暁に見る夢 02


シャワーから出て届いていたメールに返信をすると、それから2時間ほど後には、寿樹は物静かな高級レストランの一画でとある女性と優雅な食事を共にしていた。
年の割には派手な服と濃い目の化粧であるが、どうやらそういった格好には馴れているらしい。
上品そうに微笑みながらの食事に、寿樹も営業スマイルを欠かさない。
「ねぇ、俊彦」
既にメニューは出尽くされて、食後のコーヒーがテーブルを飾っている。
そのコーヒーカップにミルクを落としながら、真っ赤なルージュを塗った唇が、寿樹を源氏名で呼んだ。
「今日はこれからお店に行くの?」
「ん…どうしようかなぁ?」
彼女は、最近ではビジネス誌にも掲載されたことのある、やり手の女社長。何度か結婚と離婚を繰り返し、今は独りの身だった。
勿論、別にそれが目当てでつきあっているわけではない。
彼女の方も「今は仕事が楽しい」と言っており、事実、身体の付き合いはなかった。
相手の方は、たまには若い男を侍らせて食事でもしたいとか、そんな軽い関係で。
そして、愉しみには色目をつけないという潔いところのある姉御肌の気質が、寿樹も割りと気に入っていた。
「折角こうして楽しく食事をさせてもらったから…今日はさぼっちゃおうかな?」
「あら、いけない子ね」
この手の姉御肌タイプには、甘えん坊な弟のような態度が受けるということは経験で知っている。
だから、
「だって、敦子さんはこのあとお仕事なんでしょ? 一緒に行ってくれるなら大丈夫だろうけど、一人で遅刻してったら、オーナーに怒られちゃうよ」
そうやってちょっと拗ねたように甘えて見せれば、女の方も満更ではないようだ。
やや優越の混じった苦笑を浮かべて
「そんなことを言って…このあと誰かと同伴のつもりじゃなかったの?」
「やだなぁ、そんな風に見える?」
実はそんな話がなかったわけではないのだが、店でならともかく、外での「仕事」のときには、複数の掛け持ちはしないのが寿樹の主義である。
そしてそのことは、彼を指名する方も良く知っているから、
「仕方がないわね。じゃあ、今夜は私の指名ってことにしておいてあげるわね」
「うん、ありがと、敦子さん」
そう言って満面の笑みを向ければ、女は満足したように席を立った。



「…それで、今日はサボリって言うわけなのね。もう、トシちゃんったら、相変わらず困ったちゃんなんだからぁ」
「まぁね、たまにはいいでしょ」
「何がたまによぉ。昨日だって、途中で抜け出して来てたじゃない? まぁ、アタシはトシちゃんが来てくれるのは、とぉっても嬉しいんだけどね」
台詞だけを認識すればまるで女子高生かと思える話し方だが、現実のその声は、聞き間違えのないような野太い男のものである。
実際、ショッキングピンクのチャイナドレスは大胆なスリットが入っているもので、そこからしっかり外気に晒されている逞しい足は、食い込みそうな網タイツだ。そして、まるで丸太のような腕にはファーのショールが巻きつけられ、優雅に孔雀の羽を使った扇子で仰いでいる姿となれば ―― 一目見たら忘れられないことだろう。
この彼女(?)こそ、この界隈きってのオカマバー「寿」の「ママ」で、源氏名をナンシーと言った。
「まぁいいじゃん。たまにはママに甘えさせてよ。俺、今日の夢見悪かったんだから」
「あらン、嬉しいこと言ってくれるわね。フフフ、いいわよぉ、ママンが慰めてあげるわぁ」
普通の人間なら、余りのショックで硬直するか、裸足で逃げ出しそうなものであるが、寿樹は何故かこのナンシー・ママのお気に入りであった。
元々、このママのおかげで今の店に勤めることになったと言うこともあり、彼女は寿樹の後見人を自負しているくらいだ。
同じ水商売と言っても、一見華やかなホストとは異なり、こちらは底辺を這いずるようなものである。
寿樹自身も水商売の厳しさは良く知っているから、一般人からは色眼鏡で見られがちな彼女たちの苦労も判っていて、それでも逞しく生きている姿には、寧ろ取り澄ました連中よりもずっと親近感を覚えているようだった。
それに、
「ところで、樹理ちゃんの様子はどうなの? たまにはお見舞いに行ってるの?」
樹理というのは寿樹の母親である。やはりこの界隈でホステスをしていたのだが、昨年から身体を壊し、今は市内の病院に入院していた。
既に末期のガンであり、手の施しようがないことは ―― ナンシーも寿樹も知っていることである。
「ん…相変わらずってとこかな。そういえばママも見舞いに行ってくれたんだって? サンキュ」
「いいのよ。樹理ちゃんにはアタシも世話になってたし。あ、そういえば…」
ふと何かを思い出したように、ナンシー・ママは大きな両手を拍手のようにパンっ!と叩いて呟いた。
「そっか、あの子、ちょっと樹理ちゃんに似てたんだわ」
そう言って独りで納得するナンシー・ママに、寿樹は訝しげな視線を向けた。
すると、
「今日、ちょっと裕ちゃんに用があって、お店に行ったのよ。そうしたら、新しいバーテンを雇ったって言っててね。その子がどっかで見たことのある雰囲気だなって思ってたところなの。そうよ、樹理ちゃんに似てたんだわ。目元なんかホント、そっくりよ」
「ふぅん、そんなのが入ったんだ」
そのときは興味もなさげに聞き流していた寿樹だったが、運命の再会はすぐそこまで待ち構えていた。






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初出:2007.07.07.
改訂:2014.10.05.

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