Finding me 04


夢を見ていた。
確かあれは ―― 小学校の修学旅行から帰って来た日のこと。
父さんと母さんが、祖父ちゃんや後援会のお偉いさんに捕まってつるし上げにあっていた。
理由は ―― 当然、俺のこと。
「郁巳は大事な川原流の次期家元じゃ。学校の行事なんぞどうでもいい。そんなことをしている暇があったら、稽古をさせるが親の務めじゃろうが!」
俺の前ではいつも好々爺ぶりを発揮していた祖父ちゃんが、信じられないくらい恐い顔で父さんや母さんに詰め寄っている。
しまいには今後の俺の養育は、全て祖父ちゃんが見るとまで言い出して。
流石にそれは父さんも母さんも譲らなかったけど ―― その時、気が付いた。
川原の家にとって、俺が大事にされていたのは次期家元を継ぐという立場になるから。
ただそれだけのために大事にされて、優しくされていたのだと。



初めて俺が舞台に立ったのは、本人の俺も覚えてもいない3歳のときで、長唄の「舞妓」を踊ったらしい。
よくは知らないが、それはそれで結構な評価を得たらしく、既に舞台に立っていた2つ上の姉とともに、これで川原流も安泰などと言われたらしい。
そもそも川原家は江戸中期からなる日本舞踊の家元の家系で、当然その家の者なら舞踊家になるのは生まれる前から決められたようなものだった。
ところが、俺の父親ははっきり言って振り付け師としては優秀でも、実際に自分が踊るということに関しては人並み程度の才能しかなかった。
だから、未だ家元の名を背負っている爺ちゃんにしてみれば、たった一人の男の孫になる俺に期待が寄せられるには当然のこと。
幸いなことに俺自身も踊りは好きだったから、物心付く前から稽古に明け暮れることに何の抵抗もなかったけど、ただ「好き」と「次期家元後継者」とでは、待遇は嫌でも変わる。
子供の遊びで済まされる時期はすぐに終わって、次に言われたのは「川原流家元候補にふさわしく」だった。
幸か不幸か我ながら言うのはなんだけど、技術面では俺に問題はなかったらしい。
問題はそれ以外のところ ―― つまり「経験」とか「感情」とか「色気」とか。
まだまともな初恋もしたことのない子供に、そんなものを求める連中の方がどうかと思うけどね。
でも、完璧な女形を踊ってみせても、俺には色気とかっていうものを感じないって言われたときは ―― 結構、ショックだった。
自分でも間違えなく踊れたと思っていただけにね。
挙句に周りの連中には、
「いずれ、恋でもしたらわかるよ」
なんてさかしげに言われて ―― 。
だから、あの時、久哉の誘惑に乗ったんだ。
久哉は、かつてはパリでも名を轟かせた女流デザイナー高野久巳の一人息子だった。
俺が出逢った頃の久弥はまだ大学生で、一応デザイン関係の勉強をしていたらしいけど、生憎久哉自身には母親ほどの才能はなかったらしい。
それは本人も判っていると言っていたけど、周りはそんなに甘くはない。
しかも母親が莫大な財産を残して事故死したときには、ハイエナのように群がる自称親戚とか、自称共同経営者とかいった連中にはかなり辟易したらしい。
おかげで誰も信じられなくて、精神的にも参っているときだったって言ってたな。
そんなときにうちの贔屓筋のホームパーティで会ったのがきっかけで、久哉は初めから俺を狙っていた ―― とは、あとから聞いた話だ。
同じように家に縛られた御曹司で、みんなに期待されながら、どこか足りない「何か」のために期待に応えられない哀れなお人形同士。
そんな見方をされていたらしいってことは、付き合い始めてすぐに判った。
「郁巳のことは、僕が一番判ってるよ。僕が愛してあげれば、もっともっと可愛く、色気だって出てくるよ」
考えてみれば、俺もサイテーだよな。
色気がないって言われたから「レンアイ」すればいいだろうって単純な思考で、あっさりと久哉に身を任せた。
でも、それでも良かったんだ。
久哉はホントに優しかったから。






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初出:2004.01.31.
改訂:2014.09.13.

Studio Blue Moon