邂逅 06


ドタバタと耳障りな騒音が近づいてきて、
「もう、や〜っぱりココにいましたね、セト。探しましたよ!」
元気一杯の声でセトを呼んだのは、褐色の肌に大きな目をした少年だった。
既に太陽はナイルの西、砂漠の彼方に沈んでしまっていたが、流石は花の都と呼ばれるテーベである。日が沈んでも城下に灯りが途絶える事はなく、大路の喧騒も果てる事はない。
とはいえ ―― 流石に王宮に近いこの離宮では、昼間ほどの喧騒はなりを顰めひっそりと静まり返り、自然とその中を行く人々も声を潜めるようになっている。
ましてやセトがいるのはその離宮の一画に建てられた図書館 ―― 王立図書館の数ある分館の一つ ―― で、当然、日中でも静寂なことこの上ないはずなのだが、
「煩いぞ、マハード。何の用だ?」
「何の用だ、じゃないですよ。食事の時間ですっ!」
「いらん。俺の分は貴様にやる」
「あ〜もう、またそんなこと言って! わがまま言ってないで、行きますよっ!」
と言いながら、既にセトの手からパピルスを取り上げて棚に戻すと、マハードはしっかりと腕を掴んで引きずる勢いで連れ出そうとした。
「貴様…いらんと言っておるだろうが!」
「食事はちゃんと食べなきゃだめですっ!」
年は偶然にも同い年。そして、身長も変わらないが体力には雲泥の差があり、その気になればセト一人、軽く引きずって連れ出す事ぐらいしかねないマハードであった。
しかも、このマハードという少年。見かけの穏便さに騙される者は多いが、恐ろしく強い魔力を持つ術師でもあった。
マハードとは、このテーベに着てから知り合いになっていた。当初、集められた少年は百人前後。流石にその人数では全員に個室というわけにも行かず、その際セトと同室になったのがマハードであったのだった。
このマハードもセト同様、地位や財力という面では全く後ろ盾を持たない少年である。生まれも育ちもカルナックで、一応神官見習いをしていたというが、今まで外の生活をしたことがないというだけあって ―― よく言えば天真爛漫、悪く言えば世間知らずの極地といったところ。おかげで殆どの者が敬遠して近づこうともしないセトに対してもこの通りの構い様で、流石のセトもあまりの馬鹿馬鹿しさに本気で怒る気にもなれないらしい。
「昨夜、夜中に目が覚めて、腹減ったと泣いてたのは貴様だろうが?」
「うっ…そうですけど、でも、自分の食事はちゃんと食べなきゃダメです。セトは好き嫌いしすぎです!」
だからそんなに痩せてるし、体力もないんですよ!と言われると、余計な事をと益々意固地になるというもの。
「必要量は取っている。貴様に言われる筋合いはない」
そう言って突き放すと、今度は ――
「じゃあ…私一人で食べるのは寂しいですから、付き合って下さい」
お願いしますぅ〜と大きな眼をウルウルとさせて縋ってくるのだから、性質の悪いことこの上ない。
そして、
何故か、セトは他人に泣かれるという事が苦手だった。勿論、毛嫌いしている相手ならいい気味とも思い、また罵詈雑言なら幾ら言われても平気である。
だが、そうでない相手に泣かれると ―― 何故か胸が締め付けられるように痛かった。そう、いつも哀しみに湛えられた泣き顔しか見せない誰かを思い出すようで ―― 。
「貴様…ええい、わかったわ。行けばよいのだろう、行けば!」
「はい、ありがとうございます♪」
セトが食事に行く気になった途端に涙が消える辺り、非常に怪しいことこの上ないのだが ―― それを今更追求しても無駄ということは既にセトも承知しているのだった。



王子の学友候補ということで集められていた少年達は当初百人前後。しかし、その後の選考で日ごと数を減らして、今は10人前後にまでなっていた。
まことしやかに囁かれる噂では、最終的に選ばれるのはおそらく一人か二人といわれており、ここまで来るともはや自分以外は全員ライバルである事は間違いない。
おかげで本来賑やかになりそうな食事時でも、誰もが黙々と食べるだけで気まずい事この上ない。
だが ―― そんな殺気だった中で全く平然としているのは、セトとマハードだけである。
「お前、王子の学友になりたくてここに来たのではないのか?」
幾ら回りに関心がないとはいえ、マハードが余りにも他の連中と違う事には気が付いていたセトである。ふと食事の合間にそんな事を尋ねてみれば、
「そんな、恐れ多いっ! 私みたいなものが王子の学友なんてなれませんよ!」
学友などといっても、半分は12歳の王子の御守のようなもの。確かにマハードのようなドンくさいヤツ(←セト主観)では、どちらが御守か判らないだろうとは思う。
「私は師父 ―― あ、捨て子だった私を拾って育ててくれた方なのです ―― が、いい機会だからとおっしゃったのでお受けしただけです。一度はテーベの都を見ておいで、と」
「…要は観光目的か。ま、貴様らしいな」
「そういうセトはどうなんです? セトなら立派なご学友になれると思いますけど」
「フン、冗談ではないわ。子守りなどする気はない。俺がここに来たのは ―― 」
と言いかけて、ハッと口を閉ざす。
「 ―― ? セト?」
「いや、なんでもない。余計な事は聞くな」
実は話を振ったのは自分であるが ―― それはやたらと公言できる事ではない。
そんなセトやマハードを、片眼の暗い瞳が見つめていた。






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初出:2004.04.28.
改訂:2014.08.16.