砂塵の華 第1章 06話


一方で、18歳になるこの年まで王宮の外の事情も王宮内の政略的な面からも隔離されて育ってきたナーガであったが、先日、父王であるドラグシュが病に倒れたためにナーガに政務が回ってくることになり、今までのように知らないで済まされる状況ではなくなっていた。
流石にミュリカをはじめとするソカリスの家臣団も既に実権は握っているとはいえそれをそのままに行使するのは対外的なこともあったため、どうしてもバーディアの血筋と言うお飾りを必要とし ―― それには王子であるナーガを担ぎ出すことが必然でもあったのだった。
そうして政務に借り出されたナーガであったが、ミュリカ達の誤算はナーガが単なるお飾りで済む愚鈍な王子ではなかったということであった。
二つの国の血をひいているということに合わせて、ナーガにはどちらの国に対しても偏見を持つことがなく、公正な眼を配ることができた。
しかも幼い頃よりトリュスから国の内情を聞いて育っていたナーガは、これを機に実際に国内の様子を見ようと思ってお忍びでサイスの街に出向くということまでしたために、その現実を実感することもできたのである。
迫害されるバーディアの民とそれを平然と踏み潰すソカリスの豪商達。
それは二つの血を引くナーガにとって、心を痛めるものであったのだった。
「バーディアという国であるのに、優遇されているのがソカリスの者であるというのはやはりおかしな話だと思う。これではソカリスの属国と言われても仕方ないな」
「実際にソカリスへの貢物は年々増えておりますからね。尤も、その全てが無事にソカリス迄届いているわけでは無いようですが」
「…どういうことだ?」
「そうですね、そろそろ隠し通せることでもないと思うのですが…」
そう言ってトリュスはクスリと意味深な笑みを浮かべ、口元に指を立てた。
それはまるで悪戯好きな子供が何か企んでいるような仕草で。
そうして息を顰めると、その途端にトリュスの気配はまるで空気のように薄れていった。
その姿はそこにあるのは間違いないのに、気配だけが回りと同化しているのだ。
そのため、
「失礼いたします、殿下。ガラルの関所より早馬がたった今つきまして…先日、ソカリスへ向かった我が軍がイースの一団に襲われて壊滅したそうです!」
そう言って飛び込んできたリューイもトリュスがそこにいることに気がつくことはなかった。



バーディアの国内は現在、決して平穏とは言えない状態であった。20年前のクーデター以来、国を支配しているのはソカリスの官僚であり、中枢に席をおくバーディア人はほんの数名に過ぎない。その中でも、国軍はそれが顕著であった。本来、バーディアの民ほど戦闘能力に優れた部族はないのだが、そのことがソカリスの官僚達から見れば脅威だったのである。
そのため、現在の国軍内には一兵卒であってもバーディアの血を引く者はおらず、将官クラスはソカリス人のみ、一部にウィスタリアや他国の傭兵が臨時に雇われる程度というお粗末さであり、決して強いとはいえるものではなかった。
その一方で、ソカリスの支配に不満を持つバーディアの民に中には徒党を組んで反旗を翻す者もあった。その筆頭ともいえるのがイースという盗賊集団だった。



バーディアは独立国であるが、ミュリカが嫁いでからというもの、当然のように年に数回、ソカリスへの朝貢が義務のようになっていた。
今回襲われた国軍も、その貢物を運ぶ任務を受けて旅立った者たちである。
サイスからソカリスへ向うにはミクトラン砂漠を横断するしかなく、各オアシスでの補給は必定となる。そのオアシスの中でも最後の補給地となるのがガラルであるが、その先はソカリスの緑豊かな平原となるためにどうしてもこの地で気が緩むのは仕方のないものともいえた。
そこを砂漠で最強を誇る盗賊集団イースが襲ったのである。その結果は火を見るより明らかといってもよかった。
「ガラルへ向かっていた国軍の総数はおよそ500。その半数以上が重傷を負い、貢物は悉く奪われたそうです」
「貢物はなんとでもなろう。死者の数は?」
「え? あ、いえ、それが…死者はいないと…」
500の兵にはそれに匹敵する家族もいるはず。
その者たちの嘆きをと思ったナーガであったが、リューイが言い淀むようにそう告げると流石に驚きを隠せなかった。
イースの勇猛果敢ぶりは以前からトリュスよりも聞いている。
黒いマントに身を包み、風のように馬を操って一撃必殺を得意とする戦闘集団。
どうやら砂漠を移動して生活する一族のようであるためにその根拠地を特定することができないうえに、どこから襲ってくるのかも判らず、気がついたときは襲われているのだということである。
まさに「砂漠の風」と呼ばれるのも相応しい部族だとも。
「それだけイースは戦上手ということなのですよ。やはり実戦なれした者たちとお飾りの兵とでは違いますからね」
そうクスクスと楽しそうにトリュスが尋ねると、その時になって初めて気がついたリューイが飛び上がる勢いで驚いていた。
「トリュス様っ! いつからおいでに…?」
「最初からいましたよ。リューイ殿がお気づきにならなかっただけでしょう」
そんな風にリューイをからかって楽しんでいるトリュスだったが、
「それよりも…いかがされますか、ナーガ様? 仮にも国軍が壊滅など、見過ごせることではございませんよ?」
そう問われたナーガには既にある決意ができていたようだった。






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初出:2009.10.04.
改訂:2014.08.30.

Silverry moon light