感応 03


勿論、セトにはそんなアクナディンの様子までは判るはずもなく、ただ形ばかりの礼儀を以って膝を折った。
「ああ、構わぬ。面を上げよ」
その声はどこか震えているようでもあり ―― だが、そう言われたからと言って「はい、そうですか」と態度を変えることもできない。
勿論卑屈になる気はないが、流石は六神官の長であり王弟でもある人間だ。
ひしひしと伝わる威圧感は、その辺の神官たちとは比べ物にもならず、セトはその人となりに警戒を緩めなかった。
「少々、そなたに聞きたいことがあってな。そなた…両親はいかがしておる?」
「両親、ですか? 父母のことは私にも判りかねます。二親とも早くに亡くなったと聞いておりますので」
わざわざここまで出向いての質問とは思えなかったが、この質問自体は良く聞かれることだ。
いくら混血の進んだエジプトと言えども、セトほどの白皙碧眼は珍しいことこの上ない。
勿論白皙の人種は東や地中海を渡った沿岸に行けば幾らでもいるとのことであるが、それでもここまで透けるような肌と言うのは、エジプトにあっては珍しいのだ。
それは、この国が熱砂の大地に支配されている国だから。
灼熱の太陽は容赦なく白い肌を焼き、褐色に染め上げるのが常であるはずだから。
しかし、
「生まれは…アドビス付近の小さな村と聞いております」
「何、アドビスじゃと?」
アドビスと言えば、上エジプトと下エジプトの間にある巡礼地としても名高い宗教都市である。
神官たるものであれば一度は修行の一環としても訪れる聖地であり、当然アクナディンも立ち寄ったことのある ―― 曰くの地。
(では…やはり…)
あれから既に10年 ―― 更に遡れば15年の歳月がたっている。
それはこの目の前にいるセトの年齢とも合致するわけだから ―― 恐らく間違いはないのだろう。
だからこそ、
「そなた…私の弟子として神殿に仕える気はないか?」
「何…と?」
突然のその言葉は流石に物怖じしないセトでも一瞬虚をつかれ、蒼穹を見開くしかなかった。



そうして離宮の者への挨拶もそこそこにセトが連れてこられたのは、アクナディンが守護する『石版の神殿』だった。
王宮の西大参道の先にあるこの神殿は、いわばテーベにおける現世と来世の境の地。ここから1歩西へ行けば、待っているのは死を司る広大な砂漠で、この神殿には無数の魔物を封印した石版を納められている。
封印された魔物の総数は、管理するアクナディンですら把握しきれないと言われており、その溢れる魔力は、通常の者では近づくことすらままならない。
そのせいか、焼け付く太陽の下にあってもこの地だけはどこか荒涼としており、薄ら寒い気配さえ漂っていた。
尤も、そんなことで尻込みするセトではないが。
(この重苦しい空気。流石は『石版の神殿』。随分と禍々しい「気」に満ちているな)
この神殿に封印されている魔物は、その多くが王権に対する反逆者たちから抽出されたもの。その中には些細な窃盗や傷害を起こしただけの者もいれば、王家に反逆を目論んだ軍人や王族を宿主としていたものもいる。
それだけにこの地に囚われた魔物の王権に対する恨みは強いはずで、潜む「気」はまるで澱のようにどす黒く凝り固まっている。
だが、
「どうした? 気分でも悪くなったか?」
ふと後をついてきているはずのセトが立ち止まったのを感じて、アクナディンは振り向いた。
と、同時に、
「 ―― !?」
ほんの一瞬、セトの身体を守るように白い光が現れた。
それはまるで伝説の竜のように神々しくて、長い尻尾をセトの身体に絡めつつ、その翼であらゆる邪悪から身を守るように牙を剥き、セトと同じ蒼い瞳でアクナディンは睨みすえていた。
(やはり ―― あの時の白き竜!)
だが、その姿を見極めようとするとまるで光に溶けるようにその姿は失われ、アクナディンの千年眼の力をもってしても再び見ることはかなわなかった。
むしろ訝しく思ったのはセトの方で、
「…アクナディン様? いかがされました?」
突然信じられないものを見たような目で睨まれて言葉をなくしたアクナディンに、セトが声をかける。
「い…まの精霊は…」
「精霊ですか? 私には何も見えませんでしたが…」
「何?」
常日頃から守護しているとはいえ、この地には溢れるばかりの魔物が巣くっていることは事実だ。そしてその魔物たちは石版に封印されつつも次なる「器」を求めて虎視眈々とこの地を訪れるものを狙っている。流石に守護するアクナディンを襲ってくるようなものはいないが、何も知らずに迷い込んだ一般の者ならば、瞬く間に「宿主」とされて邪悪に支配されるのは良くあることだ。
だからこそこの神殿の周囲には二重三重の結界が張ってあり、外から入ることも中から出ることも容易くはないようにされているのだが、
(何と! 魔物たちが避けておるだと)
千年眼の力で漂う魔物の姿を見極めれば、彼らは新しき侵入者であるセトに取り付こうと現れつつも、ある一定以上は決して近づくことができないようだ。
それどころか実際のセトの動作には関係なく、時折何かに睨まれでもするかのようにビクリと怖気づいたかと思えばこそこそと逃げ帰るものまでいて。
「そなた、やはり…」
「…アクナディン様?」
セトを見るアクナディンの目は、どこか狂気にも似た尋常ではないものまで感じられて、
ほんの僅かに、セトはゾクリと身を震わせた。
(何だ、この感触? 心がざらつく…?)
心のどこかで警鐘が鳴り響き、これ以上先に行くなと警告されている気がする。
その一方で何かが呼んでいるような、待ち望んで叫んでいるような気もするのは確かで、
「…なんでもない。そなたに用があるのはあれじゃ」
そういってアクナディン指し示したのは、石版を封印したピラミッドとは格段と小さい、だが瘴気のような邪気に包まれた宝物殿だった。






感応 02 /  感応 04


初出:2004.08.25.
改訂:2014.08.23.