邂逅 07


食事が終わってセトがあてがわれた部屋に戻ると、そこには既に我が物顔で寛いでいるバクラがいた。
「よぉ、楽しいお食事はどうだった?」
ニヤリと笑う紫の目にはどこか邪悪な色が潜んでいて、セトはかすかに漂う異臭に眉を顰める。
「…血の匂いがする」
「あ? ああ、また馬鹿どもが潜んでたからな。ちょっと遊んでやっただけだゼ」
「湯浴みでもして来い」
「お前も一緒ならな」
そんな風に言うと、すぐさまセトの蒼い眼が冴え冴えと向けられた。
砂漠の中、全ての熱を奪ってもまだ冷たいナイルと同じブルーの瞳で。
「…冗談だよ」
(チッ…アレさえなきゃあ、今ごろはオレ様のモノにしてるのにな)
混血の進んだエジプト国内にあっても、一際珍しい白い肌に蒼い瞳。
色だけでも珍しいのに、その一つ一つのパーツも天上の神々の手をかけたように美しく、それらを一つに併せ持つその姿はどんなに反感を持つ者でも息を飲まずにはいられない。
誰もがその姿に心を奪われずにはいられず、野心を抱く者ならば手に入れたいと望まずにはいられない至宝の存在。
それは当然バクラも同様で、何度その身体を我が物にしてやろうかと思った事かは数知れない。
だが ―― それもこれも、望む力を手に入れるためには ―― 今はまだその時ではないから。
とはいえ、たまにふざけるように唇を奪う程度で我慢しているのは、結構きついものである。
その代わりと言っては何だが、セトに近づく者は片っ端から排除し、利用できる者は手懐けて来た。前者は馬鹿な豪族の子弟に雇われた神官兵たちで、後者はアブシール神殿のヘイシーン神官長のように。
(ま、いいか。いずれは「古の力」もコイツ自身も、オレ様のものにしてやるぜ)



「で、少しは進展があったか?」
テーベに来てからと言うものの、セトが時間の許す限りを図書館で過ごしている事はバクラも知っていることである。そう簡単に目的のものが見つかるとは思っていないが、それでも問わずにはいられないというもので、
「そう容易く見つかれば苦労はせんわ」
「…ま、そうだな」
あっさりと否定の返事を貰っても、仕方がないと思うところまでは我ながら成長したと苦笑する。
「王立図書館とはいえ、今の俺が入れるのは所詮分館の一つにすぎん。それも普通の神官見習が入れる程度のな。せめて本館に入れればまだ手がかりもあるかもしれんが…」
「それには王子のご学友か?」
「フン、冗談ではない。子守りなどしている暇があるか」
12歳といえば、セトより3つ年下である。その頃の自分を思い出せば既に神官見習として神殿に入っていたのだが、通常の子供ならばまだ親に甘えている年齢である。
テーベの都に来たのはあくまでも王子の学友候補という名目である以上、肝心の王子の人となりは何度か耳にする事もあった。
世継ぎの王子とはいえ未だ12歳では執れる政務も限られている。それゆえに暇を持て余しては密かに王宮を抜け出し、市井の子供達と戯れる事も暫々あるとか。
それもこれもエジプトの空前の繁栄による平穏がなせる技であろう。世継ぎの王子が王宮を抜け出すなどという事が噂でも街に溢れているようでは、暗殺者を呼び込むようなものである。
尤も、この王子が12歳とはいえ生半可な王子でない事も世間に知られている事ではあるが。
「何せ『神を使役する王』となる王子サマだろ? 一度、その力ってぇのを拝んでみてぇな」
「フン、くだらん。そんな『神』になど、興味はない」
「そうだよな、アンタの狙いは『蒼き瞳の白き竜』だけだもんなぁ?」
(だがな、その竜が唯一『神』に対抗できるってコトは、しらねぇよな?)
己の欲しい力のために協力はするが、全ての手の内を明かす気はない。
それはこの二人に共通する認識で ―― そこに馴れ合いなどというものは初めから存在していないはずだった。



「あれは…?」
翌日、またもやマハードに無理やり食堂に引っ張り出されたセトは、そこで初めて六神官を目にした。
「あれだけの人数をここまで絞り込んだか。まぁ人数は妥当だな」
「王子は飽き易い方ですから、謁見は一度で済ませたいとお考えのようですわ」
「ファラオもこの件に関しては王子に任せるとの事。ならば我らが口出しする事ではなかろう」
それでなくとも楽しい食事にはほど遠い雰囲気の食堂である。更に王室の代理人たる六神官の登場となれば、選ばれる立場の候補者たちが落ち着かないのは仕方がない事である。
しかし、
「成る程、あれが六神官か…」
他の連中が緊張して食事も喉に通らないのとは異なり、元々食欲などないセトは現れた神官たちを遠慮なく値踏みしていた。
(フン、六神官と言われるだけはあるな。密かに隠しているとはいえ、なかなかの魔力を感じる)
高位の神官や術師であればあるほど、己の力量を普段から見せびらかしはしないものである。だが、それはセトも同様で、それゆえに相手の力量を諮る事は出来ない話ではない。
そして、
「流石に六神官となると違いますね。凄い魔力と言うか…プレッシャーを感じませんか?」
「…そうか、貴様もそれなりの術師だったな」
普段のトロさが目に付くためつい忘れていたが、このマハードもかなりの強力な魔術師である。まだかなりに未熟さがあるため、かえって強力な魔力の持ち主には過剰に反応するらしく、先ほどから食事も喉に通らず息苦しそうだった。
(ここまで過剰に反応するとは、コイツの魔力の大きさは侮れぬな)
それでなくてもセトは目立つ外見であるから、その隣りのマハードの様子も六神官たちは気がついているようであった。
好奇の目で見られることには慣れているセトである。だが、かといってそれが気にならないと言うわけではない。
(鬱陶しいな)
今はまだ、あまり目立つ事はしたくないと言う気もある。尤も、セトの場合、存在そのものが目立っていると言う事には自分では気がついていないのだが。
しかし、
「…来い」
「え、せ、セト?」
マハードの手を取り引きずるように連れ出すと、セトはずかずかと食堂を出て行きかけた。
と、そのとき ――
「 ―― !」
強い視線を感じて、咄嗟に振り返った。
「セト…?」
訝しげにマハードが突然立ち止まったセトを見ると、その視線は六神官の一人に行き当たっていた。
最も年長の老人で、片方の眼窩には黄金の千年宝物を嵌めている ――
「あ、あれは…アクナディン様ですね。以前、カルナックの神殿においでになった事があります」
「アクナディン? そうか、あれが…」
六神官たちはそれぞれその身に黄金で出来た千年宝物を所持して王家を守護すると聞く。そして、最年長のアクナディンは自らの片目と引き換えに千年眼をその眼窩に納め、六神官の長たる立場にあるとも聞き及んでいた。
「あの…お知りあいじゃないんですか? アクナディン様もこちらを見ているようですが?」
「知らんな。大方、俺の肌の色でも珍しくて見ているだけだろう?」
「そうですか? それにしては…」
何処となく腑に落ちないマハードであったが、さっさと歩き出したセトについていくのが精一杯である。しかも、
「そんな事よりも、貴様は少し魂(バー)の鍛錬をすべきだな。このくらいで過剰反応しているようでは王宮務めなど一生できんぞ」
「うっ…は、はい…」
思いっきり鼻で笑われた挙句のきつい言葉で、マハードはその後、この事はすっかり忘れていた。






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初出:2004.05.05.
改訂:2014.08.16.