Strategy 36


誰もが動きを止めたその中で、飛島は静かに一枚の書類を悟に見せた。
「先日、小柴氏と貴方のDNA鑑定を依頼した結果です」
そう言って見せられた書類には、検査結果らしい項目と数値などが細かい字で記載されていたが、
「…父性確率0%。よって擬父小柴昭二は、子高階 悟の生物学上の父親である可能性から排除される…」
「わ、儂にも見せろ!」
そう喚く小柴に飛島がそれを持っていくと、奪い取るようにそれを手に取り、小柴はわなわなと震える手で書類に見入っていた。
「先日、入院されたときに貴方の唾液を採取させていただきました。悟さんのほうは煙草の吸殻からの検査結果です。もちろん納得がいかないということでしたらご自分で確かめてご覧になることですね」
そう言い放つと、飛島は呆然としている悟に微笑みかけた。
「すみません。もっと早くにお話すべきでした」
「いや…でも、何で?」
誰もが悟を小柴の息子だということは疑っていなかった。
それを何故、飛島だけが気が付いたのか ―― ?
それは、
「貴方のお母様が、貴方を本当に愛していらっしゃったからですよ」
いくら由美子が心優しい女性だったからと言って、自分の父親を事故に見せかけて殺害し、その上で自分を犯した相手の子供をあそこまで愛することができるものだろうか?
もちろん男と女の関係は理屈では判らないところがあるということくらいは飛島だって理解している。
しかし、少なくとも由美子が小柴に愛情を持っていたとは思えなかった。
「おそらく、お母様は小柴に囲われることになる前にすでに妊娠されていたのでしょう。妊娠を告げて囲われることを拒めば、お腹の子供まで殺される。そう思ったからあえて囲われることに承諾し、小柴の子供だと騙してきたんです。そのことで貴方に辛い思いをさせるのもわかっていたのでしょうが、本当に愛していた人の忘れ形見だから、死なせたくなかったんだと思います」
「…本当に愛していた人の…忘れ形見…?」
その言葉に、悟だけでなく小柴も飛島を見た。
「確証は…残念ながらありません。ですが、おそらく…」
そう言って飛島が出したのは、一枚の写真だった。
確か、葵建設創立三周年の祝賀会での記念写真である。20人前後の若い社員に囲まれて、悟の祖父もニコニコと嬉しそうに写っている。
その中でも一番年若と思える男を、飛島は指差した。
「矢崎彰吾…26年前、あなたのお祖父様と一緒に事故死された葵建設の社員でした」
「え? あ…まさか…」
生前の由美子が、毎日手を合わせることを忘れなかった仏壇には、悟の祖父母と共に、祖父の事故の際に巻き込まれて死んだという従業員の位牌も置いてあった。
何でも身寄りがなかったから由美子があわせて供養しているとは言っていたが、ではあれが ―― ?
『このお位牌も大事にしてね。この人は、とても大切な人だから…』
幼い頃、何気に位牌の主のことを聞いたとき、由美子からそう聞かされていたことを思い出す。
そして何度となくあの位牌の前で由美子が涙を流しているのを見てきたし、いつも何か話しかけていたような気もする。
悟が幼稚園や学校に入学したとき、無事に卒業したとき。
運動会で1等を取ったことも、絵画コンクールで入選したことも。
そして、飛島のことも ―― 。
「お分かりでしょう? 悟さんは貴方の血を微塵も受け継いではいない。だから小柴組とは全く関係のない人です。もう自由にしていただきましょう」
「由美子が…由美子が儂を騙していたのか? 儂を、儂を…」
飛島の最後通告など耳にも傾けず、DNA鑑定の結果を見入っていた小柴は、ぜいぜいと肩で息を継ぎながらその紙をビリビリに引き裂いた。
そこへ、突然、別の若衆が飛び込んできた。
「た、大変です! 昭彦さんが本社で銃を乱射した挙句、姐さんを ―― !」
「何! どういうことだっ!?」
「ううっ ―― !」
側近がその若衆に詰め寄ったとき、小柴は胸を掻き毟るように押さえるとベッドに倒れこんだ。
「組長 ―― !?」
「医者を呼べ、早く!」
若衆たちが慌てて動き出すが、既にベッドの上の小柴はどす黒い顔色でもがきのたうち回っている。
その余りの暴れように誰も手を出すことができず、苦しむ拍子にベッドから転がり落ち、床へ叩きつけられた。
「悟さん、行きましょう。ここにいては邪魔になるだけです」
「あ、ああ…」
そう言って飛島は悟を促し ―― しかし、それは小柴の妄執によって遮られた。
「ま、待て…、許さんぞ…悟、儂から離れるなど…ゆる…さ…ぞ…」
既に、誰の目から見ても死相が浮かび、もはや妄執以外の何者でもないことは確かである。
流石に、ベッドの上で安らかに死なせることなど許せないと公言していた悟も、実際のこの光景には息を飲み、言葉を失っていた。
わなわなと震える手が床を這い、悟の足首を掴もうとする。
しかし、
「悟さん?」
何でもないように名前を呼ばれて、悟の呪縛が解けた。
一歩、たった一歩後ろに下がるだけで、小柴の面に深い絶望とどす黒い憎悪が浮かび上がる。
悪鬼羅刹とはこのことかと思わせるような、夢にまでうなされそうな恐ろしく歪んだ顔で、小柴は悟の名を呼び続けた。
しかし悟はその手が近づくたびに一歩ずつ後退し、やがてドアの前までやってきていた。
その時、小柴の表情に、まるでやっと追い詰めたというような歪んだ笑みが浮かび ―― 悟は後ろ手にドアを開いた。
「悪いな。俺はあんたの思い通りにはならない」
そう告げると、最後は二度と振り向きもせず、病室をあとにした。






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初出:2003.09.03.
改訂:2014.10.25.

Fairy Tail