Strategy 35


小柴からの命令ということで、病室に来るようにとう電話が悟の元に入ったのは、そろそろ日が沈みかけるかという時刻であった。
目は覚めても身体は言うことを聞かず、正直に言ってそんな命令など無視してやろうかと思っていたのに、
『判りました。では代わりに私が行きます』
などと飛島に言われては ―― 出向かないわけには行かない。
『私も、小柴氏に話があるんです』
そういってニヤリと微笑まれた悟は、その笑みの裏に何か含むものを嗅ぎ取っていた。
(絶対何か企んでるな)
だからこそ、言うことをきかない身体を押し通してきたのだが、やはり辛いのはいたし方がない。
既に病院の面会時間は過ぎていたが、その病室の前だけはいまだに数人の男たちがたむろしており、悟はエレベーターを降りたところで深々と息を吐いた。
「悟さん? 大丈夫ですか?」
少し伏せ目がちにうつむいていると、端正な横顔が色を失っているのは確かである。
身体もどこかギクシャクとしていて、思い通りにならない。特に下半身はまるで別の身体のような違和感を覚え、まっすぐ歩いているかも定かではなかった。
しかし、
「大丈夫だって…言ってるだろ!」
差し伸ばされた腕を振り払うと、逆にその反動で身体がふらついてしまう。
それを当然のように飛島に支えられると、流石にそれまでは逆らわなかった。
智樹が盗聴した会話から、由美子の事故が怜子の指令による人為的なものであったことは明らかになった。
もちろん、当初から疑っていたのは事実で、ただ確証がなかったから手出しはしてこなかった。
しかし、わかった以上は黙ってはいられず、悟に爆発した怒りを抑える術を持たなかった。
例え、相打ち ―― それどころか返り討ちに合うことのほうが確率は高いかもしれない。それでも、一矢報いてやらなければ気がすまない。
そんな悟を、当然のごとく飛島がただ行かせるわけがない。
『貴方を失いたくないんです』
そう言っていつになく激しく抱かれたのはつい先ほどのことである。
殆ど消えかかってはいるが、注意してみればまだ手首の跡もうっすらと残っている。
更に、一晩中蹂躙された身体は投げ出したいほど重く、
(ったく、何が『大丈夫か?』だ。誰のせいだ、誰の!)
と、怒鳴ってやりたいところではあるが、流石にそれはやめておき、ただ思いっきり睨みつけて目指す病室のドアを叩いた。
―― トントン
「どうぞ、お待ちしておりました」
悟が名乗る前にドアが開けられ、本部付きの若衆と思われる男が中へと案内する。
悟の後に飛島も入ると、そこにはベッドに身を横たえた小柴昭二が待っていた。
「久しぶりだな、悟。元気だったか?」
ニヤリと笑みを向けてそう尋ねる口調に、どこか舌舐めずりするような不健全さを感じてしまうのは否めない。
しかも、脂肪にまみれた身体は青黒いような肌を晒し、死の腐臭さえ漂うような雰囲気を持つ一方で、眼窩だけが異様にギョロギョロと動くため、まるでお化け屋敷の蝋人形のような気さえしてくるようであった。
どうみても、先が長くないことは事実である。
今となっては妄執だけを支えとして死を延ばしているとしか思えなかった。
そして、その妄執が口を開いた。
「小柴組の代紋をお前に継がせることにした」
若衆の1人に手伝わせて身体を起こすと、小柴は吐き出すようにそう告げた。
そのことに、その場にいた組員は誰一人として驚くものはなく、寧ろ当然というような態度であることに、言われた悟のほうが違和感を覚えた。
「何を言ってるんです? 二代目は兄さんだと決まっていたはずです」
「あれには無理だ。資格もない」
そういうと、小柴は若衆に命じて例のテープを再生させた。
『昭彦はね、栗原がヤク漬けにして客を取らせていた女の子供よ。私の子供でもなければ、小柴の血だってひいてはいないわ。アレは私が正妻になるための道具だもの』
怜子のあざ笑うような声は、悟の中にくすぶっていた怒りに簡単に火をつける。
ただ、流石にこの場の状況を思えば、それを暴発させることはできなかった。
自分ひとりであれば、小柴と刺し違える事だって構わない。
しかし、ここには飛島もいる。
自分が暴発すれば、恐らく身を挺して傷つくのは飛島の方であろうから。
「昭彦に儂の血は流れておらん。儂の血を持つのはお前だけだ。小柴組を継げ、判ったな?」
本部要員たちにしてみれば、始めから飾り物と判っていた昭彦よりは悟のほうが組長としては見栄えがいいことは確かである。
しかも栄耀栄華を極められる組長という立場を断るものなどいるまいとも思っているはず。
しかし、
「…断る」
悟はそういうと、踵を返して病室を出ようとした。
「ど、どこへ行く!?」
小柴が慌てて叫び、それを合図としたように若衆たちがドアに立ちふさがる。
それを忌々しく見て、
「馬鹿馬鹿しい。そんなことで俺を呼び出すな。俺はヤクザにはならない。前にもそう言ったはずだ」
「状況が変わった。お前しかおらんのだ」
「そんなこと知るか。そもそも俺のお袋を殺したのは小柴組の姐だ。そんな敵の組なんぞ、潰れて喜んでやるならまだしも、なんで俺が面倒を見なきゃいけないんだ? ふざけるのも大概にしろっ!」
飛島がいるから、巻き込まないためにも穏便にことを終わらせるつもりではあった。
しかし、高ぶった感情は既に収まりが付かず、悟はその思いの全てを吐き出さずにはいられなかった。
「あの女だけじゃない、お前だってそうだ。散々お袋をおもちゃにしやがって…。このまま病気で死なせるなんて許せるか。お前だけは俺がこの手で殺してやる!」
「悟さんっ!」
小柴に飛び掛ろうとしていた悟を、飛島が全身で引き止める。
その殺気だった怒りに小柴はもちろん、周りにいた数人の若衆たちも動くことができず ―― しかし、悟はどうみても丸腰である。
それに気が付いた何人かが隠し持っていた銃を手に取ろうとしていた。
しかし、
「やめろ、お前たちの…新しい組長だぞ」
少し息切れをさせながら小柴がそう止めて、若衆たちも手を下ろす。
それを納得できない悟は飛島の腕の中でもがいていたが、
「悟さん、落ち着いてください。貴方が小柴組を継がなくてはいけないという理由なんかどこにもないんです。貴方は、そこにいる小柴昭二とは赤の他人なんですから!」
「な…に?」
誰もが ―― その場にいた全ての人間の時間が止まったように凍りつく。
その沈黙を破ったのは、飛島の台詞だった。
「貴方に、小柴昭二の血は流れていません。昭彦氏だけではなかったんです。貴方も、小柴昭二の息子ではないんです!」






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初出:2003.08.30.
改訂:2014.10.25.

Fairy Tail