Tears 06


「あれ、まだ準備中みたいだよ?」
「大丈夫。馴染みの店なんだ」
ドアに掛けられた『CLOSE』の札を思いっきり無視して中に入る郁巳に、ちょっと戸惑いながらも祐介が後に続く。
すると、
「すいません、まだ準備中…なんだ、郁巳か」
「なんだはないじゃん、幸洋(ゆきひろ)。奥のテーブル借りるね」
さっさと奥に行く郁巳に対し、祐介は幸洋と呼ばれた店員にペコリと頭を下げ、郁巳についていく。
それを珍しそうに見ていた幸洋と呼ばれていたバー店風の男は、ジュースをグラスに注ぐと二人が座ったテーブルに運んで来た。
「いらっしゃい、準備中なんでこんなものしか出せないけど、ゆっくりしていって下さい」
「すみません、ありがとうございます」
律儀に頭を下げてから、グラスに口をつける。この辺りに、祐介の育ちの良さが垣間見れる。
一方の郁巳は幸洋とはかなりの馴染みらしく、
「ちょっと込み入った話するから」
「OK」
まるで年の離れた兄弟のような二人に、祐介が怪訝そうな顔をした。
「仲がいいんだね」
「まぁね」
深くは応えず、郁巳もジュースに口をつける。
そして、
「俺のことはいいからさ、お前の話をしようぜ。なぁ、祐介、尚樹センパイとなんかあったんじゃないの?」
―― ガチャン!
流石に落しはしなかったが、音を立ててグラスがテーブルにぶつかる。
「な、何かって、何?」
「だから、それを聞いてんの」
「な、ないよ、何にも」
と言いながら、既に頬は紅潮しているし、受け答えもしどろもどろになっている。
「そんなわけ無いだろ? 俺が気が付かなかったとでも思ってんの?」
そう言いながら、郁巳はテーブルの上に肘をつくと指折り数え始めた。
「まずは、春先の授業をサボったとき。あの時から祐介ヘンだったもんな。あの時お前、尚樹センパイと一緒にいただろ? そのあとから尚樹センパイのクラスが体育やってるとずっと外見てるし、校内放送で尚樹センパイの声を聞くと固まっちゃうし、トドメはさっきのアレだしな」
まるでいたずらを見つけた兄が、素直に白状しない弟をいじめているような雰囲気である。
「別に…なんでもないよ。ホントに…」
真っ赤になって「何でもない」と言われても、そんなこと信用しろと言うほうが無理である。
しかし、
(もしかして、マジに祐介ってば自分の気持ちに気づいてないわけ?)
まぁそれも無理な話ではないというもの。
そもそも、今まで野球一筋の純真な青少年だった祐介である。まさか男が男をなんて ―― 考え付かないのも仕方がない。
「祐介」
何か無性に祐介が可愛くなって、郁巳は祐介の頬を両手で包むと囁くように呟いた。
「お前、尚樹センパイのことが好きなんだよ」
「えっ?」
「鏡で自分の顔を見てごらん。これは間違いなく、恋してる顔だよ」
その瞬間、祐介は首まで真っ赤に染まっていた。
「あのさぁ、そんなに深く考えることはないと思うよ」
郁巳に指摘されて始めて気が付いた自分の心に、祐介は戸惑いを隠せなかった。
いままで、好きな女の子が全くいなかったわけではない。つきあうまではなかったものの、良いなぁと思った女の子は確かに存在する。
それと同じ思いを ―― むしろそれ以上に強い思いを尚樹に感じているのは確かである。
「でも…僕、男なのに…男の人をなんて…」
「性別なんて関係ないじゃん。人が人を好きになる。それが同性か異性かは二の次三の次。その人のことをどのくらい思っているか、その思いが大事なんだよ」
といいながら、郁巳は照れくさそうに笑った。
「…なんてね。俺が偉そうに言うことじゃないんだ。今の台詞は尚樹センパイからの受け売り」
「え?」
「あのさ、俺、実は幸洋とデキてんの。判る? この意味」
「え、ええっ ―― ?」
この日二度目の爆弾発言に、祐介の思考回路はショートしそうである。
「ま、詳しい経緯はそのうちゆっくり話すけどさ、はじめは俺の片恋だったわけよ。で、うじうじ悩んでた俺に、それを見透かした尚樹センパイがそういってくれてさ。確かに仕方がないじゃん、好きなんだから。ましてや俺の性格じゃあ、黙ってるなんて出来ないしね」
だから当たって砕けろと告白して ―― それで今の関係が成立した。このことを知っているのは、意外に理解のあった両親と姉の弥生、それにお弟子の数人に尚樹である。
「だから、尚樹センパイは男同士だって平気だよ。実際、センパイ自身、もう10年以上も男の人に片思い中だしね」
「え? 10年以上も…?」
出来れば祐介には協力してやりたい。しかし、こればかりは相手もいることだから、郁巳は隠さず話した。
「尚樹センパイの従兄弟でね、うちのOBで本条克己って言うんだけど…聞いたことある? ミス桜ヶ丘学園歴代一位の」
「あ…名前だけは」
桜ヶ丘学園で『美人』と言えば、一番に名前があがる人物である。幾ら世に疎い祐介でも入学以来、その名前は何度となく聞かされていた。
「尚樹センパイの親父さんの妹の子供になるんだけど、尚樹センパイの両親ってのが克己さんをチョー溺愛しててね、その影響であの一家は克己さんの親衛隊みたいなもんなんだよ」
確かに、一時は弥生とも付き合っていた尚樹であるが、結局別れた理由の一つは克己にあったと郁巳は思っている。
そして、もう10年以上も側にいながら、あの尚樹が未だにちゃんと告白すらしていないことが、郁巳には一つの確信になっていた。
恐らく、尚樹の克己に対する想いは恋愛ではない ―― と。
恐らく、アイドルに擬似恋愛するファンのような。
いつまでも子供っぽい克己に対する保護心のような ―― 。
だから、祐介にもチャンスはまだあるはず ―― 。
「まずは、自分の気持ちと向き合うこと。それが大事だよ。そうすれば自分がどうしたいのかが見えてくる」
(例えそれが、結果としてうまくいかなかったとしても…ね)
ちょうど三年前の自分を見ているような気がして、郁巳はあの時尚樹がしてくれたようにくしゃくしゃっと祐介の頭をなでてやった。






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初出:2003.04.07.
改訂:2014.09.28.

Silverry moon light