邂逅 08


六神官の来訪と言う突然のことに息を飲んで様子を伺っていた候補者たちであったが、特に何もなく神官たちが王宮へ戻ったと聞くと、期待していた反面その落胆ぶりは大きかった。
特に地方の豪族出身者たちはそれが顕著で ―― 誰もが我こそが選ばれると自負していただけに、何の音沙汰もなく待たされると言う事には馴れていない。
よってその憂さ晴らしはより下位の者や弱いものへと向けられる事になり ――
「おい、逃げたぞ」
「追いかけろっ!」
抵抗できないものを痛めつける事によって憂さを晴らす豪族の子弟たちが騒ぎながら中庭に来るのを、木陰でぼーっと休んでいたマハードは何気なく見て ―― その先に転がるように動く灰色の影に気がついた。
(何だろう?)
セトには部屋に戻って休めといわれていたが、却ってこの時間ならこの場所の方が涼しいものである。半分うとうとしながら一人で寛いでいたのだが、その灰色の影が問答無用で乱入して頭上の枝に飛び乗ると、流石に目が覚めた。
「うわっ! って…え?」
咄嗟のことで寝ぼけ眼のマハードには何がなにやら判らないが、どうやらその灰色の影は豪族の子弟たちから逃げてきたらしく、
「おい、お前!」
漸く追いついた子弟の一人が、威丈高にマハードの前に立った。
「あれは俺たちの獲物だ。引き摺り下ろして来い!」
「え?」
言われてみれば ―― マハードを飛び越えて枝の上で蹲っているのは、薄汚れた灰色っぽい子猫である。どうやら前足を怪我しているらしく、細い枝の上で一生懸命傷口を舐めているのが痛々しい。
「怪我しているみたいですね」
下に集まってきた人間に怯えて、子猫は更に上に上がろうとするが、傷ついた前足ではそれも難しいようだった。
(危ないな。あれじゃあ、いずれ落ちて…)
必死に爪を立てて幹に縋るが、落ちるのは時間の問題である。心配してさてどうしようと思考するマハードをよそに
「まぁな。俺の弓の腕前さ。大したものだろう?」
「次は俺が狙ってやる」
と弓を射ろうと待ち構えている。
「な、何てことするんです! 可哀相じゃないですかっ!」
それに気付いたマハードが驚いて止めるが、
「何だと、貴様。俺たちに指図する気か?」
「おい、コイツをやっちまおうぜ。あの猫よりはずっと楽しめそうだ」
それならばと対象をマハードに向けた連中は、じわりと間合いを詰めてきた。
「止めた方がいいですよ。いらぬ怪我をしても知りませんよ?」
舌舐めずりをしながら近づく連中に、正論など届くわけもない。だが、マハードは怯えた素振りも見せずにそう忠告する事を忘れなかった。
大体、集められた子供達はほぼ同年代ではある。だがここにいる連中はその中でも年上で、恵まれた環境で生活してきただけあって体格も割と良い。マハードも決して見劣りはしないが、やはりこの時期の年齢差は体力的には一目瞭然である。
しかし、
―― ビュンー!
「怪我をしても、とは笑わせる。お前の方こそ、下手に動くと大怪我をするぞ」
ふざけながら中の一人が足元に向けて矢を射ると、流石にマハードも観念して大きく溜息をついた。
「…仕方がないですね」
それを見た誰もが ―― 諦めて降参すると思ったその時、
「我に宿りし精霊 ―― 出でよ、幻想の魔術師!」
短く呪文を詠唱して、マハードが自らの精霊を召喚する。そして、
「幻想の呪縛 ―― !」
立て続けの呪文に始めてみる精霊の姿。それは豪族の子弟たちも手出しの余裕はなく、あっというまに手足を拘束され動けなくなってしまった。
そんな子弟達を足元に見下ろして、マハードはニッコリ微笑んだ。
「ちょっと大人しくしててくださいね。もう悪い事をしませんって誓うなら外してあげますよ」
「だ、誰がっ!」
咄嗟に強がって見せるが、しかし囚われた腕が自由になることはない。マハードは人差し指を立てると、
「チッチッチ…反省の色はないようですね。じゃ、暫らくそうしててください」
そう言うと、よいしょと木に登り始めた。



ふらりと何の前触れもなく離宮にやってきたユギは、誰に断るでもなく中に入るとさりげなく人目を避けながらぐるりと邸内を見て回っていた。
ここには、自分のために集められた少年が10人ほどいると聞いていたが、見る限りではどの少年もピンとくるものはない。
(やっぱり、ロクなのがいないな)
これならば、普段ユギが街で遊んでいる連中の方がはるかにマシである。どの少年もそれなりに知識や才能はありそうだが、ただそれだけとしか写らないのだ。
「アイシスの奴が意味深なことを言うから期待したんだがな。来るだけ無駄だったか?」
友達などと言うものは人から言われて作るものではない。気のあったもの同士なら言われなくても打ち解けるものだと思う。
だが市井ではそんな当然のことも、自分の身分ではわざわざお膳立てされなければできないと言うことで ―― そのこと自体が面白くないのである。
だから中庭を見下ろせるこのバルコニーに来て、子供達が1匹の猫を追いまわしているのを見たときには、興ざめを通り越して嫌悪すら覚えていた。
着ている服などから推測すれば、彼らがそれなりに裕福な家の出身であることはすぐに判る。いずれ自分が王になったとき、あの手合いが部下になると思うと ―― 憂鬱を通り越して吐き気すら覚えそうだった。
ところが ――
「あれ? なんか雲行きが変わったな?」
どうやら一人の少年がその猫を庇ったらしく、矛先がいつのまにか変わっていた。しかもどうみてもその一人の少年は体も小さいし分が悪いと思っていたのだが、
「あ、まさか?」
軽く詠唱を唱えただけで魂の分身とも言うべく精霊を呼び出し、取り囲みに来た少年達を一瞬にして身動きを取れなくする。
「へぇ…あの歳で精霊を操るとは…凄いな」
普段、六神官という高位の神官を見慣れているユギではあるが、それはあくまでも特殊な部類と言うことは十分承知している。
人は大なり小なりの精霊をその身に宿しているが、全ての者がその精霊を自在に操ることは出来ない。寧ろ、操ることのできない者の方が普通で、例え大神殿を預かる大神官であっても精霊を扱えない者などざらにいるのが現状である。
それが、あの少年は意図も簡単に ―― 、
「いかがです? やはり、百聞は一見に勝りませんでしょう?」
ふと気が付けば、先に王宮に帰っていたはずのアイシスが相変わらずのたおやかな笑みを浮かべてユギと肩を並べていた。
「あの歳で精霊を操るとは、大した者だと思われませんか?」
「ああ、そうだな」
「どうです? お気に召す者がおりますかしら?」
クスクスと笑うアイシスに、思う壺にはまったと言うのはやはり気に入らないが、だが確かに言われることには一理ある。
「面白いな、アイツ」
アイツとは ―― すなわちマハードで。
虐めていた少年達を動けなくすると、今度はどうやら自らが木に登って、怪我で怯えているネコを捕まえる気らしい。そんな様子をアイシスも心から楽しそうにニコニコと見守っている。
「そうですわね。あ、また子猫に逃げられましたわ。フフっ…精霊で捕まえてしまえば早いのに、気が付いてないようですわね」
「そうらしいな。だが、あれでは…」
逆にマハードの方が落ちると言いかけたところで、それは現実となり ――
「ご安心なさいませ、王子」
既にアイシスの精霊スピリアが待機しており、虹の防御壁を発動させれば、マハードは地に落ちる瞬間まで大事に子猫を抱えて放すことはなかった。






邂逅 07 /  邂逅 09


初出:2004.05.05.
改訂:2014.08.16.