Strategy 22


会社に戻った飛島の元には、二つの知らせが入っていた。
一つは小柴からの第一報で、もう一つは、メッセンジャーが直接連絡を取りに来ていた。
とりあえず小柴を優先させた飛島は本社に確認の電話を入れると、その電話口に出たのは顧問弁護士である笹川であった。
『奥様は組の混乱を抑えるためにも本部から離れることができない。私も今後のことで手一杯なんだ。会長の件は高階君に任せるので、昭彦君と協力してくれ』
こちらからかけたにも関わらず一方的に電話が切れると、飛島は何事もなかったかのように仕事の手配ともう一件の相手先に連絡を取り、そして病院に向かった。
小柴昭二の病名は心筋梗塞。
この病気は発作が起きればほぼ一日以内に死亡にいたるケースが殆どであるが、今は小康状態を保っているという。
(どこまでも…悪運の強いことだな)
病院は市内の大学病院で、もちろん特別室に入院となっている。
流石に組長クラスの入院ということで、その病室への通りには警備員と、組から派遣された若衆が立っていた。
「ご苦労様です。高階の代理で参りました。会長の御様態は?」
部屋に入ると、そこにはただおろおろとしている昭彦の姿があった。
「ああ、悟は来ないの? パパが具合が悪いのに?」
「申し訳ありません、悟様もお身体の調子が悪く、お休みになっておりますので」
「悟も具合が悪いの? 悟も死んじゃうの?」
「大丈夫ですよ、ただの風邪でしょう。明日にはこちらにお伺いできると思います」
そう言うと飛島はベッドに眠る小柴を見やった。
病室のベッドとはいえ、流石に特別室だけあって広さは十分にある。
ぶくぶくと太って締りのない身体が白いベッドに横たわる姿は、まるで血抜きされた豚がまな板の上に置かれている様な感じでもあった。
流石に血色は良いとはいえないが、心電図の定期的な音といい落ち着いた呼吸といい、特に今のところは心配はなさそうである。
ふと気が付いて、飛島はポケットから白いハンカチを取り出し、小柴の口元に流れている涎をふき取ってやった。
そして、
「とりあえず、今後の治療法については私が聞いてまいりましょう。昭彦様はお父上のお側に付いていてください。お母上も、昭彦様が付いていただいていれば安心とおっしゃっていましたので」
「うう…そう? ママがボクに任せろって? うん、ボクがんばるね」
小柴昭彦は知能に若干の障害があるが、母親に対する信頼だけは人並み以上である。
だから怜子に信頼されているといえば、おそらくこの部屋から一歩も動かずに看病をすることだろう。
「それでは昭彦様、何かご入用のものがありましたらご遠慮なくお申し付けください」
「うん、判ったよ。悟にもよろしくね」
何の疑いもなく微笑む昭彦に、飛島はやや後ろめたい気を感じながらも部屋を後にした。
そして、病院の敷地内にある駐車場に来るともう一つの用件を片付けるべく、再び自分のマンションへと戻っていった。



マンションではすっかり体調を戻した悟が飛島の帰りを待っていた。
「…で、アイツの容態は?」
その口調には、聞きたくもないが聞かなくてはいけないというような苛立ちが見え隠れしていた。
元々、親だと認めてなどいない相手ではある。
そう、悟にとっての肉親は母親の由美子ただ一人で、父親は存在しないものと思い続けてきたのだから。
「今は小康状態を保っているということです。ただし危険な状態であるのは事実で、早急な手術が必要だとか」
「手術をすれば助かるのか?」
「いえ…とりあえず応急的な手術は既に済んでいます。ただ本格的にとなると、成功率が10%未満だとか」
飛島にしても小柴に関しては唾棄すべき人物である。
そしてそれは奇しくも怜子にとっても同じ事で、この件を伝えた際の返事は、
『判りました。では早急に昭彦に小柴組組長襲名をさせるよう、手配させます。その準備が終わるまでは生かしておきなさい』
であった。もはや、小柴昭二の命などそれほどの価値しかないということらしい。
そのことを伝えると、悟は苦笑して呟いた。
「成程…まあ好き勝手やってきた報いだな。だが、ベッドの上で死なせるのは惜しい。手術中に安楽死なんぞもってのほかだ」
かつて、あの男のために母がどれだけ泣かされてきたことか。
好んで妾になどなったわけでもないのに、どれだけ正妻である怜子に苦しめられたか。
それもこれも全ての元凶は、小柴昭二という男が由美子の自由を無理やり奪い、死ぬまで縛り付けていたからに他ならない。
そのことを物心ついた頃からずっと見てきた悟としては、このまま病で死なせることは理不尽としか思えず ―― ぐっと布団を握り締めた手が、余りの力に血の気を失うほどであった。
その悔しさは、飛島にも痛いほど良く判っていた。
かつて悟の望んでいたのは母親を小柴の手から解放し、自由にしてあげることだった。
それは悟が物心付いた頃からの夢であり将来の目的でもあった。
それが、昨年の夏に起きた突然の由美子の事故死 ―― 。
それによって悟の生きる目的がなくなったと言っても過言ではなかった。
実際、由美子がなくなった直後の悟は生きる屍も同然の状態だった。
あの活力に飛んだ瞳が、死んだ魚のようにどんよりと焦点を失い、白皙の肌は白を通り越して血管が浮かび上がるほどの青白さに染まっていた。
そんな中、乾いた唇だけが血を啜ったように赤く浮き出て、どこか危うい雰囲気はまるで幽鬼の様でもあった。
それが何とかここまで持ち直したのは、小柴に対する復讐心に他ならない。
確証はないが、由美子の死が単なる事故のはずはないと悟は信じている。
その根拠の一つは由美子に掛けられていた保険金であり、もう一つは、由美子の車のブレーキオイルが規定ラインぎりぎりまで抜かれていたという事実である。
しかも、その直前に由美子が出かけていた場所は小柴の本家であり、そこには小柴や怜子だけではなく、栗原や笹川も来ていたと言う。
無論、彼らが直接手を下したとは思えない。だが、指図することは幾らでもできるはずだった。
だからこそその証拠を掴み、彼らに復讐すること ―― それだけが悟の新たな生きがいといっても過言ではなかったのだ
それなのに、
(病で死ぬだと? いっそのこと、その前に俺が殺してやる)
口に出せば、恐らく飛島が先に殺しかねないだろう。悟を殺人犯にするなど、飛島は絶対に許さないはずだった。
そしてそんなことは由美子が望んでいないことも判っている。しかし ――
「悟さん、この際です。不本意かもしれませんが、一つ自分に考えがあるのですが」
飛島がふっとため息をついて口を開いた。






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初出:2003.07.30.
改訂:2014.10.25.

Fairy Tail