Smilingly 07


「あ、ごめんなさい、隆幸さん。あんまり楽しかったものだから…」
そういう直哉を訝しげに見ながら、その男は俺のほうをチラリと見た。
「直哉君のクラスメイトだそうですね。いつもお世話になっています。ただ、連絡もなしに帰りが遅いというのは褒められたことではありませんね」
「遅いっていったって、まだ8時前だぜ。今時の…」
といいかけるのを、ピシャリとさえぎる。
「ヨソではどうだか知りませんが、直哉君にとっては遅すぎます。今後はこのようなことのないように願いたいですね」
体格から言えば遥かに俺より華奢なくせにそいつは全く臆することもなく言ってくれる。
流石は年の功 ―― 社会人(オトナ)と高校生(ガキ)の差ってことか? それを認めるのはかなり癪だが、言われたことが間違いではないから俺もこの場は激昂をとどめた。
「…そうですね。すみませんでした。今後は気をつけさせていただきます」
尚樹ほどではないが、俺だってその気になれば幾らでも取り繕った口調くらいできる。
しかもこういう場合、丁寧な口調ほどイヤミに聞こえて、そのくせ反論もできないってことは十分承知だ。
しかし、俺のこの口調に慌てたのは、寧ろ直哉の方だった。
「そんな、永森君が悪いんじゃないよ、僕がちゃんと言っておかなかったから…」
「直哉君?」
「ごめんなさい、隆幸さん。僕が悪かったんだ。だから永森君を責めるのはやめて?」
「お、おい、直哉…」
突然の直哉の弁解に、俺も隆幸と呼ばれたその男も、正直言って面食らっていた。
だから、不覚にもそこでは気が付かなかった。
俺が直哉を名前で呼んだとき、その男が一瞬鋭い視線を投げつけてきたことを。
そして、直哉を不思議そうに見た後、フッと苦笑を浮かべたことを ―― 。



その翌日 ―― 直哉は学校を休んだ。
担任曰く「風邪を引いた」ということだが ―― そんな素振り、昨日は全然無かったはずだ。
絶対、あの男が絡んでいる。
勿論何の根拠も無い当てずっぽうであるが、100%間違いは無いはずだ。
おかげで ―― 授業なんか身に入るわけもなく、ただ消化しているという感じだった。
ま、今更成績がどうのと言うこともないのだが、いるだけの授業というのははっきり言って苦痛以外の何物でもないと思う。
だから、俺は授業が終わるなり、直哉の自宅に向かう決心をしていた。
問題は自宅の住所を知らないということで ―― 考えてみれば、直哉のことで知っていることなんて数えるほどしかないということだった。
でも、別に知らなくても構わないさ。これから知ればいいことだ。第一、俺は過去には拘るつもりはない。
っていうか、過去については俺だってえらそうなことは言えやしないからな。
悪いがそれなりに遊んできたし、それなりに付き合って泣かせた数も両手じゃ足りない。それでも、直哉だけは別だと思う。
あの人形のように精巧な表情が、俺には子供のようにあどけなく微笑んで見せてくれるから。
ちょっと怯えながらも、俺が側にいることには何の拒絶を見せないから。
これが「惚れた」といわずしてなんとする?という感じだが、事実はあくまでも事実である。
直哉が好きだ。
この一言を本人に伝えるためなら、この際、尚樹にだって頭の一つくらい下げても構わない。
俺はそう決心して授業終了と共に尚樹のいる3Eに向かい、聞き出した ―― 正確には生徒会長特権で調べさせた ―― 直哉の自宅は、駅からは程よい位置にある、都市型高級マンションの一画だった。ここで直哉は久嶋隆幸という男 ―― 多分、昨日のアイツだと思う ―― と住んでいるらしく、俺としては心持ち納得がいかない。
あの男が、直哉を大事に思っているのは明らかで。
割と自信はあるつもりだったが、苗字が違う他人と住んでいるというのは…やはりへこむ原因である。
尤も、それで諦める気もないのは事実であるが ―― 。
―― PPP…
オートロックのマンションだから意を決して1階の入り口にあるパネルに部屋番号を入力すると、それがそのままインターフォンに繋がり、まもなくしてあの男の声が流れてきた。
『おや? よくここが判りましたね?』
俺はチラリと監視カメラを睨み、それでも平常心を装った。
「ええ、ちょっと知り合いに聞いてきました。直哉君の具合はいかがですか?」
この部屋の世帯主はこの男の名前だった。ということは恐らく入れてはもらえないだろうと思って、俺はここで話をするのも仕方がないと半ば諦めていた。
ところが、
『…そうですね、僕に聞くより、自分の目で確かめた方がいいんじゃないですか? 構いませんよ、お入りなさい』
「え?」
『鍵は解除しました。どうぞ』
そう誘われて ―― 一瞬とまどいながらも、俺はマンションの中へと入っていった。






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初出:2003.10.11.
改訂:2014.09.20.

Fairy Tail