暁に見る夢 07


そもそもの切欠は、成樹がとある消費者ローンを訪ねたことだった。
その交渉中に貧血を起こして倒れてしまったところを偶然居合わせた裕司に助けられ、気がついたときにはこの店の店長室に寝かされていた。
そこで事情を話したら、
「だったら、ウチで働いてみない? 君、美人さんだから、すぐにでもいいところまでいけると思うんだけど?」
そんなことを言い出したのが、この店の店長、中谷だったのだ。
勿論、最初はホストクラブと言う場所に抵抗がなかったわけではなかった。
ところが、
「とにかく、一番大切なのはお客様に楽しんで頂くこと。それを第一に考えてやっていただければきっとうまくいくからね」
とてもホストクラブの店長には見えない中谷にそういわれて、ついその気になってしまったのが始まりだった。
夜はこの店で働いて、昼間は別のバイトを入れれば、少しでも借金が返せると思ったということもある。
実は、最初はヘルプとしてフロアで働かないかといわれたのだが ―― 当然その方が見入りはいいといわれたが ―― 流石にその度胸はなかった。
お世辞でも人付き合いが得意とはいえなかったし、ましてや相手が妙齢の女性ともなれば、何を話していいかなど判らない。
だから裏方を希望したのだが、
「勿体無いな、折角の美人さんなのに。じゃあ、カウンターならどう? あそこなら、そんなにお客さんの相手をすることはないし」
そういう中谷の言葉に甘えて、見よう見まねのバーテンをやることになったのだが、それが思いのほか初日から巧くいったのが自分でも驚いたくらいだ。
元々物覚えは早い方だったのも幸いした。
注文率の高い順にカクテルの配合を教えられたが、それも難なく覚えてしまった。
シェーカーの振り方も、元々全く知らなかったことが逆に幸いし、変な癖などつける前に基本を教えられたのが良かったらしい。
基本を覚えてしまえばそれを応用させることは割りとスムーズにできてしまった。
「すごいな。成樹君は性格が素直だから、飲み込みが早いんだね」
そんな些細なことでも、人から褒められたことなんて忘れてしまったくらいである。
だから、そう中谷に褒められたのもただ嬉しくて。
だから、ここでの仕事も楽しく、本当にがんばろうと思っていた。
しかし、
「今日、お休みだった俊彦君がちょっと来てくれたんでね、紹介しておこうと思って」
そう言われて紹介されたこの店のホストが、まさか寿樹だとは夢にも思わなかったのだ。
そう、まさか ―― 16年前に引き離された、実の弟だとは。



「あら、貴方、新人? 始めて見るわね」
ヘルプから注文を受けたカクテルを作って出すと、入れ違いにふらりとカウンターにやって来たのは一人の女性だった。
「はい、し…成海です」
一瞬、本名の方を言ってしまいそうになるが、ここでは全員、源氏名を使うことが原則となっている。
だから直ぐに言い直したのだが、そんなところからも新人と言うことはばれているようだ。
因みに、成樹の源氏名である「成海」というのは、中谷が付けてくれたものである。
「ウフフ…まだ、ここでの名前になれていないのね。無理しなくてもいいのよ」
「…すみません」
「私は咲子。ここでは常連の方ね」
「そうなんですか。よろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ」
年齢は、咲子と名乗った女性の方が若干上のようだ。尤も、それ以上に、こういった駆引きには慣れているというようで、彼女は嫣然たる笑みを浮かべると、グラスを差し出す成樹の手を取った。
「あっ…」
慌てて成樹は手を引っ込めようとしたが、その前に更に咲子がもう片方の手間で重ねてきたので、振り払うこともできなくなってしまった。
しかも、
「勿体無いわ、貴方、そんなにキレイなのに。こんなところよりも、フロアの方がお似合いよ」
「いえ…そんな…」
「良かったら、私が指名してあげましょうか?」
「いえ…その…」
こんな妙齢の女性と話をしたことなどない成樹である。咄嗟に返す言葉などあるはずもない。
確かに綺麗で無口であるために、成樹にはクールなイメージがつくことが多い。
だが実際は、単に人見知りが激しいのと ―― 人付き合いが苦手なのである。だから、こんなときにはどうしていいか判らず、内心オロオロとしていたら、
「いらっしゃいませ、咲子さん」
不意に冷たい声が成樹の耳に届いた。
「あら、俊彦」
「なんで咲子さんがこんなところに? あーだめですよ。成海ちゃんは新人なんですからね。誘惑しちゃあ」
そう言って咲子の隣に座ったのは、先ほどまで中央のテーブルにいたはずの寿樹だった。






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初出:2007.07.31.
改訂:2014.10.07.

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