暁に見る夢 20


気がつくと、成樹はいつの間にか見たこともないような高級マンションの一室に通されていた。
どうやら寿樹の住んでいるマンションらしい。
流石にホストをしているだけあって、成樹の住んでいるアパートとは比べようがないほどの豪華さだ。
だが、
「ここに座ってて。すぐにクスリを持ってくるから」
一見して高級と判る家具や調度の数々だが、どこか無機質的な冷たさも否めない。
まるでとりあえず揃えただけというか、それこそモデルルームのような見せ映えだけというようで。人が住んでいる温かみにはかけている部屋である。
恐らくは、それこそ寝に帰るだけの部屋なのだろう。
家具などの中にはうっすらと埃の積もったものまであって、使用されていないことは明らかだ。
そんなことを何となく見ていた成樹だったが、
「ごめん、痛いだろうけど…ゆっくり開いて見せて」
いつの間に戻ったのか寿樹は自分の目の前に跪くと、そっと成樹の右手を開かせた。
ただ巻いただけの白いナプキンは、すでに滲んだ血が黒く変色しかかっている。
しかも、
「…っ」
乾きかけた血のせいで傷口に張り付いていた布を取り去れば、流石にピリリとした痛みが走って成樹の顔を歪ませた。
「ごめんっ! 痛かったっ?」
そんな成樹の様子に慌てた寿樹は、そう言って泣きそうな目で見上げてくるが、そちらの方がずっと痛そうな顔をしていた。
「いや、大丈夫だよ」
「でも…ごめん、俺のせいだ」
そう呟きながら、それでも手当てをしようと消毒やら包帯やらを持ち出した寿樹は、恐る恐るナプキンを外すと、曝け出された傷口に息を呑んだ。
確かに、ガラスの破片で切ったために出血は多かった。
しかし、傷口自体はほんの1、2センチほどのことで、それもさっくりと切っているから、却って傷口さえあわせておけば大したことはなさそうだった。
それでも、
「酷い…」
この程度の怪我ならば大したことがないことなど一目瞭然である。だが、その相手が成樹だと思えば、とてもそんなことはいえなかった。
寧ろ、このきれいな手を怪我させてしまったことが許しがたい大罪にすら思えてしまって。
「大したことはない。もう、痛くないし」
「でも…ごめん、本当にごめんなさい。俺のせいで…」
成樹が幾ら大丈夫といっても、寿樹はポロポロと涙を流していた。
その姿は、幼い頃の姿と本当に変わっていなくて、
(ああ、こういうところは変わってないんだな)
いつもは強がりを言っていても、甘えん坊で泣き虫なところは昔のままだと思えば、今までのわだかまりなどどこかへ飛んでいってしまいそうだ。
そうどんなに強がりを言っていても、成樹にとって寿樹は可愛い弟で。
今となっては、世界で掛替えのない存在である ―― と。
そう思い出せば、もう成樹に迷いはなかった。
母のように、気がついたときにはもう手遅れで、何もしてあげられずに失うようなことはしたくなかった。
そう例えそれが、世間から見れば間違ったことであっても ―― だ。
「それより、お前の方こそ大丈夫だったのか?」
「…ん、平気」
「全く、生きた心地がしなかったよ。もう、あんな真似はしないでくれ」
「ん、判った…」
右手は使えないから左手で頭を撫でてやると、寿樹は嬉しそうに頬を寄せてきた。
まるで暫く放っておかれた飼い猫が、主人に甘えて見せるかのようで。
そんな他人には絶対に見せない仕草が、心から愛しいと思えてくる。
だから、
「たった二人きりの兄弟だもんな。俺にはもう、お前しかいないんだぞ?」
「兄ちゃん…」
あの時の ―― 男がナイフを向けてきたときのことを思い出だせば、まだドキドキと鼓動を早くする。
そう、あんな思いをするくらいなら、今はどんな手を使ってでも繋ぎとめてやると思うところで。
「俺から…いなくなるようなことはしないでくれ」
「うん…」
「ちゃんと約束できるか?」
「できるよ。兄ちゃんの側にずっといたい」
「本当に?」
「本当だよ。俺には…兄ちゃんしかいないんだ」
そう言ってすがり付いてくる寿樹が、本当に可愛いと思った。
だから、
「だったら…俺をお前にやるよ」
「…え?」
「お前に俺をやる。その代り…お前も俺だけのものだ」
そう言って、驚く寿樹の頬を包み込むと、成樹はそっと唇を寄せた。






19 / 21


初出:2007.10.20.
改訂:2014.10.05.

Paine