Smilingly 06


直哉に初めて逢ったのは、残暑が未だ残る九月中旬のことだった。
「すみません、職員室はどちらですか?」
生徒会の用で尚樹を探してうろついていた俺に、見かけない30前後の稀に見る美形な男が声をかけてきた。もちろん俺が聞かれるままに応えてやると、
「そうですか、ありがとうございます。直哉君、あちらだそうです。行きましょうか?」
そう言って振り向いた先にいたのが ―― アイツだった。
天界の御手によって作られたかのような類稀な美貌。しかし、俺と目が合ってもニコリともしないその無表情さが、精巧な人形としか思えなかった。
だからその後担任が教室で紹介したときも、俺の席の隣に付いたときも特に気に掛けたりはしなかった。
悪いが、どんなにキレイでも、俺は人形に愛情はもてないから。
しかしその人形の仮面の下に、あどけない微笑を見つけた瞬間から、直哉は俺の世界に入ってきた。
そう、アイツから入って来たんだ、
だから ―― 逃がすつもりは無い。



自分の部屋なのに誰かが帰りを待っていてくれるという気分は、何となく嬉しいものだと実感した。
元々、このマンションは親父が節税対策の一環として購入したもので、学校に最も近かったために俺が貰い受けたものだ。だから棲んでいるのは俺1人である。
玄関のドアを開ける前にインターフォンを鳴らすべきかとも思ったが、そもそもここは俺の部屋。ま、いいだろうと鍵を開けて中に入ると、そこにはきちんと並べられた靴が待っていた。
「悪ぃな、遅くなって」
ただいまというには流石に気が引けたので、そんな弁解を言いながらリビングに入り ―― 俺は息を呑んだ。
床に座り込んだまま、ソファーにもたれるように眠っている直哉の姿 ―― 。
それはまるで天使のようで ―― そのすぐ側で蹲っている子猫にまで嫉妬しそうだ。
「…みゃあ?」
流石に子供とは言っても元野良猫。俺の気配を察したのか、先に目を覚ましたのは猫の方だった。そして、
「…あ、おかえりなさい…」
ペロリと瞼を子猫に舐められて、直哉が目を覚ます。
「ごめんなさい、寝ちゃってた…」
「風邪さえ引かなきゃ、別にいいさ、気にすんなよ」
そう言って制服のブレザーだけを脱ぐと、俺は子猫を抱き上げた。
「で、名前は決まったか?」
「うん…ルーチェってどうかな? イタリア語で『光』っていう意味なんだけど」
「ルーチェか、いいんじゃねぇの? じゃ、略してルーだな」
「クスっ…僕もそう呼んでたとこだよ。その方が呼びやすいよね」
嬉しそうに微笑んで見上げる直哉は、本当に綺麗だと思う。こんなに綺麗であどけない笑い方をするのに、なんで学校ではあんなに取り澄ましてるんだ?
ま、俺にだけこの笑顔を見せてくれるってことは、それはそれで嬉しいことなんだけどな。
「あ、あとね、僕、動物を飼うなんて初めてだったから、本を買ってきたんだ。室内で飼うなら、やっぱり色々としつけとかしないといけないみたいだね」
「そうだよな、どれ、俺にも見せてくれ」
そう言ってさりげなく直哉の隣に腰を降ろして覗き込むと、当の本人は全くの無防備だ。近くで見ると本当に綺麗な肌で、なんとなく良い匂いまでしてくる感じで ―― 自分から近づいたにも関わらず、内心ではヤバイと叫んでいた。
これが遊びなれてるやつならこのまま押し倒すところだが、全く俺のことを疑っていない直哉にそんな真似はできやしない。純粋で無垢で、汚すことなどできはしないと思ってしまう。
もちろん、だからと言って他のヤツにくれてやる気は全く無いし、あの保護者とかいうヤツの存在も気にならないわけではない。
「生き物を飼うって、責任がいるよね。ただ可愛がるだけじゃダメなんだよね」
最初の方のページには猫を飼うに当たっての心構えのようなことが書いてあって、その次は必要な道具の説明だった。
「なんか色々と用意した方がいいみたいだね。僕、買いに行ってくるよ」
「ああ、ついでにメシ食いにでも行かないか? そんなに遅くなるとヤバイか?」
俺としてはさりげなく誘ったつもりだが、ちょっとビックリしたように俺を見た直哉は、すぐにとても嬉しそうな笑顔を向けてくれた。



荷物になると面倒だからと、先にファーストフードの店に入って軽く食事をし、それから俺と直哉は近所のペットショップに向かった。
最近はペットブームなのか近所のペットショップは中々の広さを誇っていた。
そこで愛想のよさそうなバイトのお姉さんを捕まえると、そのアドバイスの元に必要そうなものを選んで購入した。
「面白いね、こんなのもあるんだ」
この辺りは高級住宅地に近いせいか、ペットショップの品揃えは豊富である。
なかには、「何に使うんだこんなもの?」というようなものもあり、ペット業界の陰謀には舌を巻きそうだ。
しかし、そんなグッズを色々と見回っている直哉は本当に楽しそうで、一緒にいるだけでこっちまで嬉しい気分だ。
もちろん他の客や店員もそんな直哉に釘付けで ―― 「こいつは俺のだぜ!」といえないのが少々残念だけどな。
一通り見て周って荷物もそれなりになると、俺と直哉はマンションに戻ることにした。
こうやって2人で歩いていると、気分は新婚カップルみたいだよな。尤も、そんな風に感じているのは俺だけだろうが。
流石に外は夕闇から夜へと移行しつつあった。日中はそうでもないが、日が沈むと一気に風も冷たくなる。
自然と足早になるのは仕方がないが、それでも取り留めない話には尽きることは無かった。
ところが、マンションの前まで来たところで、俺のご機嫌は急下降した。
そこには黒のセドリックが停まっており ――
「余りに遅いので迎えに来ましたよ、直哉君」
そう声をかけてきたのは、転校初日に逢ったあの男だった。






05 / 07


初出:2003.11.01.
改訂:2014.09.20.

Fairy Tail