合鍵をどうぞ 02


オートロックのエントランスを出てマンションの前に尚樹が立つと、通りの向かいにあるコンビニに祐介と千秋の姿を見つけることができた。
ついさっきは、自分だけが尚樹の転居を知らされていなかったという思いで影を落としていた横顔であったが、今はすっかり明るいいつもの祐介に戻っている。
(水沢には、礼を言わないとな)
こういうところの気配りの手際よさは逸品で、不肖の弟の彼女としては申し分ないところである。
勿論、そんなことを口に出すほど素直な尚樹でもないが。
そもそも引っ越し事態は隠すつもりはなく、部屋の片づけが済んだら呼ぶつもりであったのは事実である。
勿論、引っ越しの手伝いを口実に呼び出すという手もあることは判っていたが、肩に爆弾を抱えている祐介には無理をさせたくない。
それに尚樹自身、抜糸はされたもののいまだ引きつる違和感の残る腕を使うのはやや気が進まないし、そうとなれば力仕事は全て政樹や慶一郎に押し付けることになる。
そのことを気に病むような殊勝さは尚樹にあるはずも無いが、祐介はそうはいかないだろうと思うのは当然で。
だからあえて引っ越しの最中は黙っていようと思ったのだが ―― 。
「利恵のヤツ、絶対遊んでるな」
と思わざるを得ないのは、それもまた当然のこと。
というのも、実は尚樹が急遽実家を出て一人暮らしをすることにしたこのマンションは、そもそも従兄の克己が住んでいた場所であった。



『龍也が側にいろって言ってくれるから…一緒に暮らそうと思うんだ』
若干痩せたような気がするのは仕方がないとしても、そう言いながら見せた克己のはにかんだ笑顔は始めてみるほど幸せそうで。
絶対に反対すると息巻いていた京子でさえ何も言うことができなかった。
克己がその男と知り合ったのはこの春先で、たった数ヶ月の間に色々なことがあって。
それは決して人には言えないような辛いこともあったのだが、それでも克己が選んだ相手。
関東最大 ―― それどころか、東日本に君臨する広域暴力団蒼神会。その本家である藤代組の若き三代目 ―― 藤代龍也。
そよ風さえからも守るような温室で育てられた克己を、吹きすさぶ荒野に連れ出した張本人。
一緒に暮らす以上、更に傷つき時には命の保障さえないかもしれないということは判りきっている。
それでも克己が選んだ男だから ―― 。
そして龍也もまた、克己を手放す気はないと ―― 命に代えても守って見せると言うから。
だから、誰も克己に反対することなどできなかった。



克己がその話のために五十嵐家に戻ってきたのは一週間程前のことで、既に荷物の大半は龍也と一緒に暮らすと言う部屋に運んであり、体調を崩していた克己自身もきりのいい10月からは病院に復帰すると言うことで話はまとまっていた。
「一緒に住むのは龍也さんの所? じゃあ、克己のマンションはどうするの?」
家などはかえって人が住まなくなった方が傷みが早まると言われており、そういうことを気にするのはやはり女性である京子が一番だった。
そもそもあのマンションは克己の大学合格祝いにと、ほとんど音信不通状態だった克己の父、克彦がプレゼントに買ってくれたものである。
だから売り払って現金にするという気は克己になく、
「誰かに貸そうかなって思ってるんだ。大きな家具とかは残してあるし、それごと使ってくれる人がいたらの話しだけど」
「あら、それなら尚樹兄さんが借りたらどうかしら? 尚樹兄さんなら何かあったとき、克己兄さんも帰って気安いでしょ?」
と言い出したのは、尚樹の妹である利恵だった。
尚樹は五十嵐家の長男であるが、あいにく病院を継ぐ気は皆無である。
このことは既に両親も納得済みで、病院は双子の弟である政樹が継ぐと言うのが濃厚であった。
寧ろ尚樹は母方の祖父の血を引いているようで、政治や法律に興味を持っている。
実際に基盤のいくつかは祖父から既に譲り受けており、それゆえに前代未聞の2期連続生徒会長である。
そのため、以前から大学に入ったら家を出ると言う話も何回か出ており、このことも両親は納得済みだった。
それが半年ばかり早くなっただけのことといえば別に問題もなく ―― 。
「そうね、尚樹なら心配ないわね」
と母親である京子も賛同したため、話はとんとん拍子に進んだのだった。






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初出:2004.04.12.
改訂:2014.09.28.

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