Strategy 19


北関東も梅雨入りとなり、決して強くは無い雨が連日絶え間なく降り続けていた。
気温と不快指数は軒並み上昇し、流石に面子を気にするヤクザの連中も、スーツ姿でいることにやや辟易としたところがあるのは否めない。
そんな中、汗一つかかずにブランド物のスーツを見事に着こなした長身の男が、小柴組本宅へ姿を現していた。
小柴にとっては親元に当たる難波会の若頭、久保寺 仁である。
「突然の非礼にはお詫び申し上げます。実は最近、こちらで不穏な動きがあるという噂が本部にも届いています。それについて確認したいのですが、組長はご在宅ですか?」
通された応接室で、久保寺は淡々と用件を切り出した。
久保寺はいまだ30代前半ではあるが、既に人生の半分以上を極道に置いている古参の幹部である。
それゆえにこの若さで既に若頭という地位にあり、難波会長の信任も厚いと言われていた。
体術以上に頭も切れることは一目瞭然である。そんな強敵を前にしながら、怜子は必要以上に色香を撒き散らしていた。
「不穏な動きなんて、根も葉もない噂に過ぎませんわ。主人が体調を崩しておりますから、組の者にもくれぐれも自重するようにと伝えておりますのよ」
今日の怜子は地味目な黒地の着物姿である。髪もきっちりと結い上げて項を見せる辺りなど、匂うような色香を醸し出している。
しかし、
「それでは、単刀直入にお伺いしましょう。先日、蒼神会藤代組の組長が襲撃されました。それに関して小柴組から何か報告されることはありませんか?」
怜子の色香など全く気にも留めない一方で、久保寺の口調は淡々としている。
しかも、若頭とはいえ久保寺は難波会を代表してきているわけだから、もっと荒い口調で詰問しても文句も言えないところである。
にも関わらず、逆にここまでへりくだって聞かれると、そこに作為を感じるのは痛いところを付かれているというだけではない。
何か、底知れぬ威圧と恐ろしさを感じさせる。まるで、そこに座っているだけで全てを見透かされているような ―― 。
藤代組の組長を襲ったのは、新宿でうろついていたストリートギャングである。
ただ、それを操っていたのは栗原の手のものであり、当然、そのことは栗原はもちろん、怜子も認識していた。
すっかり組のことに気力なくし、いまや色欲の権化となっている小柴昭二については、表向き体調不良による静養中ということで、別邸に軟禁してある。
怜子にとっては正式な夫であるが、先日は実の息子である悟にまで手を出しかけたと聞いてから、もはや夫という目では見ることが出来なくなった。
女ならまだ理解もできるし、年端の行かない少年を愛でるというのも大目に見よう。
しかし、よりによって実の息子 ―― それも既に少年とは言い難い、大人の男である ―― に手を出すなど、野獣にも劣るというものと。
よって組に関しては、近々昭彦に代替させるつもりであるが、それも難波会の了承を必要とする。
そのためにも、今は不興を買うわけにはいかないはずだった。
「藤代組の件は、人伝に聞き及んでおります。本当に新宿とは恐ろしいところ。17、8の子供がヤクザの組長にナイフをむけるなんて、ちょっと前では考えられないことでしたわね」
差しさわりの無い話をしながら、頭の中ではめまぐるしく計算をする。
どの答えが一番この場にふさわしく、あとあと困らずに済むか。
「確かに、直接手を出したのは子供のようですが、その子供を裏で操っていた大人がいるとは聞いておられませんか?」
「十分考えられることだと思いますわ。そういうことはうちの組頭が詳しいでしょう。あいにく本日は不在ですが、早速調べさせてご報告いたします。それにしても…」
着物の胸元を直して見せても、久保寺の態度にはなんら変わるところは無い。
しかし、色仕掛けが利かないとあっても、怜子は艶っぽい笑みを浮かべることはやめなかった。
「蒼神会とはいわば仇敵、何故そこまで気に掛けられますの?」
蒼神会が潰れれば、難波会としては願っても無いことのはず。
何故それを牽制するようなことをするのかという気が怜子にはある。
その問いに、一早く怜子の本心を見抜いた久保寺は、ここに来て初めて苦笑を見せた。
「そうですね、仇敵であるからこそ、姑息な小人に邪魔をされるのは腹立だしい ―― そんなところだと思っていただいて結構ですよ」
その苦笑は、むしろ愚かな連中に対する侮蔑といった色合いが強く、流石にそれに気が付いた怜子もカッと血が上るのを抑え切れなかった。






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初出:2003.07.26.
改訂:2014.10.25.

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