Strategy 28


山のような書類を社長室に運び込むと、飛島はそれをドサリと悟の目の前に積み上げた。
「何だ、これ?」
「…書類です」
「いや、書類だってのは判ってる。何の書類だよ?」
ドンと置かれた書類の山は3つ。部屋に入っただけでは悟が本当にそこにいるか判らないほど、見事なバリケードができている。
それを事もなく、
「今日中に片付けていただきたい書類です。決済をお願いします」
「はぁ? なんだって? 冗談…」
「…の訳ないでしょう。終わるまではこのフロアからの出入りは禁止ですから」
そういうと、飛島は何事もなかったかのように部屋を出て行こうとした。
それを、まさかこの山のような書類を1人で片付けさせられるのかと、慌てた悟が呼び止めた。
「ちょ、ちょっと待った! お前、手伝わない気か?」
その悲鳴に、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて飛島が振り返る。
「合併の件で挨拶回りの仕事があるんです。こっちが終わったらお手伝いしますよ。もちろん、それなりの報酬は頂きますが?」
『報酬』の意味が、イヤでも判ってしまうため、悟が顔を青ざめる。
「…お前、性格変わったな」
「Give & Take と言ったのは貴方ですよ」
それは、今朝のことで ―― すっかり飛島のマンションに転がり込む形となってしまった悟が、家賃や食費を入れるということを固持したことが発端である。
「とにかく、ちゃんと仕事をしておいてください。少しでも早くココとは手を切りたいのでしょう?」
そういうと、飛島は部屋をあとにした。



仕事とは言ったが ―― もちろんそれは嘘ではなく ―― 午前中に一件得意先に回って小柴建設との合併の件を連絡すると、次に飛島が向かったのは、とある喫茶店であった。
「飛島さんですね、お待たせしました」
巧みな観葉植物の配置でちょっと人目につきにくくなっているテーブルにつき、書類に目を通していた飛島は、その声にふと顔を上げた。
見かけは少し疲れた感じのする定年間近のサラリーマン。
しかしその眼光の鋭さと、隙のない身のこなしが只者でないことは確かである。
「凪原と申します」
そう言ってその男が見せたのは、名刺ではなく警察手帳だった。
「名刺を切らしておりましてね。そろそろ定年なんで、今更作るのも面倒で」
凪原はそう言って席に着くと、アイスコーヒーを注文して首筋の汗をポケットから取り出したハンカチで拭った。
「まさか稲垣さんの弟さんが葵建設の社長秘書とは思いませんでしたよ。いや、失礼。余りに意外だったもので…」
「いいですよ、それより兄とは?」
「まぁ持ちつ持たれつ…というところですよ」
凪原は照れたように頭をかくと、そう言って苦笑した。
先日、兄に頼んだ『26年前の件に詳しい人物』である。
まさかそれが現役の刑事とは思わなかったが、確かに詳しく知っていることは間違いなかった。
『持ちつ持たれつ』というのも、恐らく刑事として知り得た情報を稲垣グループに提供している一人という意味だろう。
そういう意味では、兄の人選に心配は無いが、
「ところで、凪原さんは小柴組にはお詳しいので?」
「…警察人生、40年の汚点ですよ」
吐き捨てるようにそういうと、凪原は飛島の了承を得て煙草に火をつけた。
「別にね、出世なんて望んではいませんでしたよ。自分は現場の人間ですから、一生ヒラの刑事でいいと思っていました。そりゃあ、まぁ、給料は安いよりは高い方がいいですけどね」
そう苦笑しながら話し始めたのは、今から26年以上も前ことだった。
当時、小柴組は難波会の関東進出拠点としてこの地に根を張り、それはほぼ手中に収めつつあった。
当時の組長小柴昭二は確かに女グセは悪かったがそれでも組長としての任も全うしており、この勢いでは北関東の一角を難波会が我が物にするのは時間問題と考えられていた。
ところが、その勢いがある日を境に停まってしまった。
その元凶となったのが ―― 高階由美子の存在だった。
「彼女は…そりゃあ綺麗なお嬢さんで、明るくて屈託がなくて、うちの若い刑事の中にも本気で惚れてるヤツがいたくらいでしてね」
都内の大学を卒業して実家に戻ってきた由美子は、この辺りではパッと目を引くほどの美貌の持ち主だった。
元々高校卒業までは地元におり、その時から美人であることは噂されていた。
それが、4年間の東京暮らしで更にそれに拍車がかかり、知性と美貌を兼ね備えた女性に変身していた。
そのくせ高ぶったところがなく人見知りをしない性格で、実家である葵建設の事務を手伝う一方で、福祉のボランティアにも参加していた。
その彼女を、ふとしたきっかけで小柴が見初めたのである。
当時の小柴には既に怜子という正妻がおり、しかも怜子は身重であった。
しかし、小柴の由美子に対する執着は尋常ではなく、まず、葵建設を経済的に追い詰め、それを盾に取って関係を迫ってきた。
しかし、流石の由美子もそれは首を縦には振らず ―― そして、悲劇は起きた。
何とか金を工面し、会社もたたむ決心をした由美子の父親が、その借金を小柴に返しに行く途中、部下の若い男と共にひき逃げに遭い、死亡したのである。
「どうやら、高階は娘を連れてこの地を離れるつもりだったらしい。それを事前に察知した小柴が ―― 誰が考えてもそう思うでしょう。しかし、小柴は既に警察の上層部にも手を回しておりましてね、この事件は圧力をかけられて有耶無耶にされてしまったんですよ」
凪原にとってはもちろん面白くない。かなり食い下がったのだが、当時の捜査課長だけでなく署長まで小柴の手先となっていてはどうしようもなかったのである。
そして気が付いたときには ―― 由美子は小柴の妾となり、既に妊娠していたのだった。






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初出:2003.08.16.
改訂:2014.10.25.

Fairy Tail