暁に見る夢 12


成樹が連れてこられた先は、白亜の大きな病院だった。
その中にある病室を前にして、裕司は立ち止った。
「ここだ」
引き戸のドアの側には「上村樹理」という名札がかかっている。
それは紛れもなく成樹の母の名で、
「ここ…ですか?」
震える声で成樹が確認すれば、裕司は黙って頷いた。
『寿樹の…ってことは、お前の母親でもあるんだろう? 樹理さんの容体が悪化したらしい』
そう言って迎えに来た裕司から、ここに来る途中の車の中で、大まかな病状は説明してもらっていた。
女手一人で寿樹を育てた母がガンに侵されたことに気がついたのは、半年前のことだったらしい。そして、すでにその時には体中に転移もあり、手術で摘出するには無理があったとのことだった。
しかも、本人も手術は望まなかったらしく、そのため、治癒に向けた治療ではなく単に痛みを抑えるだけの処置によるホスピスを望み、この病院に入院したという。
そして今まではなんとか安定していた容体が今朝から急変したため、店に病院から連絡が入ったということだった。
なお寿樹は昨夜から姿を消しており、目下、裕司が手下を総動員して探しているということでもあった。
(全く、素人相手にいきなり手を出すヤツがいるかよ。順番ってもんがあるだろうが。しかも、振られて逃げるんなんざ、どこのオコサマだ!)
そう裕司が内心で毒吐くのも、実は昨夜何があったのかを彼は全て知っていたからだった。
あの店には、店長である中谷の足が不自由であることを考慮してあちこちに防犯を兼ねたカメラが設置されている。
勿論そのいくつかは店の裏口にも設置されており、その一つに昨夜の出来事がしっかりと映し出されていたのだ。
寿樹には生き別れになった兄がいて、それこそ恋い焦がれるように会いたがっていたということは裕司もよく知っていた。
まさか成樹が寿樹の兄だということは、流石に最初は知らなかったが、あの時 ―― 成樹が挨拶に来た時の寿樹の様子ですぐにわかった。
元々、どこか見覚えがあるような気がしたから拾ってきたということもある。だがこうしてみれば、確かに母である樹理によく似ている。
それに、しっかりしていそうでどことなく脆いところがありそうな雰囲気も ―― 親子でそっくりだ。
(ってことは、寿樹は父親似か? いや、父親の方がもっと優柔だったって聞いてたけどな)
とすれば、寿樹のあの気の強さは家族を守ろうとするがために培ったものかとも思えるところでもあるが ―― 実際には家族がバラバラになってしまったということであれば、その時の悔しさは並大抵のことではなかったのであろう。
だから、再会できて舞い上がっていたというのも話は判る。だが、寿樹にとってはそれだけではなかったのだ。
裕司自身、同性との恋愛には忌避を持たないから別にどうこう言うつもりはないが、こうしてみているだけでも、成樹が全くのノンケであることは間違いない。
ましてや、以前に寿樹から聞いた話では成樹が育てられた家というのが田舎の旧家と聞いていたから、当然同性同士、しかも兄弟でなどということをすぐに認められるわけなどないだろう。
それを、
「ったく、あの馬鹿が。よりによってこんな時にトンズラしやがって…」
しかも手を出したほうが逃げるなど、何をやっているんだ!と怒鳴ってやりたいところでもある。
しかし、
「…すみません、俺のせいです」
「気にするな。あいつがバカやったのは判ってる」
こういうところは、同じ兄弟とは思えないほど、成樹の方が大人である。
だが、そう裕司が答えると、え?と不思議そうな表情を見せつつ、その意味するところに気がついた成樹は、一瞬にして頬を真っ赤に染めていた。
そんなところは ―― これもまた、あの寿樹の兄には思えないほどの初心さだ。
そしてその表情には、羞恥はあっても忌避や嫌悪といったマイナスの感情は見当たらなかった。
(ふぅ〜ん。これは、もしかして…)
同性同士でしかも兄弟となれば、ありきたりの倫理感もさることながら一度拒否を感じれば長く引きずるものである。
だが、成樹には寿樹に対する拒絶は見受けられず、寧ろ庇うかのようにも見えるところは、全くの脈なしとは思えなかった。
だが、今はそのことをとやかく言っている場合でもない。
「…まぁいい。それよりも、今は樹理さんの方だな」
当初の目的を思い出した裕司は、すでに顔見知りになっているらしい看護婦と目配せをすると、
「樹理さんには俺も世話になったことがあってな。まぁお前にだって恨みごとの一つや二つあるだろうが、最期くらい、安らかに送ってやれよ」
成樹が内心では樹理や寿樹にどういう感情を抱いているかは、流石の裕司でもまだ把握はできていない。
だが、少なくとも思いのままに感情をぶつけてしまう寿樹よりは人間ができているのは確かだと思い、死を前にした肉親に更なる絶望を味あわせるようなことはないだろうとは思っていた。
ところが、
「そんな、恨みごとなんて…恨まれているのは、俺の方ですよ、多分」
「何?」
「俺は、母さんや寿樹が苦労していることも知っていたのに、一人だけ裕福な祖父に引き取られてのうのうと生活してたんですからね」
そう言って泣き笑顔のような表情を見せると、成樹は意を決したように病室へと足を踏み入れた。
その姿を見送って、
「…なんか、俺が聞いていた話と違うな」
そう呟いた裕司も病室に足を踏み入れたが、10数年ぶりの母子の再会を邪魔しないようにそのまま入口近くの壁に背を預けていた。






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初出:2007.09.09.
改訂:2014.10.05.

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