暁に見る夢 05


風俗業には規制も厳しいところがあり、既に日付が変わっているこの時間では、そろそろ閉店となるところだった。
そのため裕司は店の方ではなく、二階の店長室に寿樹を押し込めたのだが、
「どうせ連れてきてくれるなら、あと30分早くしてくれたら良かったのに」
そんな文句を、いつもならこの部屋ではなく1階のモニター室に詰めている店長の中谷から言われてしまった。
元々ここは店長室であるから、本来この部屋の主であるべくなのはその中谷である。
だが彼は左足が不自由で杖をついているため、滅多なことでは2階に上がることをしないはずだった。
そんなこともあったから、
「何かあったんですか?」
裕司は少し顔色を曇らせて、尋ねた。
中谷は、裕司にとっては学生時代の先輩に当たる。
そのため、今ではオーナーと雇われ店長と言う関係のはずなのだが、未だに中谷に対しては敬語癖が抜けないようだ。
勿論、中谷の方もそんな上下は余り気にしていなくて、
「ううん、大したことじゃないよ。ただ、六本木の福本さんがいらしてたから、俊彦君がいなくて残念がってたんだ」
まるで世間話をするように説明した。
福本というのは、六本木で宝石商をやっている女社長で、やはり寿樹の上客だった。
店としては、お得意様を満足できなかったのだから、文句を言われても仕方のないところである。
尤も、
「メルアド聞いてるんでしょ? 明日にでもお詫びのメールを入れて差し上げてね」
「はーい」
「あと、俊彦君に逢いたいって仰るお客様は沢山いるんだから、できたらちゃんと出勤してくれると嬉しいな」
「はーい、すみませーん」
「じゃあ、よろしくね」
そうニッコリと微笑んで言われても ―― とても店長からの訓告とは思えないところだ。
「全く…先輩は従業員に甘すぎますよ?」
「え? そうかな。でも、皆ががんばってくれてるからお店が成り立ってるわけだし…僕が偉そうにしてもしょうがないでしょ?」
勿論、この3人の中では中谷が一番年上であるのだが、そう言って微笑んでいる姿を見ればとてもそんな感じには思えない。
この業界、結構上下関係とかは色々煩くて煩わしいものなのだが、「Misty Rain」に限って言えばそういったドロドロしたところが目立たないのも、この店長の人となりに起因するところも少なくないのだろう。
とはいっても、
「それに、俊彦君に逢いたくて来るお客さんって、会えるまで毎日でも来るわ〜なんていう人が多いからね。こういうの、焦らし上手って言うのかな?」
風俗業界で働いているはずなのにこの天然さは何なんだろうと、毎回頭を抱えたくなる裕司である。
だから、
「先輩…そんなことを言うからコイツが付け上がるんですよ?」
呆れつつそう言ってみたところで、勿論中谷に通じるとは思えない。
実際に、
「え? そうかな。そんなことないよね?」
「ないですよー、勿論」
「ほら、俊彦君だってそう言ってるし」
と、すっかり寿樹の言いなりだ。
「だから、コイツの言うことを信じちゃだめですって」
そう呟いて、こんな甘い状態で大丈夫かとも思えるところなのだが、その一方で、どんな些細なことでも悩み事があれば真剣に相談にのってくれる中谷である。
そのため、「Misty Rain」の従業員は好き勝手やっているようで、本当のところで店長の手を煩わせるようなことはしないという暗黙の掟のようなことがあるようなのだ。
まるで、童顔でちょっと頼りない兄を持ったしっかり者の弟のように、我儘を言いながらもどこかで自分達が守ってあげなきゃ!とでも言うように。
それに成績が良ければ勿論であるが、ほんの些細なことでも手放しで褒めてもらえたり気にしてもらえるということは、やはり人間誰だって嬉しいものなのだろう。
風俗の世界で働く人間なんて、大なり小なり心に鬱屈を持っているものが多いのも事実である。
そういったところでは、普段、ヘラヘラとして見せている寿樹にも、やりきれないものがあるということも知らない裕司や中谷ではなかったから。
(ま、しょうがねぇな)
それに、無茶をしているようで一応限度と言うものは寿樹も弁えているはずである。
だから、
「とにかく、ちゃんと明日からは ―― 」
きちんと出勤するように ―― と言いかけた、その時、
―― トントン
誰かが店長室のドアを叩いた。
その音に、中谷が何かを思い出したように立ち上がる。
「あ、そうだ。今日から新しいバーテンさんが入ったんだよ。他のフロアの子には紹介したけど、俊彦君はまだだったもんね。手が空いたら、ちょっと顔を出すように言っておいたんだ」
そう言って杖を器用に操ってドアまで行くと、中谷は自ら開けて廊下で待っていた青年を招いた。
「下は片付いた? それはご苦労様。今日、お休みだった俊彦君がちょっと来てくれたんでね、紹介しておこうと思って」
そういえばナンシー・ママがそんなことを言っていたっけと思い出した寿樹だが、同じフロアでもホストではなくバーテンと言うのならあまり興味はないところだ。
それでも、そういった人間関係は大事にしようというポリシーの中谷であるから、
「はい、失礼します」
「俊彦君、こちらが今日からバーテンとして入った成海(なるみ)君だよ」
そう紹介されて、まぁ挨拶くらいはしてやるかと、面倒臭そうに振り返った。
「はーい。俊彦で…え?」
その瞬間。
ズキンっ!と。背筋に電流にも似た衝撃が走った。
そしてそれは、成海と呼ばれた相手も同じだったようで ――
「 ―― っ!」
驚愕に見開かれた瞳に、寿樹は16年前の面影を見逃さなかった。






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初出:2007.07.15.
改訂:2014.10.05.

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