La persona che e destinata(運命の人) 11 Lato:T


物静かな雰囲気を突如打ち砕いた下卑な台詞。
「おやおや、今度は製薬会社の副社長様に色仕掛けか? 次から次へとパトロンを手に入れられて、本当に羨ましいな」
その余りにも俗すぎた低脳ぶりに、俺は反論をする気にもなれなかったのだが ――



それまでは流石に高級レストランだけあって静かではあったものの、各テーブルごとに上品な会話で和んでいたはずの雰囲気が、その一言で消し飛んでいた。
それどころか、全ての視線がこのテーブルに集中しているのが判る。
半分は好奇の視線で、残りの半分は ―― 非難や蔑視といったところだろう。
しかし、そんな非難の視線など気にしないのか、
「全く、美人に生まれるというのは得なものだな。ちょっといい顔をすればすぐにパトロンにありつける。僕のように真面目に研究をしている身には羨ましい限りだよ」
そう、立ったままで俺に毒吐いているのは、同じ研究室に所属しているサミュエルだった。
つい先程、教授の祝賀パーティーの会場で、俺が窮地を救ってやった相手だ。
元々あまり血色のいい顔ではなかったと思うのだが、どうやら酒でも飲んでいるようだ。赤ら顔とまではいかないが、頬の辺りが妙に紅潮しているし、何と言ってもアルコール臭の混じった息はいいものではない。
「たまに研究室に来るかと思えば、人の助手をてなづけて成果を横取りするし。全く、日本人というのは油断も隙もないな」
おいおい、俺がいつお前の研究成果を横取りしたって? 寧ろ、それを言うなら逆だろうが。
大体、今回のデータは俺が全部くれてやったはずだ。
ちゃんと目を通して考えれば、さっきの質問くらい簡単に答えられてもおかしくないはずだから ―― それを使いこなせなかったからと、非難される謂れもないはずだ。
大体、「たまに研究室に来る」というなら、それはそっくりサミュエルに返してやりたい。
研究よりも政治的お付き合いを優先するのはこいつの方だ。
おかげでこいつの助手たちだって相談する相手がいないわけだから、どうしてもいる人間に聞きたくなるのは当然のことだろう。
寧ろ、そのたびに相手になってやる俺に感謝して欲しいくらいだぜ。
だが、こういった人間は、自分の都合でしか物を言わないものだから何を言っても無駄だろう。
ましてや酒を飲んでいるのなら ―― 相手にするだけ馬鹿らしいというものだ。
となれば、ここは大人しく引き取ってもらうのが得策だな。
だから
「サミュエル。僕にお話があるのでしたら、明日にでも改めて時間を取らせて頂きます。今はこちらのお相手をしていることもありますし、遠慮して頂けませんか?」
そうなるべく刺激しないように言ったつもりだったのだが、
「ああ、その態度!」
どうやら逆に堪に障ったらしい。
「いつもいつもいい子ぶって…そうやって取り澄まして、腹の底では僕のことを馬鹿にしてるんだろう!」
「そんなことは…」
無いと言ったら、確かに嘘だな。だが、それを言えば更に事態はややこしくなりそうだし、そもそもお互い様だろう。
とはいえ、激昂して理性を失っている相手には何を言っても無駄というものだ。
まぁ、あとでそれなりの報復はさせてもらうとしても、ここは ―― と見渡せば、流石に店員もヤバイと思ったらしい。漸く、黒服の支配人クラスらしい店員が慌ててこちらにやって来た。
「お客様。失礼ですが、他のお客様の迷惑になりますので…」
そう声をかけたが、サミュエルにはその制止も気に入らなかったようだ。
「煩いっ! お前らまで俺の邪魔をするんだな!」
「いえ、そんな…」
「俺は事実を言ってるんだ。こいつはな、今はこうやって取り澄ました顔をしてるけど、裏じゃあ何をやってるか知れたものじゃないんだ。どうせ研究室の連中とだって、散々ヤリまくってるに違いないんだ!」
邪推もここまで来れば、相手にするのも馬鹿らしくなる。
おかげで俺は怒るというよりも、呆れてものも言えないというようにサミュエルの戯言を聞いていた。
「今日のパーティでだってそうさ。どうせあの教授とも寝たことがあるんだろう? 見返りは何だ? 研究費でもせしめようって魂胆か? それとも、論文に名前を載せてもらおうって言うわけか?」
そんなこと、ちょっと考えればありえないということはすぐに判りそうなものだ。大体、今回のテーマは俺の専攻とは違うんだからな。
だが、既にサミュエルは、自分の言葉に悪酔いしているのだろう。
挙句には、
「今はそうやって済ました顔をしていても、教授たちのベッドではどんな顔をしているんだか! さぞや厭らしい顔で腰を振りまくってるんだろっ!」
と叫んだ瞬間、
―― ビシャッ!
サミュエルの顔面に突然水がかけられた。
「え?」
見れば ―― 俺の向かいに座っていたイタリア男の手に、空になったグラスが握られていて。
「酔っているとはいえ、自分の不徳を人のせいにした挙句、公共の場で罵るとは見苦しいにもほどがあります」
そう言い放った声は、つい先ほどまでの陽気なラテン系の気配を微塵も感じさせない。
それどころか、非情で冷淡で酷薄な感じさえするくらいだ。
流石にそれにはサミュエルも我に返ったようで、
「あ…お…私は…」
上気していたのが一変して蒼白になり、己の不始末に気がついたのかオロオロと辺りを見回しだした。
だが、勿論助けてくれるものなどいるはずもない。
「それにそもそも私が聞いた限りでは、貴方の方がタカユキの成果を奪ったのでしょう? しかもそのことに関してタカユキは不問にしてくれたというのに。それを自分の手に余ったからとフォローしてもらいながら逆恨みするとは、研究者レベルというよりも人間性を疑いますね」
そう言って咋な侮蔑の視線を向ければ、サミュエルは哀れなくらいに震え上がっていた。
勿論、周りの視線も痛いくらいに注がれて ―― それは全て、サミュエルへの非難になっている。
これではまるで吊るし上げの晒しものだ。そう思っていたら、
「非常に不愉快ですので、失礼します。支払いは後ほど私に送ってください」
膝においていたナプキンをテーブルに置くと、イタリア男は黒服の支配人にそう言って席を立った。
そして、
「タカユキ、行きましょう」
そう言って俺の手を取ったときの口調だけは、変わらず穏やかなものだった。






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初出:2007.06.17.
改訂:2014.10.11.

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