Strategy 32


ふと我に返れば、既に時刻は翌日の昼過ぎとなっていた。
腕の中では、やや顔色の良くない悟がそれでも安らかな寝息を立てている。
申し訳程度にかけられたタオルケットから覗く肩には飛島が刻んだ所有印がくっきりと浮かび、投げ出された手首には拘束に使ったネクタイが皺になりながらも絡まっていた。
「すみません。無理をさせましたね」
聞こえるはずのない謝罪を告げて、そっと頬に口付ける。そしてベッドを抜け出すと、真直ぐにバスルームへと向かった。
少し熱めのシャワーを浴びると、背中にピリっとした痛みを感じた。
バスルームに設置された鏡を見れば、一筋の爪痕が刻まれているのが判る。
無論それをつけたのは悟で ―― つけさせたのは飛島である。
『貴方を失いたくないんです』
そう言って、昨夜は死に向かおうとする悟を無理やり自分のものにした。
両手を拘束して、逃げられないように縛り付けて。
一度バスルームから出ると、飛島は悟の部屋に向かい、その意識を失っている身体をそっと抱き上げた。
身長はさして変わらないが全体的に細身であるため、飛島と比べると一回り小さく感じる。
母親譲りの肌理の細かい肌に桜色の花びらが散って見える姿は艶っぽく、下肢の汚れも気にならないほどである。
尤も、汚したのは飛島自身なのだから当然といえば当然なのだが。
ぐったりとした身体を少し温目の湯に浸し、全ての汚れを洗い流す。
散々穿った後腔にもそっと負担にならないように指をいれ、残滓を全て掻き出すと全てを包み込むように腕の中に抱きしめた。
「ん…母さん…」
ふと漏らしたその声が自分ではない人を呼んでいたにもかかわらず、不思議と嫉妬はなかった。
むしろ、甘い夢の邪魔をしてしまったことに軽い罪悪感さえ浮かんでしまう。
悟にとっては、母親の由美子はこの世でただ1人の『守るべき人』だった。
それを奪われたとき、同時に生きる糧を失ったと言ってもいいほどである。
それが何とかここまでやってこれたのは、失った糧を『復讐』という目的とすり替えたからに過ぎない。
そして、その目的がはっきりした以上、悟がそれに向かっていくことははじめから知っていた飛島である。
しかし、
『貴方にとってお母様が大事だったように、私にとっては貴方しかいないんです。貴方をこのままここに閉じ込めてでも失いたくないんです』
相手は仮にもヤクザの姐。このまま突っ込めば返り討ちにされるのは目に見えている。
悟自身は復讐を果たすためならそれも構わない気でいるのであろうが、飛島にそれが許されるはずもない。
『悟さんをよろしくお願いしますね』
始めてあった時の由美子との約束を、飛島は忘れたことがない。例えどんなことをしてでも悟だけは守ってみせる。
それが例え、悟の意に介さない方法であっても ―― 。
そして湯から上がると、飛島は悟を再び寝室 ―― 但し今度は自分の方の ―― に運び、ベッドにその身体を休ませていた。



PCのキーボードを叩いていた手がふと止まり、飛島はそっとベッドに眠る最愛の人を見つめた。
先ほどよりは幾分か顔色も良くなっている。
安らかな寝顔は今では飛島しか知るものはなく、これからもそうでありたいと思いたい。
だから、そのためにもやるべきことを着々と進めていた。
手元の電話を手に取り、ある番号を押す。
「葵建設の飛島といいます。藤代様にお繋ぎ頂けますか?」
交換に出た若衆と思われる男にそう告げると、思ったより早く電話はつなげられた。
『藤代だ。飛島といったか? メールは確認させてもらった』
声だけでも只者ではないと思わせる圧力を感じさせる。
生まれながらの極道とはこうも違うのかと、流石にその気迫には一種の脅威さえ感じてしまう。
「とりあえず、栗原が持っているルートに過ぎませんが、お役にたちますか?」
『ああ、特に武器関係は押さえさせて貰った。手持ちがどれほどのものかは知らんが、今後の調達はできないはずだ』
「そうですか、それは何よりです」
ここ数日の不穏な動きのため、既に小柴組には警察の目も光っている。
そのため今の本部には、武器などの類も新たな納入がされていないことは調査済みである。
『ところで、高階はどうした?』
おそらく、深い意味はないのだろう。そんな感じではあったが、ふとベッドに眠る悟の安らかな寝顔を見て、
「今日は、お休みになっております。メインイベントに向けての休息といったところです」
そう告げると、小柴の現況を報告した。
「小柴建設は、グループ内でも今一番資金のある葵建設を、名目上ですが吸収合併させました。今後の社長は昭彦氏となります。よって、高階は役員を降り辞職しましたので、私も辞める事にしました」
怜子には残務処理が終わればと言っていたが、実は既に昨日付けで退職の扱いと操作してある。
『いいのか? それで…』
「構いません。どうせ潰すつもりでしたし。決算を済ませておりますから、今後会社がどうなろうと、法的には私どもにまで責任追及が及ぶことはありません」
由美子の死が怜子の策によるものだと悟に知れた以上、事は急ぐ必要がある。
更に悟には手を汚させず、しかし確実に怜子を抹殺するには、利用できるものは何でも利用する。
この場で明かすつもりはないが、飛島の考えた策は恐ろしく辛辣であった。
そのためにも、法的には小柴とは何の関係もないとしておかなければ、悟は再び小柴に束縛されることになりかねない。
「こちらの準備は完了しております。あとは…」
『承知した』
そう短く応えて切れると、飛島は大きく息をついて呟いた。
「…あとは、こちらも仕上げに入るか」






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初出:2003.08.23.
改訂:2014.10.25.

Fairy Tail