Strategy 30


連日の残業の結果、なんとか残務整理にメドをつけた悟は、迎えに来た飛島と共に帰宅すると、すぐさまバスルームに飛び込んだ。
ずっと冷房の効いた社長室にいたので汗はかいていないが、事務仕事の気疲れには入浴が一番である。
風呂に入ったまま寝てしまったのではないかと心配させるほどゆっくりと浸かった後、
「寝る」
ろくに髪も乾かさずにそういうと、悟はバスローブのままでベッドに倒れこんだ。
「もうこれで残務仕事は終わりだろ? 明日は有休とるし、今夜はもう寝るったら寝る!」
「…お食事は?」
「いらない。夜中に腹減って目が覚めたら考える」
そう言ってどこか不貞腐れたように横になるのは、半分は甘えている証拠である。
そういう子供っぽい仕草は、絶対に飛島の前でしか見せない悟である。
とはいえ、この猛暑 ―― 暦の上では秋だというのに残暑が厳しく、日が沈んでも昼間の熱気が街のあちらこちらでくすぶり続けている。
そのため、湯上りの肌もすぐに汗が噴出すほどであるが。
「何やってるんだ?」
最初は乾かしていない髪をタオルで拭いていた飛島の手が、気が付くとバスローブの紐を解きにかかっていたのだ。
危ない気配を察して手を押し留めた悟の前で、飛島がニヤリと微笑んだ。
「何って…お休みになるんでしょう?」
「そう、寝たいの、俺は」
「ではお相手を…」
「なんの相手だ、何の!」
既に悟のバスローブの前ははだけており、少し汗ばんだ肌が露出している。
しかもその下には何も身につけていないため
「そもそも、こんな格好をされては、誘っているとしか思えないのですが?」
「誰がしたんだ、誰が! お前が脱がせたんだろうが!」
と悟がもがきながらも蹴りを入れてきた。
「 ―― !」
「ったく、油断も隙もないヤツだな。俺は1人で寝たいの! 邪魔したら殺すぞ」
そういうとタオルケットを頭からかぶってベッドにもぐりこんでしまった。



悟とは異なり一日外回りだった飛島の方は、シャワーで汗を流すとリビングに戻り、冷蔵庫から出してきたスポーツドリンクをあけていた。
そこへ ――
―― ピンポーン
チャイムの音が鳴り響き、飛島が舌打ちをする。
時刻は既に11時。来客の時間としては若干常識を欠いている。
「なんだ、やっぱりいるじゃん。明けてくれてもいいのに」
そう言って勝手に鍵を開けては言ってきたのは、智樹であった。
「チャイムを鳴らすな、うるさいだろ」
「ってことは…あ、悟さん、寝てんだ」
相変わらずの悟至上主義である。
「とにかく、とびっきりのネタが入ったんだ。ちょっと聞いてよ」
渋い顔をする兄に、智樹はそういうとさっさと書斎へと向かっていた。
智樹が持ってきていたのはメモリーカードである。それを飛島のPCにセットすると、データの読み込みにかかった。
「そういえば、蒼神会の若組長がこの間狙撃されかけて組員が撃たれたよね」
読み込みに多少の時間がかかり、その間、智樹が思い出したように話し始めた。
「ああ、そんな話があったな。それが?」
「あれ、なんでも若組長の情人の近所だったらしいよ。あの時も一緒だったんだって。しかも撃たれた組員の入院先の医者だってさ」
「情人が医者?」
蒼神会の若組長、藤代龍也は悟や飛島より年下と聞いていた。その相手が医者ということは、少なくとも悟と同じかもっと年上になる。
「しかも男。いやあ、ビックリしたね。写真も手に入ったんだけど、これがそんじょそこらにはいないような美人でさ」
読み込んだデータから写真を表示させると、そこには白衣姿の1人の青年が映し出されていた。
確かに、稀に見る美形である。
おそらく入院患者らしいパジャマ姿の女の子と映ったスナップであるが、優しく微笑んでいるところなどはとてもヤクザの愛人には見えない。
あどけなくて、それでいて慈愛に満ちていて。飛島はふとその画面を見ながら思い当たることに気が付いた。
(似てる? 感じが…印象が何となく…)
「兄貴もそう思う?」
それを口に出したわけではないが、その食い入って見る姿に、智樹はそう尋ねた。
「姿かたちはもちろん違うけど…由美子さんに似てるよね。こう、なんていうか…雰囲気? イメージっていうのかな?」
「…これが『とびっきりのネタ』か?」
悟がこの青年と逢ったら ―― ふとそういう気もした。しかし智樹はそんな飛島の思惑には気が付かず、
「違うよ。これはちょっとしたオマケ。栗原がこの人のことをかぎ回っているみたいだから、蒼神会に忠告しておいた方がいいかなと思って。ま、兄貴に任せるけど。メインはこっちね」
そういってloadしたのは明らかに盗聴されたとわかる音声の再現だった。
もちろん話しているのは ――
『由美子も馬鹿な女よね。小柴の子供なんか生んで、いずれは姐にでもなれると思っていたのかしら? そんなことしなくてもいくらでも方法はあるって言うのに』
『尤も、私の邪魔は絶対にさせないわ。だからあの女にも先にあの世とやらに行って貰ったの』
―― ガタッ!
はっと振り向いたその先には、驚いたように目を見開いている悟の姿があった。






29 / 31


初出:2003.08.20.
改訂:2014.10.25.

Fairy Tail