感応 05


気がつくと、セトは底知れぬ暗黒の中にいた。
(ここは…?)
そう呟こうとして、愕然とする。
そこは単なる暗闇ではなく、自らの声までも吸い込む漆黒の世界だった。
(光だけではなく、音まで吸収する暗黒か。厄介だな)
何故こんな場所にいるのか。まずはそれを思い出そうと意識を集中させる。
(確か…アクナディン様について宝物殿に入り、それから…!)
はっと思い出してその右手を見れば、確かにそこには金色に輝くものがあり、
(これが…千年錫杖。千年宝物の一つか)
辺りは吸い込まれそうな闇であるが、なぜか自分の姿だけは見えている。
それはまるで自ら光を放つようで、どこか暖かい光であることは確かだった。
勿論、生身の人間である自分が発光するなどありえない。だが、
『大丈夫。どんなに世界が闇で覆われても、貴方には聖なる光が守護しているのです』
音さえも吸収するはずの空間に、突然聞こえてきた慈愛に満ちた声。
その声にセトは聞き覚えがあり、
(まさか…?)
見極めようと目を凝らせば、やがて闇の中にぽつんと1点浮かぶ光が序所に人型になって行き、やがてそこには一人の女性が現れていた。
セトと同じ白い肌に長い栗色の髪。そして見間違うなきは蒼穹の瞳。
―― キシャーッ!
『随分と大きくなりましたね、セト。私を覚えていますか?』
「…母…うえ?」
そこにいたのは、幼い頃に死別したはずの母と、その母と常に共にあった光の龍の姿であった。



セトが物心ついたとき ―― 世界は闇の中にあった。
そこは、この地が灼熱の砂漠を擁するエジプトだとは到底思えない、静けさと荒涼に満ちた薄闇の世界。
いや、当時はそもそも国の名前さえ知らなかった。
そこが地下に造られた秘密の神殿で、自分はここに囚われているのだと知ったのは、そこから出た日のことだった。だからずっと恐怖を覚えなかったのは、知らないということもあったけれど、何よりも一人ではなかったから。
そこには「母」と名乗る美しい人が一緒にいたから。
子供心にもたおやかで、決して健康体とはいえない儚さを持っていたけれど。
でもその毅然とした態度と ―― 何よりも吸い込まれるような蒼穹だけはいつも側にいた。
そう、あの日。あの場所から出されるまで ―― 。



『闇など恐れることはないのですよ、セト。貴方にはいつも光のしもべがついています。いえ、貴方自身が光になるのです。判りますね、セト』
『はい、母上』
『絶対に忘れてはいけませんよ。このしもべは貴方の半身 ―― もう一つの魂です。その名を…』


―― キシャーッ!
突然、まばゆいばかりの閃光を感じて、セトははっと我に返っていた。
(今のは一体…?)
重く圧し掛かるような闇の気配はかけらも残ってはいなく、だが、それが単なる幻だったとは到底思えなかった。
いつの間にか両膝を床につけていたが、そんなことも気にかけられないほどの疲労感と。
何よりも、怒涛のように流れ込んできた「記憶」の波に圧倒される。
それは間違いなく握り締めた千年錫杖から伝わってきたと思われて。
セトはゆっくりと立ち上がりながらその手の金色のアイテムをじっと見つめていた。
「それは ―― 千年錫杖。人の心を支配し、記憶を封印する力を持つ…」
ふと聞こえてきたのは全く抑揚のない声で、咄嗟にセトはその声の方を向いた。
その瞬間、ゾクリと背筋に寒気が走る。
一瞬、自分に向けられたアクナディンの視線が ―― その眼窩に埋め込まれた千年眼が、鈍い光を放っていたのを見逃さなかったから。
(な…んだ、今の…視線は?)
暗く澱んだような重い視線。
それでいてどこか懐かしいような、既視感すらある柔らかさも残っていて。
「アクナディン様…?」
肩で息をつきながらセトは立ち上がり、そっとその名を呼んだ。






感応 04 /  感応 06


初出:2004.10.02.
改訂:2014.08.23.