屋に入ってきた連中もそう受け取って小柴を助け起こしている。
もちろんそんなことが全くのでたらめであることは、言った飛島本人と成り行きで一緒に入ってきた笹川には判っていただろう。
だからこそ、余計なことは言うなとでも言わんばかりに、小柴に冷ややかな視線を向けて警告していた。
「あ、ああ…」
それに気が付いた小柴も、流石にここで真実を言うのは控えている。
そして、その先は既に飛島が主導権を握っていた。
「本日はこれで失礼します。後日改めましてお詫びに参上しますので」
そう切り替えされてしまえば、もはや小柴としても手の出しようがない。
飛島の方も言うだけ言ってしまえば返事など待たずに悟を外へと連れ出していた。
エレベーターのスイッチを押し、中に入るとそっと悟の身体に触れてみる。
その途端に、ビクッと傍目から見ても判るほどの震えが伝わってきた。
「大丈夫ですか? 一体何を…」
「…何でも…ないっ!」
そう答えながらも、力の入らない身体は飛島の支えがあって初めて平静を装えるようなものである。
すれ違うほかの社員が流石に訝しげに見送るが、そんな視線さえ今は気にならなかった。



シャワーを浴びて身づくろいをする男の背後に、怜子はそっと近づいてその首に白い腕を絡み付けた。
「ねぇ、センセイ。どうしてもだめなんですの?」
既に50の坂を越えているとはいえ、怜子の肢体はいまだ美しい艶と張りを保っている。
手に吸い付くような肌のすべりに、虜にならない男はいない。
しかし、その肢体を持っても男の答えは変わらなかった。
「既に八割方は話がまとまっているからな。よほどのことがない限り、覆すのは難しいんだよ」
「そこを何とか…センセイのお力で…」
「余程のスキャンダルでもおきて辞退するようなことがない限りは、無理だな」
怜子の望む答えは出さなくても、その肢体は存分に味わっている。
今もスーツを着込んだ上でその豊満な胸を鷲づかみにし、壁に押しつけると朱鷺色の乳首を口に含んだ。
「ああ…ん、センセ…」
「次にいい話があったら回してあげるよ。今回は諦めなさい」
そう言って怜子の身体から離れると、何事もなかったように部屋をあとにした。
「ふん、使えないわね…」
男が出て行って、もはや戻ってこないと確信すると、怜子は忌々しげに乱れた髪を掻き揚げて、そのままバスルームへと向かった。
怜子がこの部屋に引き込んでいたのは、地元を基盤とする宮島という代議士である。
宮島とはかつて怜子がホステスをしていた頃からの付き合いがあった。
当時は先代議員の秘書をしていた宮島のために、大物議員とベッドを共にして情報を入手してやったこともある。
もちろん、宮島本人と寝たのもこれが初めてではない。
怜子が身体を提供し宮島が便宜を図るという構図は、小柴建設創立以来の常識と言ってもいいほどであったから。
バスルームの鏡には怜子の白い身体が映っている。
ブラをしなくてもツンと上がった豊満な胸にくびれた腰、形のいいヒップラインと自慢の身体である。
この身体で一体何人の男を我が物にしてきたことか。
怜子の実家は小さいながらも堅実な輸入販売を行っていた。
ところが、怜子が大学を卒業した年に荷物を運んでいた船が転覆し、一気に実家は倒産した。
怜子自身も有名商社への就職が決まっていたにも関わらずその煽りで白紙撤回され、残ったのは多大な借金だけだった。
両親は死に物狂いで働いたが、利息を返すのが精一杯で、最後は己の保険金に頼るしかなかった。
無論、それでも借金はなくならず、怜子は水商売に走った。
幸いこの美貌ですぐに店のNo.1に抜擢され、更には小柴組組長の目に留まった。
そして、
「そうよ、あんな貧乏暮らしは真っ平。私には似合わないのよ」
そのためなら、使えるものは何でも利用してやる。この身体だって例外ではない。
今回は例の首都圏再開発計画に小柴建設を参画させるために宮島を招きいれた。
しかし、所詮は一地方出身の代議士である。そう簡単にことは進まない。
だとしたら次は ―― ?
あと残された手といえば、この計画を手中に抑えている藤代興業を蹴落とすしかないというものである。
備え付けのバスローブを羽織ってリビングに向かうと、怜子はワインをグラスに注いで飲み干した。
そして携帯の電話帳から栗原の名を見つけ出すと、ためらいなくその番号をコールした。
「私よ。宮島の方はどうも無理みたい。やはり藤代を消すしかないわね。ええ、早急にやって頂戴。多少、荒っぽくても仕方ないわ」
(そう、私の邪魔をするものは許さない)
怜子は冷えた身体を抱きしめて、再びグラスに赤い液体を注いでいた。






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初出:2003.07.23.
改訂:2014.10.25.

Fairy Tail