邂逅 01


強敵ヒクソスを国外に追いやって10年 ――
オリエント1の富裕を誇るエジプトは、正に「花の都」を謳歌していた。





「王子!」
城壁によじ登って、今まさに外へと出ようとしていた少年は、目付けの老臣に見つかり、ビクッと首をすくめた。
本来なら派手な装飾を身に纏っていてもおかしくはない高貴な出自であるが、今は市井の少年となんら変ることのない ―― というよりも、そのものの軽装に身を包んでいる。
唯一違うのは、その首から下げた黄金の三角錐が異彩を放っているということ。
大エジプトのファラオ、アクナムカノンの第一王子にして次期ファラオを約束されたユギ ―― 12歳である。
「どこへいかれるおつもりです? 今日という今日は逃がしませんぞ!」
見れば、城壁の内は勿論のこと外側に方にも一個師団程の兵士が駆け寄ってきており、確実に挟み撃ち状態である。
しかし、
「今日は随分と気付くのが早かったな、シモン」
「そう何度も逃しはしませんっ!」
「だが詰めが甘い。悪いが今日もオレの勝ちだな」
そう言ってニヤリと笑うと、軽々とした身のこなしで城壁伝いを駆け、高い木の植えられた一画まで来るとヒラリと身を翻した。
「お、王子!」
飛び下りるにはかなりの高さがあるはず ―― とあせったシモンの心配などよそに、すぐさま馬の嘶きと共に走り去る音が壁越しに聞えてくる。
「申し訳ありません、シモン様。王子は…」
そして、バタバタと聞える足音に混じってため息混じりの落胆の声が聞えて来るのもいつものこと。
「…全く、王子の町遊びにも困ったものじゃ」
そう呆れながらもどこか仕方がないと諦め顔なのは、今のエジプトに敵対する国などないという安心があるのも一理。
ましてや『百門の都』と呼ばれる王都であれば尚のこと。しかも相手はあの王子であるから ―― 。
とはいえ、万が一ということを考えなくてはいけないのも御目付け役であるシモンの任でもある。
そのため、
「何をしておる! すぐに王子の後を追い、お連れ申せ」
「は、はい!」
苦笑交じりに老臣と王子のやり取りを見ていた王宮付きの兵士にそう命じると、シモンはやれやれと腰をさすりつつ王宮へと戻った。
その王宮の前では、うら若い女神官がたおやかな笑顔を浮かべて待っていた。
「また王子に逃げられましたとか。流石のシモン様もご苦労が絶えませんね」
年の差からすれば親子ほどに違うのであるが、そこは女伊達らにエジプト王家を守る六神官の一人 ―― アイシスである。
「其方、スピリアで見ておったのだな。王子の身に何かあってからでは遅いのじゃぞ」
「ほほほ…ご安心を。何かありましたらすぐにお知らせいたしますわ」
尤も、「何か」があったらすぐに大騒ぎになって、わざわざ私がお知らせするまでもないでしょうけど ―― とは心の囁きである。
たおやかな微笑で難なくシモンの追及もかわす彼女は、10代にもならぬうちからこの地位を不動にしているという才女である。
その使役する精霊スピリアには遠隔透視の能力が有されており、まさにエジプト全土の事象について把握していると言っても無きにしも非ずであった。
「今のところ、我がエジプト王都に不穏な気配はありませんわ。尤も、『陰謀』とは密かに企てられるものですけど」
「これ、アイシス…」
「ご心配には及びませんでしょう? 何せ王子は『伝説の三幻神を操る預言に記されたファラオ』ですから」
何の屈託もなくニッコリと微笑みながら、アイシスはあっさりと言い放った。


伝説の三幻神
『王宮の巨神』
『太陽の翼を持つ鷹』
『天空の竜王』


その真実の名は数多い歴代ファラオの中でも選ばれた者にだけ受け継がれるという、幻の守護神。
その力は強大で、全ての悪をも引き裂くといわれているが ―― 裏を返せば、それほどまでに強大な悪が密かに息づいているということ。
それゆえに、三幻神を操るファラオは「預言に記されたファラオ」と呼ばれていた。
強大な悪が忍び寄りつつあるという『預言』。
それは正に、王権崩壊への序曲 ―― 。
そして生まれながらにして三幻神を操る今は幼き未来のファラオは、その力の意味をいつしか知るようになっていた。
自分に与えられた力の所以が、いずれはやってくる強大な災いと戦うためのものであるということを。
それは恐らく、この富めるエジプトを根底から破壊しかねないほどのもので、恐らく ―― この国の民の多くを失うことになるだろうという予感。
何故自分が選ばれたのかなどは考えても仕方がないが、それだけに身に巣食う闇は大きい。
選ばれたという自負と共に存在する、己こそが災いの元凶となるのではないかという不安。
強大な悪を滅ぼすために与えられたのが己の力であるのか。
それとも、神をも凌駕する力を得てしまったことに対する天罰が、いずれ訪れるという災いなのか ―― 。



「良いではありませんの? いずれは否応がなしでもファラオになられる身。今は市井の生活を知っておいて損にはなりませんでしょう」
それこそがいずれは彼が守る民の生活であるから。自分が守るべきものがなんであるかを知ることは、悪いことではないはず ―― と。
「寧ろ、守るべきものがはっきりしている方が人は強くなれますわ。今の王子は、全てのものから一線身を引いておいでですもの」
それはアイシスに言われるまでもなく、生まれたときから仕えてきたシモンも気がついていた。
己の強大な力が、いずれは災いと戦うためのものであるなら、まず犠牲になるのは己の側にいる者であるという恐れから。
だから ―― 例え市井で遊び呆けているようでも、ユギは全てから一歩引くように接していた。
己の中に「特別」を作らないように。
いずれは失ってしまう ―― その哀しみに囚われないために。
だがそれは、ユギという一人の少年を孤独を強いることでしかない。
「せめて ―― 王子に心を許せる友でもできれば良いですわね」
そう言って立ち去るアイシスを、シモンはただ見送っていた。






邂逅 00 /  邂逅 02


初出:2004.02.25.
改訂:2006.07.09.