Substitution 03


繭美に呼びだされた翌日、尚樹は通院に祐介を付き合せていた。
「悪いな。ちょっと待っててくれ」
そう云われて、適度な冷房が入った廊下で待つこと十数分。
祐介はどこか落ち着かない気分で白いドアを見つめていた。
辺りは適度なざわめきと、独特の消毒液の匂い。
そして、
「…ありがとうございました」
漸く開いたドアから出てきたのは、ずっと待ちかねていた大好きな人。祐介は飛び上がる勢いで席を立つと、駆け出したい気持ちを抑えて側に向った。
「尚樹先輩!」
つい呼ぶ声が大きくなってしまい、そんな自分に驚いて顔が火照るように熱くなる。そのせいですぐ側まで行ったにも関わらず後一歩というところで立ち止まり、恥かしげに顔をうつむかせた。
「待たせたか、祐介? ん? どうした?」
対する名を呼ばれた本人は、全くそんなことには気にもせず祐介の側まで来ると、明るい茶色の髪をクシャっと撫でてかき上げた。
「どうした? 退屈して、ご機嫌斜めか?」
「そんなんじゃありません!」
「じゃ、待ちすぎて腹が減ったか?」
「もう、尚樹先輩、イジワルです!」
真っ赤になってプイッと膨れっ面を背ける仕草は、天然なだけに可愛くて仕方がない。
可愛いから ―― つい虐めたくなるというもの。尤も、これはそんなに深刻的なものではなくて政樹辺りに言わせれば「じゃれている」というようなものだろうが。
だが ―― そんな子供っぽいことも、祐介が相手ならついはまってしまいそうだった。
それほど ―― この「恋人」は可愛いと思うから。
あまりに可愛いものだから ―― 手折るのも躊躇してしまうほどに。
いつもの尚樹なら、何の躊躇いもなく祐介の身も心も自分のものにしてしまうところである。
自分から離れないように策を巡らすことだって、容易くできる策士であることも間違いない。
でも祐介の疑うことを知らないあどけなさが、そんな裏の心をセーブしていた。
笑って、側にいてくれればいいだなんて ―― そんな甘い思いだけで満足できるほどに。
「待たせた侘びをしないとな。会計を済ませたら、メシを食いに行くか。結構、ココのレストランも美味いぞ?」
そう言って手を差し出すと、祐介はじっと差し出された手を見つめていた。
出された左腕に走る薄い紫の傷跡。
今までは包帯に隠されていたから、それを見るのは初めてで。
「大したことはない」とずっと聞かされてきたけれど、実際に塞がった傷跡を見ればそれは余りに痛々しくて。
「…酷い。こんなに大きな傷だったなんて…」
「たいしたことじゃない。傷跡も大して残らないということだしな」
「でも! 僕…」
腱までの傷ではなかったが、それに近い傷である。
祐介への手前、大して残らないとは言っていたが、逆に言えば消えることはない一生ものの傷でもあった。
勿論、傷を負ったことに後悔はない。眼に見える傷の方が警察や検察への心象は大きいし、そもそもこれで立派な傷害事件である。二度とあの男が祐介の前に現れることはないはず。そのためなら、腕の一本や二本どうとでもという気は嘘ではない。
祐介を傷つけるヤツは許せなかったから。
声を聞くのも、手を繋ぐのも、触れるのも。他のヤツに渡す気は毛頭ない。
あの人と同じように声を殺してなく祐介を、二度と泣かせないために ―― 。
その笑顔をすぐ側で見て、感じて、独占するために ―― 。
そして、ある意味ではこの傷で、祐介を手に入れるために。
縛り付ける気はないが、祐介が未だに尚樹を信じきれていないと言うことは、先日の繭美との話でもわかっていた。そうでなければ、わざわざ彼女が家庭教師などという回り諄い方法で側にいさせようとはしないだろう。
(尤も、半分は面白そうだからって言う気もしたがな)
いつものようにさっさと手にいれて自分のモノにしてしまえば、祐介も安心するかもしれないとは考えなかったわけではない。
だが、信じていないところで抱くのは ―― 空しいだけのような気がした。
それにもしもそのことで祐介が笑わなくなったら ―― その方が遥かに辛い気がして。
だからこの日漸く抜糸となったのを機に、尚樹は傷を晒すとともに、少しづつ祐介の気持ちを掴もうと思っていた。
焦る必要はないから。少しづつ教えていこう ―― と。



五十嵐総合病院の入院棟最上階には某五つ星ホテル系列のレストランが入っている。
ここは本来なら高級レストランというべきところではあるが、客層が入院患者やその見舞い客であるため、価格もリーズナブルに抑えられているし、メニューも一般向けするものが多い。
そのため、最初はレストランの名前を聞いて一歩引いていた祐介だったが、中に入ればひとまず安心したようにメニューを見ていた。
「診察で待たせたからな。何でも奢ってやるぞ?」
特に、ここのケーキセットはオススメだぞと言われて、
「じゃあ、それもお願いします」
そう言って嬉しそうに微笑む姿は本当に可愛い。
尚樹は、流石に大っぴらには出来ないが株や投資で下手をすれば一介のサラリーマンを遥かに上回る年収をあげているほど。
だから祐介に奢ることも全く苦にはならないのだが ―― それに図に乗る祐介ではなかった。
母親が芸能人であるため、その生活ぶりはさぞかし派手だろうと思われがちだが、意に反して祐介の日常と言うのは平凡そのものである。
確かに金銭的には裕福と言われるレベルであろうが、あれもこれもといった物欲には皆無だった。
そのため、尚樹にとってはそう言った、無欲なところも可愛いと持ってしまう程で。
「ここのチョコパフェも結構イケルらしいぞ」
「そうですか? う〜ん、でもそんなに食べられませんよ」
だから今度にしますねと応えると、尚樹も嬉しそうに微笑んだ。
それは普段の学校では殆ど見られないような表情で、それだけにその尚樹を独占していることが祐介には嬉しい。
学園始まって以来の秀才で、史上初の二期連続生徒会長という偉業を成す実力者。
そのため学園ではキリっと引き締めた態度でいることが多く、こんな穏やかな表情を見せることは滅多にない。
それが祐介といるときだけは優しくて。
慈しまれている事を疑う余地すらもない。
だから ――
祐介はチラリと今入ってきた集団を見ながら、思い出したように尋ねた。
ちょうど交代での昼休みなのだろう。慣れ親しんだ感じで入ってきたのは、白衣姿のナースやドクターの一団だったから。
ただそこに、祐介が見知った顔がなかったことは確かで、
「そういえば、最近、本条先生に会いませんけど、お忙しいんですか?」
何気ない一言 ―― しかし、その瞬間、尚樹の顔色が変わったことを祐介は身逃がさなかった。






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初出:2004.09.20.
改訂:2014.09.28.