Tears 13


夏休みに入ると、すっかり梅雨は明けて季節は一気に真夏へと直進して行った。
「今日はね、克己兄さんとデート。八景島に行くの」
克己の休みをチェックして、次から次へとイベントを計画する利恵に、いつもなら邪魔をする尚樹が今回はその気配すら見せない。
「この暑いのに、ご苦労なことだな」
「大丈夫よ。日射病にでもなったら、克己兄さんに付きっ切りで看病してもらうもの」
「克己兄さんの方が倒れたらどうするんだよ?」
「その時は私が付きっ切りで看病するに決まってるでしょ」
未来の花嫁としてはそのくらいは当然よと、利恵の思い入れはすさまじい。
高校三年の夏といえば、受験や就職活動を控えて最後の自由な時間である。
もちろん、中には既にそれどころでない者もいる。
しかし、尚樹も政樹もそんなあせりとは全く縁がなく、勿論遊び呆けるということもないが、かといって家にこもって受験勉強ということもない。
尚樹の志望校は、某国立大学法学部である。
病院は政樹が継ぐことになるだろう。
これは既に両親も納得しており、事実、三年生進学の際にも政樹は理系生物クラスを選んだが、尚樹は文系のクラスを選択していた。
将来は祖父の後をついで代議士という路線が現在の最有力候補であり、祖父も両親もそれを望んでいるらしい。
但し、本人には別に考えるところがあるらしいが。
気合満点の利恵が準備にいそしむ中、尚樹は朝食のトーストをかじりながら、テーブルに置かれた朝刊に手を伸ばした。
一面には大々的に議員汚職のスクープが報じられている。
その記事には全く興味も示さずに、尚樹はパラパラと新聞をめくっていく。
そんな様子を、丁度対面に座っていた政樹は見逃さなかった。
(やっぱり、尚樹の仕業か…)
その日の朝刊一面トップの記事。それは、名取都会議員の贈収賄疑惑を報じるものだった。



鳴り響くインターフォンの音に、家の前に張り込むマスコミの集団。そして何度かけても繋がらないことは判っているのに、その無駄な行為を繰り返す父親を、名取礼司は冷たい視線で見ていた。
「いい加減にしろよ、親父。あんたは切られたんだよ。まだ判んないのかよ」
冷酷に響く息子からの言葉に、名取議員 ―― 近日中には元議員になるだろう ―― は、がっくりと肩を落とした。
「そんな…そんなはずはない。儂は…」
「助けてくれるなら、マスコミに流れる前に手は打たれてるはずだろ?」
「それは…いや、しかし…」
議員と言うよりはヤクザと言われたほうが似合う体型の父である。それが意気消沈している姿は哀れを通り越して滑稽であった。
尤も、それを利用してきた自分も、周りから見ればさぞかし滑稽であろう。
名取家は祖父の代からの都議会議員である。祖父は苦学の上に議員になったいわば苦労肌であったが、それゆえに自分の後継者を作ることに失敗した。
自分が苦労したから少しでも息子には楽をさせたい。そんな親心が逆に息子をスポイルしたのだ。
弱者には恫喝で、強者には媚びへつらうことで対応する。
そして強者のためにはどんな汚いことでも嬉々としてやってのけ、地位を確保することに執着した。その結果が、この日を招いたのである。
「あれは…あれは、大貫先生からのご希望だったんだ。儂は仲介に入っただけで…」
大貫というのは、都議会議員の中でも長老格で、名取にとってはボスに当たる人物である。
今回の件 ―― 都庁舎の修繕工事入札に関する贈収賄 ―― はその大貫から、あるゼネコンに有利になるよう取り計らってくれと言われたことが発端だった。
「そんなこと、今更言っても無駄じゃないか。それより、これからどうするかを考えろよ!」
自分の父親とはいえ、情けないとしか言いようがない。しかし、礼司には父親の破滅が自分の破滅であることも判っていた。
最近の世論は、代議士の金管理には敏感である。
ついこの前も秘書の給与疑惑で国会議員が辞職に追い込まれているし、某地方自治体では公共事業の発注に関する贈収賄で市長がリコールされているのだ。
疑惑が上がったと言うだけでも進退問題になるところなのに、今回は決定的な証拠写真まで新聞に掲載されてしまった。
しかも、贈賄側の企業は既に記者会見で全面的にそれを認めたうえでトップ陣が辞任している。
もはや、名取議員の存続は不可能であった。
それでも、何とかその地位にしがみつこうとしている父親は、最後の手段に出ていた。
「そ、そうだ。礼司、お前から五十嵐君に頼んでくれ」
「五十嵐に? 何でその名前が出てくる?」
「大貫先生は榊原先生の派閥だ。榊原先生の甥にあたる五十嵐君からなら…」
サァーっと礼司の顔面から血の気が降りた。
(そうか、そういうことか…)
今更ながら礼司は思い出していた。桜ヶ丘学園高等部生徒会長五十嵐尚樹が、元首相榊原泰久の孫であるということを。



食後のコーヒーを味わいながら、尚樹は朝のワイドショーに視線を移した。
「朝から、ご苦労なことだな」
基本的にワイドショーネタには興味のない尚樹であるが、ニュース番組がやっていない以上は仕方がない。
何人ものレポーターが覆いつくしている名取議員の自宅前。近所迷惑この上ないだろうなと思いつつも、小気味のよさが心地よい。
都庁舎の修繕工事入札の件については、以前から灰色の噂が立っていた。
そのくせ大っぴらに取りざたされていなかったのは、あくまでも『修繕』であったから。
新築であれば動く金額も莫大になるが、修繕ではたがが知れている。当然、議員に回される賄賂の額も知れていて、リスクに見合うだけの金額とはいえないのが実情であった。
ましてや、たかが都議会とはいえ長老格にまでなっている大貫にすれば、そんなことで議員辞職するのは御免被りたいところである。
だからこそ、この利権に関しては名取に払い下げたのだ。
そこは長老と言われるだけあって大貫のほうが狡猾さは上手である。
あくまでも名取には恩を売っているように見せながら、危ない橋を譲り渡す。危険を感じれば、橋の綱を切り落とし、橋ごと処分してしまえばいい。
それに気が付かず、貰った利権を今までどおりに使えると信じた名取は、今までと同じようにそれに群がった。既に火がついて、燃え始めているとも気が付かないで。
新聞に載っていた写真は、名取がとある料亭の門をくぐるところである。そしてその前後に企業の幹部がやはりその店に入り、その企業幹部が乗ってきた車で帰っていく名取の姿。
どの新聞や週刊誌も同じ写真であると言うことは、その写真がフリーの者によって撮影された投稿と言うことである。そしてその場合、大抵は撮影者の名前が記事に載るものであるが、今回それはなかった。なぜなら、それは匿名で送られてきたものであったから。
「しかし、深山は相変わらずシャッターチャンスがうまいな」
料亭に入るところと言い、車に乗り込むところと言い、どちらも名取議員の顔はばっちりと撮られている。それらは全て、『ラブレター』と称して深山が尚樹にくれた写真であった。
―― RRR…
不意に尚樹の携帯が着信を告げる。画面には渉の名前があった。
「尚樹か? 名取が動くぞ。どうやら向こうも仲間を集めているみたいだ。用心しろよ」
「判った。今日明日でケリをつけよう」
「了解」
名取の退路は既に断ってある。あとは学園から追い出すだけであるが、それも策は張ってあった。
万事は抜かりがないはずである。
しかし、
(あいつが知ったら、また泣くだろうか?)
声を殺して、ぎゅっと唇をかみ締めて涙を流す ―― あの時の祐介の姿を思い出して、ふとそんな気がした尚樹であった。






12 / 14


初出:2003.04.26.
改訂:2014.09.28.

Silverry moon light