Strategy 29


「小柴組はもうおしまいですよ。まさか蒼神会に喧嘩を売るなんてね」
そう苦笑しながら席を立った凪原を見送って、飛島は凪原が置いていった一冊のファイルに目を通していた。
凪原にとっては、自分の所属する組織 ―― 警察の実態を見せ付けられることになった事件である。
世の中に裏表があるなんてことは十分知っていても、実際にそれを目の当たりにすれば心は揺らぐ。
いつかはこのことを公にしようと、密かに調べていたらしい。
その詳細なファイルに書き込まれた文字を追っていた飛島は、ある部分で思わす声を出しそうになりながらも食い入っていた。
「あっ…」
( ―― あった…やはり、そういうことか。いや、まだ確実ではない。だが、少なくともゼロではないか)
幾ら詳細に調べ上げられているとはいえ、既に26年の月日が流れている。
調べるにも限度があり、どこかで妥協しなくてはいけないことは承知していた。
( ―― 仕方がない。だが、これだけでも悟さんを自由にしてあげることはできるかもしれない)
そう思いながら、飲みかけのコーヒーに手を伸ばしたとき、飛島は店内に流れるテレビニュースの音を耳にしていた。
『昨夜、都内で暴力団の抗争事件と思われる発砲事件がありました。狙われたのは蒼神会系暴力団藤代組の組長ですが、実際に撃たれたのは22歳の構成員で、現在、意識不明の重態とのことです。また加害者と思われる男も路上で射殺されているのが発見され、警察では口封じによる殺害と見て男の身元確認に全力を投じているとのことです。それでは、次のニュースです…』
まさかここまで直接的な動きを見せるとは思っていなかったが、ある意味、栗原なら判る気もする。
大方、怜子に上手く乗せられて、功を焦ったというところだろう。
そう ―― この事件の首謀者が栗原であることは確信している。
小柴組はもはや幹部も若衆もバラバラで、いつ離散することになってもおかしくない状況になっている。
そのため、いくら『姐』の名を欲しい儘にしている怜子といえども、使える手駒は決して多くはないはずだった。
その最大手が、実行犯の栗原と計略犯の笹川である。しかもこの2人は怜子を巡ってだけではなく、お互いをライバル視しているはずである。
そしてその中で栗原が二度目の失敗 ―― 撃たれたのは舎弟で、肝心の龍也はかすり傷すらおっていないようであるから ―― となると、おそらく次はないはず。
小柴建設も、例え葵建設を吸収したとしてもその勢いを盛り返すことなどは不可能である。
そのことについては気が付かない怜子ではないはずである。
だとすれば、もはや足手纏いにしかならない小柴組を捨て、新天地を目指す方が得策であろう。
そのために必要なのは、十分な資金であって ―― 悟自身の保険金と、由美子の保険金を見逃す連中でないことも熟知していた。
(動くとすれば…そろそろか。こっちも準備をしないといけないな)
飛島はスーツケースにファイルをしまうと、伝票を手に、静かに店をレジへと向かって行った。



朝から警察の応対に追われていた怜子はすこぶる機嫌が悪く、先ほどからイライラと煙草に火をつけては途中でもみ消すという行為を繰り返していた。
「全く、武道派なんて言われておきながら本当に使えない男ね」
真っ赤なルージュの唇に、毒々しい嘲りが浮かぶ。
「全くですな」
いかにもインテリっぽい眼鏡に、ブランドのスーツに身を包んだ男が、目の前のソファーで、ブランデーグラスを燻らせていた。
小柴組の顧問弁護士、笹川である。
「所詮、頭の無い人間はダメですな」
「全くね」
席を立って、後ろから笹川の首に腕を絡める。
「やっぱり、所詮ヤクザなんて大したことないわ。会社もそろそろ潮時でしょう?」
既に小柴建設は二度の不渡りを出している。
例えここで葵建設を吸収したとしても、それは倒産までの時期を若干延ばすだけということは目に見えていた
「もういいわ、組も会社も処分しましょう。ねえ、私、オーストラリアに家を持ってるの。二人で楽しく暮らさないこと?」
ねっとりとした甘い口調で耳元に囁くと、笹川は怜子の体を抱き寄せ、唇を激しく吸った。
既に五十を超えているとは思えない色香の怜子である。
かつては小柴を篭絡し、武道派の栗原を操り、今は笹川に手を伸ばす。
次々と男をその体で操っていることは、操られている栗原も笹川も十分知っていた。
しかし、それでもこの毒花のような妖気には逆らえず、堕ちていく男は数知れない。
「若社長はどうなさいます? お連れするんですか?」
頭では判っているが、昭彦は怜子の実の息子である。
しかし、父親似でブタのように肥満し、頭の中までラードで詰まっているような愚鈍な男である。
インテリを気取る笹川にとっては、見ているだけで不快感を覚える。
「昭彦? ああ、あの子には親孝行してもらいましょう。今なら、蒼神会の連中に殺されたってコトにできるじゃない」
実は、昭彦にも莫大な保険金がかけてある。その手配をしたのはもちろん笹川であり、暗にそれを指しているのは一目瞭然である。
玲子にとって、例え実の子供であろうと関係ないということなのか。
保険の手続きをしたのは笹川本人ではあったが、流石にそれには無関心ではいられなかった。
「いいんですか? 本当に?」
それを、怜子は事もなく一笑した。
「いいのよ。だって、あの子は私が産んだわけじゃないもの」
「え?」
自分の腕の中で怪しく微笑む怜子を、笹川は驚いて見つめた。
「当然でしょ? 子供なんか生んだら、身体のラインが崩れるじゃない。でも正妻になるには子供が必要だったの。だから栗原に頼んで用意してもらったのよ」
小柴の正妻になるには、子供ができたということが一番手っ取り早い。
小柴は女には目がなく、あちこちに手を出していたが、何故か子供はなかなかできなかった。そのため、それを逆手に取ったわけだが、
「昭彦はね、栗原がヤク漬けにして客を取らせていた女の子供よ。私の子供でもなければ、小柴の血だってひいてはいないわ。アレは私が正妻になるための道具だもの」
道具だから ―― 利用価値がなくなれば必要がない。最後の処分で金が入るならそれで十分という口調である。
流石にこの話は笹川も初耳で、驚きは隠せなかった。しかし、そこで初めて納得もする。
(そうか。だから高階の存在を恐れたというわけか)
昭彦が小柴の血を引いていないということが暴露されれば、怜子は小柴組での立場を失いかねない。
今は組とは直接関係を持っていないとはいえ、唯一の実子である悟が台頭するのは間違いないから。
尤も、既に終末を迎えつつある小柴組など、未練も何もないが。
「由美子も馬鹿な女よね。小柴の子供なんか生んで、いずれは姐にでもなれると思っていたのかしら? そんなことしなくてもいくらでも方法はあるって言うのに」
ククッと笑みを浮かべる怜子は、淫魔のように身体をくねらせて笹川の胸にしなだれた。
「尤も、私の邪魔は絶対にさせないわ。だからあの女にも先にあの世とやらに行って貰ったの。悟もそう。あの人を蔑むような目 ―― 見てるだけで腹が立ってくる」
シャツのボタンを外して笹川の胸にじかに触れる。
唇をゆっくり落とし、そしてズボンのファスナーを下ろすと、既に屹立しているソレを口に含んだ。
「ねぇ、私の邪魔をするものは、皆消して頂戴」
「あ、ああ…やってやる…」
「ホント? ああ、やっぱり貴方が一番ステキだわ」
恍惚の表情をしている笹川をニヤリと見やって、怜子は奉仕を続けていた。






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初出:2003.08.16.
改訂:2014.10.25.

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