La persona che e destinata(運命の人) 06 Lato:T


「判りました、教授。では、申し訳ありませんが…」
そう言って英国紳士の某博士から逃れた俺だったが、
「…え?」
突然、誰かが前に立ち塞がったと思った瞬間、
ガシャーン!
グラスの砕ける音と、濃厚なアルコールの匂いが襲ってきた。



「失礼します。何かご質問がおありだと伺いましたが?」
そう言ってサミュエルを捕まえていた英国紳士に声をかけると、露骨に怪訝そうな顔をされた。
「君は、誰だね?」
「申し遅れました。タカユキ・クシマと申します。彼とは同じ、メイナード教授の研究室に在籍しています」
「…ほう、今度は日本人かね。デニスは余程、アジアが気に入っていると見えるな」
どうやらファーストネームで呼ぶってことは教授とは知り合いのようだな。もしかしたら積年のライバルとかっていうところか?
そういういざこざは本人同士でやって欲しいところなんだが…そもそもこっちがきちんと挨拶してるのにそれかよ?
だから白人至上主義のお貴族サマは嫌いなんだ。
まぁそっちがその気なら、俺にだって考えはあるけどな。
そんな物騒なことは微塵も見せないつもりで、俺はチラリとサミュエルを見た。
どうやらかなりこっぴどく問い詰められたようだ。それでなくても血色の悪い顔が、すっかり青冷めた上に、噛み切りそうなほどに唇を噛んでいる。
しかも、俺のことを毛嫌いしているはずなのに、一瞬とはいえホッとしたような表情を見せたのも見逃さなかった。
尤も、そっちの方は自分でも癪に障ったようで ―― 直ぐに忌々しそうな目つきに戻っていたが。
まぁ俺としても、別に好きで助っ人に来てやったわけではない。教授には多少なりとも恩義があるし、サミュエル一人が恥をかかされるのはともかく、研究室をひっくるめて言われるのは ―― 気分が良くない。
ただそれだけのことだから、別に礼の一つでもってわけではないからな。
「ええ、日本人です。ですから拙い英語で申し訳ございません。お聞き苦しいところは大目に見ていただけると幸いです」
内心の鬱憤など微塵も見せずにそう英語で返せば、流石にその英国人も顔色を変えた。
ロンドンの研究者と聞いていたが、言葉に少しウェールズ訛りがある。そんな相手に、完璧なクィーンズ・イングリッシュで返せば ―― 結構、嫌味であるのは間違いないだろう。
特にヨーロッパは自国の言葉や慣習、文化には誇りとプライドを持っている。だから、自分達が日本語を話せないことには全く気にもならないが、こちらが彼らの母国語を話せないとなると、露骨に軽蔑する者がいるのも稀ではないのだ。
それどころか、アジアの人間には英語など話せないと思っている者がいるのも事実だからな。
まぁこの英国人がそう思っているかはどうか知らないが、少なくとも、驚いたのは事実のようだった。



結局、質問の内容は俺にとっては大したことではなかった。
ただ、それは確かに誰にでも応えられる内容でもなく、実際に実験に携わったものでなければ応えられないところだったのも事実。
だからこそこの英国人も論文に名前のあったサミュエルに聞いてきたんだろう。
だが、実際にあの実験をやったのはこの俺だ。サミュエルには一応データと実験ノートを丸ごと渡していたが ―― そこまでチェックする余裕はなかったんだろう。いや寧ろ、俺のやった実験など見たくも無いというのが本音かもしれないな。まぁ別に俺はなんとも思わないが。
ところが、だ。
「成程、よくわかった。ですが…不思議だな」
「…何でしょうか?」
「いや、君はこれだけ適格に応えられるのに、どうして実際に実験をやったはずの彼には応えられなかったんだろうね?」
そう言ってわざとらしく首をかしげてサミュエルの方を見れば、ヤツは屈辱で全身に震えが走るほどになっていた。
勘弁してくれよ。これ以上、サミュエルを逆上させないで欲しいぜ。
こういったやつは、マジギレすると何をするか判らないってところがあるんだから!
まぁとにかく。どうやらこの英国人の魂胆は教授の研究室のヤツに恥をかかせたいってところのようだから、コレは用が済めばさっさと退散することに間違いはなさそうだ。
そう思ってなんとか脱出のタイミングを図っていたら ―― それは当のメイナード教授が出してくれた。
「タカユキ! ちょっとすまないが、こちらに来てもう一度説明してくれるかな? こちらの教授が是非、君の話を聞きたいと仰ってね」
「判りました、教授。では、申し訳ありませんが…」
思い切りラッキーと思ったが、そんなことはおくびにも出さないで。
なんでもないようにその場を立ち去ろうとした俺だが ―― ふと視界に入ったものがあった。
まるで般若の面でも被ったかのようなサミュエルが凄まじい目つきで俺を睨んでいるのと ―― 僅かに震える手で持った赤ワインの入ったグラス。
そして、
ガシャーン!
派手にグラスの割れる音がしたかと思えば、その中の液体は直接床ではなく、いつの間にか俺の目の前に立ち塞がっていた男の胸を染め上げていた。






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初出:2007.06.03.
改訂:2014.10.11.

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