Tears 16


JR新宿駅を出た尚樹は、紀伊国屋で参考書を買うと何食わぬ顔で携帯を手にした。
「渉か? 名取はどうした?」
「今、職安通りにいる。どこにおびき出せばいい?」
「30分後に花園神社」
「…了解」
花園神社は都会のオアシスとも言うべく、緑に溢れている。既に夏祭りも終わっているが、新宿区民にとっては憩いの場所のひとつだった。そのため人気が途切れることはないが、緑に囲まれていることと神域ということのため、どこか静寂な雰囲気を持っている。
その中でも更に人気の少ない木陰を選ぶと、尚樹は先程買い求めた参考書を開いた。
時刻はそろそろ1時を過ぎようかとしている。この季節、最も暑くなる時刻。
しかし、尚樹は汗一つかくこともなく、平然とその視線は開かれた本の表面に向けられていた。
と、その時 ――
(予定通り…)
静寂な空気をかき乱し、ゆがんだ形相の名取がふらふらと現れた。



河川敷のグランドでは、小学生たちの歓声が上がっていた。
「やっぱりここか…」
真剣な、それでいて心から楽しそうにプレーをする小学生たちを、ただ見ている祐介を見つけたのは1時を回った頃だった。
「この炎天下、ご苦労様」
そういって隣に座ると、郁巳は暑そうにハンカチで汗を拭った。
「郁巳…? なんでここに…」
「何でって…俺が聞きたいよ。どうした? 尚樹センパイに襲われたか?」
「な、何言ってんの? そんなんじゃ…」
「何だ、違うのか? 俺はてっきりそれで逃げたのかと思ったのに…」
そういって、いかにも残念と言う表情を見せる。しかし、そんな冗談も今の祐介には効果はなさそうだった。
「俺はね、尚樹センパイに頼まれたの。お前を探してくれって。なんかあったわけ?」
この炎天下を探す羽目になったのだから、理由くらいは聞かせてもらっても構わないと思っている。
尤も、郁巳が聞き出すことくらいは尚樹も計算内だろう。聞けば相談に乗らないわけにも行かない。
おかげで、すっかり祐介のアドバイザーになっていると感じずにはいられない。
一方で尚樹の名前を聞いた祐介は、自分でも良くわからない感情に惑わされていた。
本当に大したことではないのに、ただ、尚樹の部屋に家族の写真があって、そこに克己の姿を見つけただけなのに。
たったそれだけのことが ―― なぜか心が苦しくなった。
( ―― たかが写真一枚でこんなに苦しくなるなんて…重症かも)
黙りこむ祐介に、郁巳はとにかく、
「とりあえず、尚樹センパイが心配してたから連絡しておくぞ。いいよな?」
そういってポケットから携帯を取り出しながら、祐介の表情を見ていた。
ふと、思う。自分にもこんな時期があったなぁと。相手の些細なことに一喜一憂していたことがあったなと。
(なんかきっかけがあればいいのにな。二人とも、相思相愛なんだから…多分)
そんなことを考えながらアドレスから尚樹の携帯を選んでかけると、出たのは尚樹ではなった。
「あ…れ? 尚樹センパイ…じゃないよね。誰…あ、草嶋センパイ? 何で草嶋センパイが…え? うそ、マジですか? あ、はい、いますよここに。判りました、じゃ、すぐに…」
ただならぬ雰囲気に、祐介も何事かと郁巳を見た。
「ヤバイ、祐介。尚樹センパイが刺された。すぐに病院に行くぞ!」
「え? 刺されたって…?」
「名取だよ、あいつに刺されたんだ」
どこか遠くで声が聞こえたような気がして、祐介は呆然と立ちすくんでいた。



その少し前 ―― ゆがんだ表情の名取は、狂気そのもの視線で尚樹を見つめていた。
「俺に…何か用か?」
持っていた参考書を閉じ、身体を名取に向ける。
身長は尚樹の方が若干高いが、横幅ははるかに名取のほうが広い。
どちらも私服のときは高校生には見えなく、しかし、持っている雰囲気はまるで正反対のように異質だった。
そしてその異質さが、今現在の立場の差も現している。
名取とは特に話もしたことがない ―― 今までは。
確かにウラでは色々とあくどいことをやっているということは聞いていたが、こちらに実害が今まではなかったので気にもしていなかった。「学園の支配者」などと言われている尚樹であるが、世間に思われているほど権力を行使はしていない。
しかし、名取のほうは ―― ?
「五十嵐…貴様…」
キラリと名取の右腕に、光るナイフを確認する。
その瞬間、尚樹は内心でホッとする反面、不敵な笑みを向けた。
安心したのは、そのナイフに血のくもりがなかったこと。
その凶器が、尚樹の唯一の弱点 ―― 祐介にはまだ向けられてはいないということ。
自分相手なら何とでもできるという自信の一方で、自分のいないところで祐介に向けられては何も出来ないということがわかっていたからだった。
「随分と物騒なモノを持ってるじゃないか? やめておけよ」
声だけ聞けば、何とか落ち着かせようとしているように思えるかもしれない。しかし、尚樹の表情はあくまでも好戦的だった。
( ―― さぁ、かかって来いよ)
視線は外さないで不敵に、あざ笑うように口元を吊り上げた。
「貴様…チクショウ ―― !」
まるでスローモーションのようにナイフの軌跡を追って、尚樹の左腕に灼熱が走った。






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初出:2003.05.03.
改訂:2014.09.28.

Silverry moon light