邂逅 03


「相変わらず、熱心だなぁ」
不意に聞えてきた声に、彼は振り向きもせずに応えた。
「部屋にいると、貴様のような奴がいつ来るとも限らんからな」
声だけを聞けばまだ少年 ―― しかしその物言いは、強い意思と他者を寄せ付けないような孤高の気高さを放っている。
「ヒャーハハ、道理でな。さっきアンタの部屋に行ったら、見習いのガキが部屋の前でおろおろしてたわ。大方、どこぞの神官サマのご命令でアンタを探してたんだろうけどな」
「フン、下らん」
無造作にそう呟くと、彼は手にしていた石板を棚に戻し、新に別の石版に手を伸ばしていた。
既に時刻は日付を変えて、辺りは虫の音さえも眠りについている。パピルス1枚を落としただけでも響き渡るのではないかと思うような静寂の中で、彼はただ静かに石板を持って窓辺に立った。
部屋の中は漆黒の闇に包まれていたが、そこだけは中空に浮かぶ満月の明かりが差し込めていたから。
そして、その中に立った彼は ―― そんな姿は見慣れているはずの声をかけた方の少年でさえ、息を飲むほどに美しかった。
年の頃は15、6といったところか。触ればどんなに柔らかいのだろうと思わせる栗色の髪。整った鼻梁に小さめの薄い唇。到底、重労働には耐え切れないだろうと思われるほどに細い肢体は、透けるような白い肌でありながらそれでいて脆弱を感じさせないしなやかさを持っている。石板を持った繊手は地に付けたことすらないのではと思わせるほどに白く美しく、まさに神の御使いと噂されるのも納得がいくほど。
ただし、その神は慈悲に満ちた守り神でないことは確かである。
どんなに美しくても ―― その蒼い瞳が放つ光は、常人にはない鋭いまでの強さに満ちていて、何人たりとも近づけようとはしなかったから。
例えるなら ―― 野生の獣の美しさ。
生きる力に満ちた、戦う者の輝き。
それも ―― 己だけを信じて突き進む、孤高の闘神。
「セト」
少年はその名を呼んで、不意の一瞬をついて唇に軽く触れ ―― すぐさま飛び退いた。
―― シュッ!
ついさっきまで少年の頭があった空間に風切音が走り、石板を持った右手が空を切る。
「おーっと、危ねぇ、危ねぇ」
「…相変わらず油断も隙もない奴だな、バクラ」
空を切った右手は壁に激突する寸前でその動きを止め、セトと呼ばれた彼はさもイヤそうに左手で唇を拭った。
「そりゃあな。なんせオレ様は、盗賊王になる男だぜぇ」
一方でバクラと呼ばれた少年 ―― おそらくセトより1つ2つは幼い ―― はニヤリと笑い、間合いを取ったまま近くの机の上に胡座をかく。
今の石版による攻撃が決まっていれば、おそらくその頭も無傷ではいなかったはず。当然石板も壊れるが、その頭蓋もヒビの一つ二つは確実だっただろう。
そんな狂気に近いやり取りをしたばかりであったが、
「フン、それこそ下らんわ」
そう呟くと、セトはそれ以降、バクラには何の興味もないというように石板へと視線を向けた。
元から殺気などは込めていない。おそらくは無意識の行動なのだろう。
そして、そのことはバクラのほうも判っていて、全く気にした素振りもない。
例え ―― たかがキス一つで殺されかけたといっても。



傾き始めた月明かりが部屋の奥まで差し込めるようになり、セトの細い肢体をまるで後光のように包み始めていた。
「…で、少しは何か掴めそうか?」
半時ほど大人しく見ていたバクラは、無造作に伸びた白い髪をかきあげると机の上に胡座をかいたまま退屈そうに呟いた。
実際、同じ部屋にいるというのに、セトもバクラもこの半時は口も利かずにいたのは事実。セトの方は手当たり次第というように古いパピルスやら石板を手にとってその表に書かれた文字を追っていたものの、バクラのほうはそんなセトを見ていただけである。
尤も、この美しい生き物を見ていることは、決して嫌なことではなかったのではあったが。
しかし、
「…興味深い文献ではあるが、俺の欲しいものではないな」
「ふぅ〜ん…って、おい、ってことは…」
「ここには貴様の欲しがっているものを示すものもない」
「マジかよ〜」
取り澄ましたように冷たく言い放つセトとは打って変わり、バクラはガリガリと頭をかきながら残念というよりは途方にくれるといった方が正しいようなため息を吐いた。
「この辺りでマトモに残ってる神殿はココだけなんだぜ。あとは…何処を探すよ?」
「その様子では…アドビスも収穫なしか」
チラリとそちらを見て ―― しかし何の感慨もないようにそう呟くと、セトは手にした石板をなぞっていた。






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初出:2004.03.10.
改訂:2014.08.16.