Tears 15


部屋に戻ると、所在無げに立っていた祐介が嬉しそうに微笑んで見せた。
「なんだ、立ったままだったのか? まぁ、座れよ」
「あ、はい…ありがとうございます」
慌ててその場に座る祐介の仕草も、見ているだけでいじらしい。
色白のために、感情の高ぶり一つですぐ赤くなるのが良くわかる。ここまではっきりしていると、自信過剰といわれても祐介が自分をどう思っているかは手に取るように判ってしまう。それだけに、尚樹はこのあとどうするかをためらっていた。
これから自分がやろうとしていることは、できれば祐介には知らせたくない。知れば、きっと祐介はまた悲しむだろう。もしかしたら自分を軽蔑するかもしれない。
しかし、尚樹にやめることはできなかった。もはや、賽は投げられている。今、名取を排除しなければ、安心できないと言うのも事実だった。
そして祐介の安全を考えれば、今すぐに家に帰して家から出ないように諭し、今夜中にケリをつけるというのが最良だろう。
問題は何といって家から出るなと諭すかである。いや、それよりもいっそのこと ―― 。
「腕を出して…ああ、やっぱり赤いな。痣とかにならなければいいが」
細い祐介の手首を濡らして来たタオルで冷やしてやると、一瞬ビクリと祐介の身体が震え、それでも尚樹に逆らうことはない。
言われるままに部屋に上がってしまった祐介のほうは、妙に尚樹を意識してしまう自分に驚いていた。どうやら今この家にいるのは尚樹と自分の二人だけらしいということもそれに拍車をかけている。
「あ、あの…先輩。もう大丈夫です。あとは自分でやります」
とその時、ふと戸棚の中に飾られた写真に気が付いた。
恐らく、何かの記念で撮られたらしい集合写真。映っているのは尚樹と政樹と恐らく両親と妹、そして ――
「あ、あの先輩、僕やっぱり帰ります。すみません、お邪魔しました」
「え? あ、ちょっと待った、じゃあ、送って…」
「大丈夫です。すみません、本当にお世話になりました」
まるで逃げるように ―― 事実、祐介は逃げ出していた。
写真の中で優しく微笑んでいる克己の姿を見てしまったから ―― 。



その少し前に、マスコミに囲まれた自宅から逃げ出した礼司は、歌舞伎町にあるいつもの溜まり場に向かった。
不夜城と言われる歌舞伎町も、流石にこの不況下には勝てず、立地条件の悪い店は相次いで閉店となっている。礼司が向かった先もそんな店の一つで、最盛期の派手なつくりだけあって、潰れた後の手入れのなさがまるで幽霊屋敷のような静けさが漂っている。
それでもいつもなら、礼二達の溜まり場になっているだけあってわりと賑やかになっているものなのに、今日は更に静けさに包まれていた。来ているのは、中等部の頃からツルんでいた夏井と田内という少年二人だけだった。
「他の連中はどうした? 集めておけって言ったはずだ」
イライラとした口調で詰め寄る礼司に、夏井は冷めた視線で言い放つ。
「俺達だって来るつもりはなかったんだぜ」
「長谷川さんの命令だからなぁ、仕方がなく来てやったんだよ」
「長谷川の?」
ビクッと礼司の顔色が変わる。
長谷川というのは、礼司の父の息が掛かった暴力団組員である。礼司たちが歌舞伎町で好き勝手するためにはどうしても組とのいざこざが起こるため、その仲介役としてつけられたいわばお目付け役であった。
それが、
「礼司、お前、自分の立場ってモンがわかってねぇだろ?」
「何の…ことだ?」
「アハハハ…やっぱ、コイツわかってねぇよ」
夏井と田内はかわるがわる腹を抱えて笑い出した。
「おまえはさぁ、もうおしまいなんだよ。お前の利用価値なんざ、議員の父親がいたからにすぎないのさ。それが、こうなったらお前には用がないって訳だ」
「ましてや、相手がワリイよ。五十嵐にケンカ売るなんざ…。だからイイトコのお坊ちゃんは使えねぇんだよ」
つい先日まで、自分に対し敬語でものを言っていた二人からの罵声に、礼司は愕然とした。
「五十嵐が…なんだっていうんだよ!」
逆ギレした礼司が夏井に掴みかかる。一瞬、ひるんだ夏井であったが、
「お前…マジで知らなかったのか? 長谷川さんは蒼神会系の組員だぜ。その蒼神会の先代会長が入院してたのが五十嵐病院なんだぜ?」
礼司の腕から力が抜け、その場へクタクタっと座り込んだ。
(蒼神会と五十嵐病院…それに榊原と尚樹…もうおしまいだ…)
「ククッ…ハ…なんだ、そういうことかよ…俺は…もう…」
突然、狂ったように笑い出す礼司に、夏井と田内は目を合わせ、薄気味悪そうに言い放った。
「と、とにかく、俺たちはもうお前とはツルめない。相手が悪すぎたんだ。お前も命が惜しけりゃもうあきらめろ。じゃ、じゃあな!」
まるで逃げ出すように走り去る二人を視界の片隅に感じて、礼司は狂ったような笑みを浮かべ、一人で笑い続けていた。



「祐介の行きそうなところ? そんなの…何? 何かあったわけ?」
珍しく尚樹からの電話を受けて、郁巳はいつものようにおどけて見せようとして、異変に気が付いた。
その電話にはいつもの冷静な尚樹は全くなく、ひどく取り乱した様子が不安を煽る。
「とにかく…心当たりを探してみるよ。見つかったら連絡するね」
朝からのニュースは郁巳も目にしていた。そして、すぐにこれが尚樹の仕組んだことだということも直感していた。
これで名取はおしまいだ。後は、駄目押しで学園から追い出すつもりだろうが、そんなことは尚樹なら簡単にやってしまうだろう。
それなのに、この慌てようは?
(全く、何やってるかな、もう!)
と思いながら、仕方ないかとため息をつく。
今までの尚樹なら、いつも相手から言い寄ってきていた。
「付き合ってくれるだけでいい」という相手の言葉に、それならと付き合って、しかし、そのうち鬱陶しくなって別れを持ちかけるというのがパターンだった。
それこそ男も女にも苦労せずに遊んでいたから、祐介のようなタイプは初めてなのかもしれない。それでも、いつものようなアソビだったら相手の事なんか気にすることもないだろうにそれをここまで気に掛けているということは…
「何だ、尚樹センパイもマジってことじゃん?」
とうとう尚樹も落ちたかと、気が良くなった郁巳は祐介のいそうな場所 ―― 祐介の自宅近くにある野球場へと向かった。



一方で突然祐介に逃げられた尚樹のほうは、すぐに郁巳に連絡をつけて祐介の行方を追わせると、すぐさま渉にも連絡を取っていた。
「名取のヤツ、やっぱりチームに捨てられたぜ」
ずっと動向を探っていた渉は、それこそ楽しそうに連絡してきた。
ここまでは尚樹の予想通りである。所詮はたかが高校生。親の力がなくなれば、祀り上げる連中も消えるのは目に見えていた。
そんな連中なら身の保身を図ることはあっても、敵対は控えるだろう。
問題は一人になった名取である。逆ギレして何をしでかすかわからない。
だからこそ ――
「…名取をおびき出すことは可能か?」
「え? それは…できないことは無いと思うけど…何するつもりだ?」
「一気にカタをつける。奴を歌舞伎町から逃がすなよ」
「一気にって…おい、尚樹!」
一方的に電話が切れると、ただならぬ予感を感じた渉は全員に招集をかけた。
「やばいぜ、尚樹がキレた。歌舞伎町でなんかやるつもりだ!」






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初出:2003.04.30.
改訂:2014.09.28.

Silverry moon light