Tears 02


政樹が3Eの教室を覗くと、そこには双子の兄である尚樹の姿は無かった。
「悪い、誰か尚樹がどこに行ったか知ってる?」
誰とも無く尋ねると、一人の女子生徒が振り向く。
「多分、生徒会役員室だと思うわ」
「Thanks. じゃ、ちょっと行ってみる」
政樹は軽く礼を言ってそこに向かおうとしたが、
「あ、待って政樹君」
教えてくれた女子生徒が引き止めた。
「ごめん、ちょっと話があるんだけど…いい?」
「え? まぁ…いいけど」
政樹を引きとめた女子生徒 ―― 生徒会書記の川原弥生である。
政樹を人気の無い階段の踊り場に誘うと、弥生は問い詰めるように尋ねた。
「ねぇ、尚樹に何かあったの?」
「何かって?」
「とぼけないでね。何かここのところ妙に機嫌が悪いじゃない。おかげで変な噂までたってるし」
長い黒髪に切れ長の瞳。純和風系美少女の弥生は、尚樹とは公認のカップルということになっている。
といっても実はそれはお互いやたらとモテまくり、ストーカー紛いの者まで現れるほどだったためのカムフラージュに過ぎなかったりする。
そのため実際は何でも知っている、異性を感じさせない親友未満といったところであって、他の生徒達はともかく、生徒会役員内ではその認識のほうが強かった。
そんな弥生だからこそ、他の人間があえて聞かないことでも遠慮なしに政樹に聞いてくるのだ。
何せ、生徒会長を二期続けてやっているほどの尚樹である。尚樹に意見の出来る人間など、教職員を含めてもほんのわずかしか存在せず、政樹と弥生はそんな希少的存在であった。
「噂って、例の野球部の予算のこと?」
逆に政樹が確認する。
「そうよ。尤も、あれは永森君が勝手に流してる噂に過ぎないんだけどね。でも、ここまで大きくなってもほったらかしなんて、尚樹らしくないじゃない?」
生徒会副会長の慶一郎は、自他共に認める両刀使いである。
しかも好みの基準が「可愛いこと」だから、身長190cmの体育会系である本人にとっては、外見だけなら校内の八割近くが対象になる。
但し、自称フェミニストを公表するだけあって、昨日の野球部のような話を聞くと範囲外からすぐさま敵対視までいってしまい、つい余計なおせっかいをするのが問題だった。
「やっぱり、元凶は慶一郎か。そうじゃないかと思ったんだ。まぁ、尚樹も今回の野球部の不祥事にはいい気分じゃないのは確かだろうけど…。尚樹の機嫌が悪くなる原因っていったら、一つしかないじゃん」
弥生も、やっぱりという顔で確認する。
「ってことは、やっぱり、克己さんのこと?」
「そう…克己兄さん、帰国したんだけど一人暮らししたいって言っててね」
政樹は深々とため息をつくと、どうしようもないという顔で弥生を見た。
世間一般では、冷静沈着、品行方正、才色兼備を誇る生徒会長、五十嵐尚樹であるが、無論、この学校内が一枚岩でない以上、彼を良く思っていないものは生徒内にも教職員内にも存在する。
しかも生徒の大半が裕福な家の子弟であるため、短絡的に暴力で害しようとするものが今まで何人もいたらしい。
らしいというのは、実際には今までに表面に現れたことが無いからである。
実際に尚樹は 武道の心得もあるのだが、それ以上に強力な武器を持っていた。
尚樹と政樹の実家は国内でもかなり有名な総合病院を経営しており、現在は二人の父親が院長である。
この病院 ―― 五十嵐総合病院は、実は巷ではセレブ御用達とも言われており、芸能人や政財界にも利用されている。
そもそも二人の母親である京子夫人は未だに政界のドンといわれている元首相の榊原泰久の娘であるのだった。
表向きは長男の康則氏に基盤を譲ったとされているが、未だその派閥としての勢力は現首相でさえ足元にも及ばないと言われている。そして、康則の子供が二人とも女子であるため、次期後継者と目されているのが尚樹であった。
実際、幾つかのコネと情報網は既に祖父の泰久から直接尚樹に渡されている。そのため教育委員会など恐れるに足らず、校長ですら触らぬ神に祟りなしを決め込んでいる。
当然、区の予算くらいなら尚樹の思い通りに組めるほどで、事実、今年度の桜ヶ丘学校に回された区からの補助金は一桁アップという話だった。
更にこの春に移動になった教師は、全員尚樹が気に入らないと言っていた者ばかりだったというのも政樹をはじめとする極少数だけが知っていることである。
そんな尚樹であるから、たかが金持ちの高校生なんかどうとでも処分できるというもので、不穏な動きもすぐさまキャッチされると同時に処理されるのが常であった。
そんなとても高校生とは思えないような尚樹にも弱点があり、それが従兄弟の本条克己の存在だった。
克己は尚樹達の父親の妹の子供にあたる、9歳年上のもうすぐ27歳。この春から五十嵐総合病院の正式な外科医になっていた。
ちなみに尚樹達が在学している桜ヶ丘学園高等部の卒業生でもあり、未だに「ミス桜ヶ丘学園歴代一位」をキープしている。
そう、「ミスター」ではなくて「ミス」の方。
勿論、克己はれっきとした「男」であったが、それはそれは綺麗で、類稀なほどの美形で、絶世の美人であった。
「世界三大美人を述べよ」などといわれたら、政樹などは克己しか思いつかないほどである。
しかもストレートで某国立大学の医学部に入ったほどの頭脳明晰で、人当たりも良い。
それこそ物心付いた時には、すでに克己は尚樹や政樹のすぐ近くにいた。克己の母親は病弱で、本来であれば出産などできる状態でもなかったらしい。当然、出産後はほぼ寝たきりとなってしまいとても育児などできるはずもなく、克己は五十嵐家で育てられていた。
因みに克己の父親は仕事柄海外を点々とすることが多くて、尚樹達の母親である京子が半強制的に引き取った ―― というよりも、克己達母子の面倒を見るために五十嵐家に嫁いだと言っても過言ではなかった。
そもそも克己の母親の亜紀子と尚樹達の母親である京子は幼稚園からの親友であった。
克己に瓜二つの亜紀子は、可憐・繊細・世間知らずを地で行くお嬢様で、京子のような姉御肌タイプにはほっておくことができなかったらしい。更に、亜紀子の兄に当たる利行のほうも、早くに両親を亡くしたために亜紀子の兄兼父親代わりを自負しており、それこそ目に入れても痛くない程可愛がっていた。それくらい利行も京子も亜紀子を可愛がっていて、その一人息子である克己をそれこそ実の子供以上に可愛がっている。
そんな状態にも関わらず、克己自身がまたそういったことを鼻にかけないため、五十嵐家の人間は全員が克己の親衛隊的存在であり、その中でも飛びぬけていたのが、尚樹と妹の利恵であった。
「えっ? だって、つい最近、やっと帰ってきたって言ってたじゃない?」
弥生も克己のことは良く知っている。一時は男ながらに美しい克己に敵対心を抱いたこともあったが、今ではそんな気さえ起きない ―― 克己は別格なのである。
ストレートで医学部を卒業して国家試験もパスして、克己は大学の教授の薦めもあってつい最近までニューヨークの救急センターにインターン留学していた。そして、つい先日帰国したのだが、
「確かにね。でも、予定よりも早い便で帰ってきて、連絡するの忘れてたからとりあえず克彦さんが使ってたマンションに行っちゃったみたいでさ」
「あらあら…それじゃあ尚樹もご機嫌斜めになるわね」
「尚樹だけじゃないよ。利恵なんか熱出して寝込んでるし」
大抵のことなら何でも思い通りにする尚樹であるが、こと克己に関するとそうはいかない。ましてや既に克己が決めたことであれば、とても反対など出来なかったのである。
普段、独断専行の尚樹しか知らない生徒たちが知れば、それこそ信じられないことであるが、尚樹も克己の前でだけは年相応の高校生でしかなかったのである。






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初出:2003.03.25.
改訂:2014.09.28.

Silverry moon light