Substitution 04


以前から、五十嵐病院にはたびたび通院していた祐介である。
自分の怪我の主治医も克己であったし、勿論尚樹の主治医も克己であったはず。
ところが、ここ数日病院に来ても克己に会うことは全くなかった。
勿論、尚樹が克己と逢っている姿なんか見たら ―― 例えそれが治療の一環でも心が痛むのは判りきっていた。
多分見ていられなくて逃げ出すだろうという確信さえあって。
でも、全く逢わないと言うのは ―― それはそれで気になった。
コソコソ隠れてどこか他の場所であっているなどと言う邪推は流石にないが、それでもやはり ―― 。
だから何気に聞いたつもりであったが、その名が出た瞬間の顔色の急変に、やはり聞かなければよかったと後悔していた。
「克己兄さんに…何か用か?」
低められた尚樹の声の重さが、祐介の心に重くのしかかる。
「いえ、大したことじゃあ…。ただ肩の怪我の件で、ちゃんとお礼を言ってなかったから…」
努めて平静を装って応えるが、心持ち声が震えてしまうのは隠しようがなかった。
やはり特別なのだろうと、思わずにはいられなくて。
やはり自分も、今までの人たちと同じように単なるアソビなのだろうと。
そしてそのことは ―― 尚樹にも痛いほどに判っていた。
克己のことはもはや恋愛感情ではないことは、自分では判っている。
だが、今までのことを考えれば、祐介がすぐにそれを信じられるはずもないだろうということも同様だった。それに ―― 今の克己を思えば、全くの無関心でなどいられない。
公にはされていないが、克己は ―― とあるヤクザの抗争に巻き込まれていたのだった。
「ちょっとな、体調が良くないらしくて…今は病院を休んでいる」
「え? そう…なんですか?」
「ああ。でも心配はない…と思う」
そう応える尚樹の様子はどこかぎこちなくて、その分、余程悪いのだろうと思ってしまう。
それには流石に祐介も気にかかって。
だが、心配ないと言われればそれ以上追求するのは気が引ける。
具合が悪いから心配することは当然のこと。
そう思うことで気を紛らわせて。
「あの…じゃ、よろしく伝えていただけますか?」
「ああ、判った」
そう短く応えると、丁度メニューが運ばれてきていた。



食事の後は一応、名目でもある勉強の件ということで、尚樹の部屋に行くことにしていた。
「俺のノートをやるよ。参考になればいいがな」
「ありがとうございます」
病院から尚樹の実家までは表通りを使えば軽く20分ほどかかるが、病院の敷地内を突っ切ればその半分で事足りる。
それにその方が桜並木などのおかげで残暑の日差しから遮られるということもあり、当然尚樹と祐介もそちらを迷うことなく進んでいた。
尤も、こちらは病院職員用の寮と五十嵐家しかないから、一般患者が使うことはないということもあり――。
だが、その途中で尚樹はわずかながら漂ういつもと違う雰囲気に気がついていた。
(何だ? 誰か ―― いるのか?)
殺気と言うほどではないが、どこか張り詰めたような雰囲気で。
それでいて数人単位の人の気配を感じる。
「尚樹先輩?」
押し黙ってしまった尚樹にやや不安になった祐介が声を掛けると、ザワッと気配が動いて視線を感じた。
五十嵐家の前にずらりと並んだ高級車。
そのどれもが防弾仕様になっているのは想像に容易く、中でも一番立派なロールスロイスから一人の男がドアを開けて降り立った。
「これは…五十嵐病院のご子息殿ですね? 驚かせて申し訳ありません」
黒いフィルムを貼られた車内は流石に覗くことはできないが、その中にいるらしい人物となにやら合図をしてその男が恭しく挨拶をしてくる。
「…失礼ですが、どちら様で?」
聞かなくても ―― 実は判っていた。だが、あえて聞くと、返って来た答えはやはり ――
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。自分は藤代興業の澤村と申します」
藤代興業株式会社とは ―― 関東最大のヤクザ、蒼神会の本家藤代組のフロントカンパニーである。






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初出:2004.09.20.
改訂:2014.09.28.